どうにかして抜け出したい

寒さが増しているドイツ今日は最高気温が5度。週末には最低マイナス2度、最高零度とかなりの寒波が来るようで、暖かくしておかないとなって思っています。けど、寒いのも仕方がないのかもね。だって、もう師走も半ば。今年も残りあと半月しかないということですもんね。冬の寒さが増しても仕方がないよね。うん。そう思って割り切って寒さを楽しもっと。

ただもう少しだけ日没が遅くなればなって思いはぬぐい切れないんですけれどね。だって、今日は午後4時11分が日没だって。早い。確かにもう外は薄暗い。日の出が8時40分だから太陽が空に出ている時間は7時間半しかないのか。しょうがない。冬だもんね。うん。しかもあと1週間ちょっとすれば冬至だし。そこからはまた、日照時間が伸びてくる。辛抱だ!!

さてさて、そんな冬の日々に取りつかれているのが悪夢。また来ちゃいました、この悪夢が連続する日々が。

今日で3日目なのですが、起きて、「あー。よかった、夢だったんだ。」って思う安堵感と、疲労感に不快感が残って何となくスッキリできない朝を迎えています。早く悪夢習慣が終わってくれないかな。。。。

悪夢と言ってもお化けが出てくるとかではないのですが、なんとなく精神的に疲れる夢が多いんですよね。もちろん、夢からの経験で学べることもあって、「こんなことは現実の世界ではしてはいけないな。」って思えるのはこの悪夢の利点かな。

今回はまあ、2本立ての日があって。その夢の感情の浮き沈みたるや、ジェットコースターでした。

この2本仕立て。似ている夢だと、なんとなく疲れも少ないんですよね。同じような感情の揺さぶりだから。だけど今回の2本立ては全く違った感情を揺さぶられる夢でうろたえました。

最初に見たのは、僕の父方の祖母が今まさに死のうとしている場面。

病院かどこかなのか、見慣れないベッドに寝ている祖母。周りには家族はおらず僕だけ。その祖母の表情からも、そろそろ天国へと旅立つんだなって言うのが感じられます。「ちょっと、みんなを探してくるね。」と離れようとする僕を引き留める祖母。「もう、間に合わないから。いいの。あなたがいればいい。」その言葉で、祖母を今から失うんだなと心に響いて、ふと振り返るの人が数人が見えます。「すいません、助けてくれませんか、祖母が死にそうなんです。」というとその人たち色を持っていないんです。灰色って言うのかな、周りはカラーなのに彼らだけが色がなくて僕の声も聞こえないのか、背を丸めてお弁当を食べているだけ。祖母の手が僕の肩へと延びて僕の両肩をつかみます。祖母の周りに流れる色が見えます、祖母が来ていた着物の柄の赤と桃色の間の暖色と、若緑の淡い緑色。その色が祖母の周りを包んでいて、僕が口にできる言葉は、「まだ、だめだよ。いかないで。」けれど、その色の流れは増すばかりで、もう駄目だなってわかって「今までありがとう。」って言うことができたと同時に祖母の首がガクッと落ちました。そこからは祖母の体に抱き着いて泣き出す僕。自分の鳴き声で目が覚めました。

身近な人の死を夢で見るのは初めてではないのですが、いつまで経っても慣れません。この日はユリ君の両親の家にいたので、部屋は一緒だけど部屋の両端に置かれたシングルベッドにそれぞれが寝ているのでユリ君に助けを求められないもどかしさ。それから1時間ほど眠れなくて、どれでやっと眠れた時に見た夢がまた、不思議な夢で。

町の中を歩いている僕。国はどこだろう、日本ではなくてヨーロッパ。そして、向こうから来た人が僕の体に当たってくるんです。避けようとしてもわざと体を当ててくるみたいな感じで。その後は何もなかったように歩いていくぶつかってきた男。そこで僕は気が付きました、後ろポケットに入っているはずの財布と携帯がないことに。

一気にそのぶつかって来た男へと走り寄って、首の横を思いっきり叩いたら。なんと、その人、死んでしまうんです。「あー。殺す予定じゃなかったのにな。こっちが今まで被害者だったのにこの状況だと、僕が加害者だよな。」って僕の頭が思っているんです。

それで驚いたのが次の僕の中に浮かんだ考え。「これで人を殺したの3人目か。ってことは僕は連続殺人鬼とでも呼ばれるのかなー。」ってこと。自分で思いながらその考えにびっくりする僕。3人殺して、しかも罪悪感もなし。「証拠を隠滅しなきゃな。」って死体を運び、その殺してしまった人の身元ににつながる物を抹消していくところで目が覚めました。

ね、なんとも不思議な夢でしょう。一方の夢ではかなり繊細な人間感があるのに、もう一つはロボットのような思考。起きてかなりの疲労感に包まれたことは言うまでもありません。

今日はゆっくりと幸せな夢が見れるといいなー。

可愛すぎる、小さなシェリー君

昨日は雹が降ったドイツ北西部。大きさはそれほどでもなく小さな発砲スチールでできた作り物の大きめの雪みたいな感じ。それが少し降って終わり。その後雨が降ったり、太陽が出たり、雲が出たりで大忙しの1日。

それに比べて今日は朝から綺麗な朝日を見れて、青空いっぱいの空が見れて気持ちがいい1日。待ってた甲斐があったなって思って今回もまた、20分離れたスーパーへとお出かけ。今週は寒い予報が出ていたのですが、そこまで寒くもなくて、ダウンガウンの下に薄めのニットで出かけてきました。うーん。この晴れ間の下でのスーパーへの散歩、癖になりそう。往復で40分なのでちょうどいい運動にもなるし、気分転換になって最高。

散歩中は音楽を聴くことがなく、ただ色々な家を見て歩いたり、考え事をしたりして歩いているんですよね。そんな風な自分を見て、あれ、シェリーっぽいって思うんですよね。

シェリーとは、これでわかった人は結構見てますねテレビ番組。

最近見終わったテレビ番組で、毎回笑っていたものがあって。その主人公がシェリー。これがまあ、かわいい。まるでユリアンの子供のころを見ているようで楽しいんですよね。

Young Sheldonという番組で、日本でも放映されていると思うのですが、アメリカの人気テレビドラマ、ビックバンセオリー。この主人公であるシェルダンの子供時代のお話。

シェルダンと言うのは理論物理学者でIQは187。頭はいいけれど、ちょっと社会適応能力がないというか、独自のルールや世界観で生きているんですよね。その変わり者のシェルダンの子供時代が可愛らしい。テキサスの東部が舞台。この舞台がいいですよね。保守的な考えが強く、訛りも強いテキサス。両親も兄弟もテキサス訛りの英語を喋るのに、シェルダンだけは別。お母さんはキリスト教を熱心に信じていて、シェルダンとは考えで反するところもあるのですがお母さん大好きっこ。

田舎の中で神童のシェリーがどうやって今のシェルダンになるのかがわかります。ユリ君はビックバンセオリーを見ていたのですが、僕は数話しか見たことがなかったのですが、それでも楽しめました。

本当にかわいいテレビ番組で、楽しく見れます。お勧めです。

アヒルの日

寒さが厳しくなってきましたね。日本も雪が積もっていたりと、大変ですよね。ドイツ北西部は標高が高くないので緯度はかなり高いのですが、雪が積もることがあまりないんですけどね。ただ、寒さが沁みます。

週末はドイツは少し嵐のような天気で、風も強くて雨も結構降りました。困った困った。ただ、週末は家にはいなくて出かけていたんですよね。12月のこの時期に週末のお出かけと言えば、ユリ君家毎年恒例のアヒルの日。

このアヒルの日、毎年クリスマスの前に家族で集まって字の通り、アヒルを食べる日なんですね。ヨーロッパでクリスマスと言えば、家族の集まる日。では、それをクリスマス前にするなんて、、、。って話なんですけど、これは家族事情というのか。大きな家族で、ユリ君の姉妹も結婚している人が多くてそれぞれの家族があって、それぞれのクリスマスがあるのでクリスマスは忙しい。それなら、クリスマス前に家族で1回集まる行事をと設けられたのが、このアヒルの日。

今回はユリ君の家族12人が集合。本当は14人だったのですが、2人は気分が悪いので不参加。それでもね、12人って多いですよね。お義母さん料理だけでも大変だろうなと。

メニューはタイ風のスープから始まってサラダ、そしてメインのアヒルの丸焼きにグレービー、キジをソースでソースで煮たもの。サイドもあってお腹はいっぱい。もう食べれないって思うけど、止められずに食べちゃうんですよね。お義母さんの料理美味しすぎる。ごちそうになりました。

実は僕たちはクリスマスにまた来るんですがね。だから、また美味しごちそうにありつけれるので今から楽しみなのですが。それで今年のクリスマスはユリ君の両親、僕たち、そしてユリ君のお兄ちゃんと5人だけのクリスマス。いつもとは違った静かなクリスマスになりそうです。

昨日の夜、帰ってきたんですが、帰ってきたら一気に疲れが。もちろん、楽しかった週末だったんですよ。みんな優しいし、おいしいものも食べれたし。だけど、やっぱりどこかで気を張っているんでしょうね。ほとんどの会話がドイツ語の中でかなりの集中力を使っていたんでしょうね、家に着いた時にはもう、眠い。眠い。眠い。どうやら僕の脳はかなりこの週末で疲れたようです。

あと、面白い本をお義母さんがくれました。これ、子供用で文字とともに色々な絵文字があるでしょ?これが新しい単語で、繰り返し繰り返し読むことで単語を覚えるというもの。本当にありがたい。

今日から思う、2019

太陽はもう、さよなら。朝からずっと曇り空というか薄い霧が1日中、町の中を覆っている状態。何かおとぎ話の悪いことが起きそうな雰囲気。ただ、曇り空の日は気温も下がりすぎないのは有難いかな。

そんな日は家の中にいます。それのお供になるのは、ローフケーキ。最近、お菓子作りをしていなかったので何かをしようと昨日始めたわけなんです。ただ、ユリ君はクリームたっぷりとか、チョコレートたっぷりというケーキなどは食べないので、あまり甘すぎなくて、シンプルなものだと食べるだろうなと思ってローフケーキ。そして、あまり具を多くしてもなので、シンプルにバナナ。これを焼いて、今日はその一切れを食べながらこの記事を書いています。

このケーキ、しっとりとして美味しい。バナナの味はそこまで強くはなくて、ふうわり味わえる甘さ。紅茶とともに食べています。1日の幸せな時間。ユリ君は昨日、一切れ食べたけど今日はどうかな?

あと、今日はユリ君が仕事から帰ってきたら自営業の最終申請に行こうかと思っています。昨日の夜に申請書類に記入は終わったので、あとは認めてもらえるだけなのかなと思っているのですが。どうなのかな?

ここ最近は英語の先生になるための教材探し、教材づくり、あとは自分の英語のブラッシュアップをやっているところです。あー、楽しみ。

楽しみと言えばこれ。

どうかな?わかるかな、、、。僕のブログを読んでいる人は、年末のこの時期にこの写真だとピンと来る人もいるのではないでしょうか。これ、来年の日記帳なんですよね。

もう長いこと書いている日記。きっかけはロンドンに引っ越した時なので2006年かな?それから毎年書いていて、その年ごとに新しい日記帳を買う。今まではPaperchaseという、たぶんイギリスの会社で素敵な文房具をそろえている会社なんですよね。それで、この7-8年はここの、ちょっと高そうな本づくりの日記を使っていたのです。今年もそれをイギリスで飼おうかなって思ってウェブを見たら、、、、。ない。ない、、、。ない!!

そう、今まで使っていたスタイルの日記がなくなっている。昨年はあんなにもあった種類が、一つもない。。。

それからドイツのアマゾンで探すも、日記ってあんまりないんですよね。どうなんだろう、もう書く人が少ないのかな?あー、今年はもう普通のノートに書くか。けど、味気ないな、、、、。って思っていったんウェブ検索を終了。

そして次の日、なんともなくウェブを見たら見つけちゃった!!それがこれ。A5サイズで1日1ページ。ちょっと書く行数は多いけれど頑張ろっと。

 

実は星の王子様エディションなんですよね。このシンプルだけど、ユニークなデザインが気に入って今から来年が来るのが待ち遠しいです。

変わるもの、その中に生きるもの

あれ、雨の予報だったのに。なぜか、太陽が顔を出している。こんなことなら昨日、洗濯も、買い物にも行かなくてよかったじゃんって思うのですが。けど、昨日は本当に気持ちの良い冬の空で、あれはあれでよかったなって。

温度も低かったのですがダウンジャケットを着ていたので、帰り道は少し暑く感じるほど。冷たい空気は肺に気持ちいいし、キラキラ光る太陽の光は肌に気持ちいいしで、往復40分の道のりもあっという間でした。

そうそう、最近は学校もないし、寒いので出かけるのが億劫だったので見知らぬ人に挨拶されることが少なかったのですが、スーパーからの帰りが学校の帰り時間と重なって、ハローって挨拶されました。

良く挨拶をしてくれるのは小さな子供が多いのですが、今回はローティーンか12歳ぐらいかな?一人で自転車に乗っていて、結構体も大きい感じの子で。アラブ系なのかな?褐色の肌の子で、向かい側から来ていたんですよね。するとすれ違いざまに、にっこり笑って挨拶されました。反抗期の雰囲気も、恥ずかしがる雰囲気もなく、素直な笑顔とあいさつで、こんな純粋な子もいるんだなってかわいく思えました。

いいですね。こうやって見ず知らずの人から挨拶されるのも。

僕の子供のころはかなり挨拶魔だったなって思います。東京とか大阪などの大都市で子供時代を過ごすと、知らない人に挨拶したら気味悪がられるでしょうが人口1万人の町では挨拶はしないとダメだったんですよね。「挨拶運動」というものがあったりで、登校中に出会う人には元気に挨拶をしましょうというのが鉄則でした。それだから、今でも阿蘇に帰ると知らない人でも挨拶します。向こうはびっくりしているときがあったりしますが、おじいちゃんおばあちゃん世代はこの突然の挨拶にも受け答えが早い。「あら、車も使わずにえらいわね。」、「あなたはどこの家の子かい?」と様々な変化球の答えが返ってくるのは面白いなって。

けど、これって育ったところで変わってきますよ。これはもちろん時代を含めて。

何か最近思うことがあって、家族だからって見て着た景色は違うなっていう事。もちろん、一緒に時間を過ごしてきた時間は似たような経験をしているのでしょうが、それでも家族の中でも価値観は1人1人違うので同じ時間を過ごしてもちょっとは変わってくるわけで。

けど今回は、僕の祖父母と親が子供だった頃の時代について。もちろん、子供のころに聞かせられた話が合って、そこから想像はできるわけですよね。そっか、こんな感じだったんだろうなって。けど、そこにはどうしても自分の子供時代のイメージから湧いてきた想像でしかないので僕の価値観から生まれる想像図でしかなくて。

けど、本当はそこに時代背景とか、政治の状況、経済状況も加味されたり、その頃の子供への教育方針も違っているわけですよね。僕の祖父母は戦争中に学校に行っていて貧しさと辛抱の中で育って、僕の父母は経済高度成長期に教育を受けて、勢いがある日本で育ってきて。僕が小学校の時にバブルがはじけたので、僕はなんとなく暗い日本社会の中で育ったわけで。

そんなことを考えると、映画を見るのが面白いなって。特にジブリとかのアニメはいいですよね。僕の子供時代は「耳をすませば」が代弁してくれて、母や父の子供時代は「コクリコ坂から」がちょうどいいころ。祖父母のころは「火垂るの墓」。この時代に子供時代を僕の家族が過ごしたんだなって思うと少しだけ、今まで僕が持っていた家族の子供時代の想像図が変わってきて興味深いんですよね。

そんなこともあって、最近昔の日本の姿を見るのが好きなんです。例えば、100年前の日本。

たった、100年前ですよ。それなのにその町の姿は全くをもって別物。驚くくらいに。だって東京なのに高い建物なんてないんです。ほとんどの人が着物を普段着で着て、道に車はほとんど走っていなくて路面電車と徒歩の人が多数。荷車なんてのもよく映ってます。全く別世界の日本。こんなに風景は変わってしまうのだなって、映像をもって見ると感じます。

あと好きなのが、60年代の日本の典型的な家の1日を映した映像。これが、僕の両親が子供時代の風景なのかと思うと本当に興味深い。そしてこの中には、僕の子供時代も見たことがある物が出てくるのも楽しんですよね。

この二つどちらもユーチューブで見れるので探してみてくださいね。

これからが始まりかな

太陽が朝から差し込んで素敵な朝。どうやら明日も晴れた天気になるので、うきうき。明日は洗濯をして、20分ほど離れたスーパーへ買い物へ行こうと考えています。って思って今、天気予報を見たらいつの間にかに明日は雨の予報。あれ、昨日までは晴れだったのに、、、。じゃ、今日、行かなきゃなー。メニューを考えなきゃなと、急遽、僕の頭は忙しく働いています。あ、洗濯物もじゃ、今日しなきゃ。ちょっと、まわしてきます。

ふー。洗濯機をまわしてきました。これでどうにかなるでしょ。

そうそう。最近はすることが多いんです。ケータイを買い替えて、番号も変わってそれに順応するのに時間がかかったり、クリスマスの準備をしたり、そしてフリーの仕事を始めるので、その書類を書いたり。フリーのフォトグラファーとしてドイツでも頑張っていこうと登録をしに先週、役所に行ってきたんですね。

ドイツってルールでがっしり固められているのですよね。今回訪れたのは役所の分所のようなところで小さなオフィス。ドイツ語は僕一人では対応できないのでユリ君が同行してくれました。そこで、フリーのフォトグラファーになりたいというと、、、、「うーん。フォトグラファーは確か、保護すべき仕事の一つじゃなかったかしら、、、、。」って言われて。なんだ、保護されなきゃいけない仕事とは?って思ったのですが、どうやらある種の仕事は誰でも名乗ってなれるものではないだそう。例えば、パン屋さんとか。その中にフォトグラファーが入っているのではないかということなんです。この囲いに入ると、まずは弟子入りして、試験を受けて合格しないとその仕事をすることができないという事。そうだとしたら、僕はいつフォトグラファーになれるんだと途方にくれたのですが。

オフィスの人が言うにはその手続きはここでは出来ないから、大きな役所でしなきゃいけないといわれました。まずは記入書類だけもらって、あとは電話で大きな役所に相談を。もちろんユリ君が聞いてくれたんです。ラッキーなことに昔はフォトグラファーもこの「保護職業」になっていたのですが今では問題なく僕でもフリーになれるのだそう。一安心。一昨日、その手続きを終わったという書類が届きました。あとは、またあの分所に戻って違う手続きをすれば個人事業者として仕事をスタートできるわけです。

あと、覚えていらっしゃいますか?僕が最終面接を受けるって話。その結果が来ました。

無事に合格しました。これでまた、新しいお仕事を始めていきます。けどね、これ写真の仕事とは関係なくって。

じゃ、なんだ?って話なんですけど。

僕も考えたんです。すぐには写真の仕事が来るわけもないしな、だけどただ仕事を待っているだけでもしょうがない。じゃ、どうしよう?何か出来ることがないのかなって考えていてウェブで探していたら、見つけちゃったんです。

オンラインで英語の先生をする仕事。しかも、その会社が今、講師を探しているという事。これは!運命だ!!と思って応募しました。

そして、書類審査、映像審査、そして最後の模擬授業を終えて、この度、英語教師に雇ってもらえることになりました。

まだ、ドイツでの個人事業の登録が終わっていないのと、12月の終わりはユリ君の両親の家に行ったり、1月にはスキー旅行もあるので先生と活動し始めるのは1月半ばからにしてもらいました。今は、その準備をしているところです。

新しいことをするのは楽しいですよね。あー、どんな生徒と出会えるのでしょうか?今から楽しみ。

 

冬の日本料理を考えてみて

さて、週末が終わってまた、月曜日ですね。しかも暦が12月に。2018年、残り一ヶ月もないということに驚きます。

週末はユリ君の調子が冴えなくて咳ばかりをしていたのですが、僕の髪が伸びすぎているからと切ってくれました。これでユリ君が僕の髪の毛を切るのは2回目かな?かなり短くなってビックリなのですが、髪もいつかは伸びるのでしょうがないかなと。ユリ君が多分悪いんじゃなくて最近生え際があがって来てるように思うんですよね。サイドも寂しい感じだし、もう短いのは無理なのかも。これも年ですね、、、。ってちょっとしんみり。

そうそう。ユリ君からアドベントカレンダーをもらいました。これは、大きな箱で、その上にクリスマスなどのこの時季の絵が描いてあって、そこには小さな扉が。その扉には番号書きされてあり、12月1日からクリスマスまでその日の扉を開けるというもの。おもちゃや、お菓子などがほとんどですが、大人用にジュエリーだったり、靴下だったりするものもあるようです。

ユリ君がくれたのはレトロなドイツの町が描かれた絵のアドベントカレンダー。ドイツでは有名なマジパン菓子の老舗のもの。マジパン好きのユリ君ならではのチョイス。もしかしたら自分が食べたいのではと思い、一つ上げようとしましたが拒否されました。これはあくまでもTakのだからって。なので、今日で3つ目のマジパンを食べたところ。しかも嬉しいことにこれ、クリスマスで終わらないのです。なんと来年のお正月まで続く少し長めのアドベントカレンダー。日本だとクリスマスよりもお正月のほうが盛大でしょ?だから、お正月まで続いてくれるのは嬉しいな。

最近は寒いのでスープだとか、オーブンで焼いた熱々の夕飯が続いています。昨日はユリ君があまり調子がよくないからというので、健康的な夕飯がいいとのリクエスト。なので、レンティル豆がたくさん入った、スープを短いパスタで一緒に煮たものに。今日の夕飯は豚肉、クルミ、リンゴを炊きあがったご飯とともに混ぜ合わせる、ちょっと不思議な混ぜご飯を作る予定。

いつもそうなんですけど、特に冬は日本の料理が美味しいもの揃いで、羨ましい。おでん、、、、。って考えて多分、僕はおでんが食べたいんだと。鍋はそこまでかな、、、あ、けどキムチ鍋はおいしい。冬の料理かはわからないけど、御節もおいしいし。って考えて、すぐに冬の料理が出てこない僕。これも海外生活が長い弊害。何となく雰囲気が好きなのかも、日本の冬の。

けど、気になるなと思って調べてみました。日本を代表する冬の料理。

って調べてみたけど、あんまり納得できる答えが見つかりませんでした。探したウェブサイトが悪かったのかな?たくさんの鍋はあったけど、鍋は総合して1つでしょ。そのほかにあったのが、焼き芋、雪見大福、たこ焼きにモツ煮と出てくるはいろんなものが。

中には納得するものも。お汁粉。これは確かに冬がいい。数の子、これも冬というかお正月感満載。ふろふき大根。これも素敵。赤味噌と食べたいな。

多分僕がこんなにも冬の日本食に憧れているのは、今おでんがものすごく食べたいこともあるけれど、僕の思い描く冬の家庭のイメージではないかなって。オアk族が温かな食卓で一緒に大きな鍋を囲んで食べている絵図。その後は、こたつの中でみんなでミカンでも食べながらテレビを見ている風景。そんなこたつの上にはおばあちゃんが広告から作ったミカンの皮入れようのいれもの。

そっか、そうなんだ。僕が恋しいのは日本の冬の食べ物というよりかは、その雰囲気なんだ。うん。合点がいった。

 

同性愛は環境によるものか遺伝よるものか

グレーの雲が広がった空ばっかりを最近はずっと眺めていたので、久しぶりの晴れ間の金曜日に心が少しだけ踊っています。冬場の太陽の有難さ。太陽の光を浴びれるうちに浴びておかないとね。だって、最近は午後5時にはどっぷりと夜の闇にここは包まれてしまうので。

ユリ君も今日の夜には1週間の研修を終えてベルリンから帰ってくるので、それもまた僕を容器にしているのかもしれませんね。やっぱりひとりで眠るのは、寂しいもの。普段なら就寝時間は夜の9時半から10時の間なのに、この1週間は午前零時か1時という遅さ。その時間なら僕の脳みそも疲れていて、あまりひとりで寝ることを考えなくて済むからって言うのがあるんですよね。なんなんだろう、この寂しがり感は。たぶん、それは僕の見る夢に関係がしているとは思うのですが。

僕のブログを読んでいる人はご存知のように、よく悪夢を見るんですよね。しかも続けて1週間とか。悪夢への抗体もできてはいるのですが、それでも起きた時には泣いていたりとか、叫んで起きたりとか、空中に思いっきり蹴りを入れて起きたりとか。そんな時に隣に誰かがいると本当に安心なんですよね。夢と現実の間が虚ろの目ざめの時は特に。それでちゃんと、「あれは夢だったんだ。」って気がつけばまた眠れる、その安心感。

だから、ユリ君がいないときは不安なんです。悪夢を見るんじゃないかなって。それで、遅くまで起きていれば脳が疲れて夢も見にくいんじゃないかという安易な考えで夜更かしをしているという訳。

そうなると、時間つぶしに何をするかとなるのですが。最近は便利なものが多いでしょ。そのひとつにユーチューブがあって。僕の好みのものをお勧めしてくれたりもして便利。多分皆さんもそうでしょ?

そんなお勧めの中に興味深いものが。

僕はゲイとして生きて、長い間がたちます。幸運にも理解ある両親の元に生まれ、アメリカも、イギリスも、そして今住んでいるドイツも同性の結婚が許されている国に住んでいます。世の中には今でも、同性愛であるから死刑、または懲役になる国も多いですからね。日本は同性愛者への社会的保障などはかなりの後進国でしたが、最近は国会でも議題になるほどでこれから10年でで目まぐるしく変わってくるのかなって僕は予感しています。

そんな同性愛なんですけど、よく言われることで、「いつから気が付いたの?」ってこと。僕は小学校の高学年かな?そこで次に出てくるものが、同性愛は生まれつきのものなのか、環境によるものなのかという話。

僕は個人的にはどちらも関係があるのではないかと思うのです。DNAの中に同性愛になりやすい要素が入っていて、それで同性愛者になることもあるだろうし、環境がそうさせることもあると思うんですよね。それは人によるものかもしれない。僕のスタンスはどちらかと決めるのでなく、どちらも可能性があるのではないか。まずは否定をするのでなくて、1回その考えを自分に取り込んでみて自分なりに消化することが大切だなって。

ユーチューブのビデオを貼りますが、英語なので英語が得意な人は僕の説明よりも、彼の話を聞いたほうがいいのでビデオに進んでくださいね。大体の内容を僕なりに書いてみました。

この話をしている人はお医者さんのジェームス・オキーフ。奥さんと、子供が4人の父親でもあります。ある夏の日、18歳になった長男が自分はゲイだとカミングアウトします。彼を受け入れたジェームスと奥さん。そこでジェームスは科学的面からどうして人の中には同性愛者がいるのかということを考え始めます。

ゲイは子供を産むことができないので、子孫を残すことができない。つまりは、人間としての欠陥ではないのか?そんなことが言わたりしますよね。けど、進化の歴史を見ていけば人間に限らず動物にでも同性愛傾向にあるものが多く存在する。もし、同性愛が遺伝子の異常で生まれてきたものならば、長い進化の歴史の中で淘汰されているはず。それなのに、今も同性愛が生まれてくる。つまりはその存在に意味が、その必要性があって同性愛者というものを生み出しているのではという考えに至ります。

ね、興味深いでしょ?よく、同性愛を罰する国で言われている、「自然のおきてに逆らっているから、同性愛は罪だ!!」と言う大義名分をひっくり返す主張ですよね。同性愛者が生まれるこそが自然のおきての一つだといっているわけですから。

では、何の必要性か?

皆さん、性行為の時にコンドーム使うでしょ?あれって性病の予防ももちろんありますが、大きな目的は妊娠しないってことですよね。避妊のためにピルを飲んでる人もいるでしょう。実は、同性愛者が生まれることで人口がネズミ算的に増えるのを抑える役割をしているのではないかということです。例えば、4人の男の子が生まれます。上の3人がストレートで結婚して子供を産む、そうすると人口は3人増えますよね。だけど、それ以上に子供を持つこともあるわけで。それがどこの家庭でも行われば、世界の人口はどんどん膨れ上がって食料が足りなくなる。そうならないためにも、子供の中に大人になって子供を作らない人間が必要になってくる。つまりは沢山子供がいる家庭の末っ子になればなるほど同性愛になる確率が増えるというのが一説。

次にジェームスは、アリの話をします。アリは人間と同じで共同体に重きを置く昆虫なのだそうです。一枚の写真が見せられ、1匹は小さな働きアリ、もう一つは働きアリの3倍以上の大きさを持つ兵隊アリが写っています。実はこの2匹、同じ女王アリから生まれてDNAもほとんど変わらない。ではなぜこんな違いが出てくるのか?それは、その女王が住む共同体がどのような状況にあるかで決まるのだそう。例えば、アリ塚が他のアリや昆虫から襲われている、そんな時は兵隊アリが生まれるようにし、アリの人口が増えてエサが少なくなってきていると、働きアリを多く生むようになっているのだそう。もちろんアリの女王が頭で考えてそうするのではなくて、自然的にそうなるです。

これが人間にも言えるのではないかと、ジェームスは考えます。ジェームスのゲイの息子は長男で、最初に示した人口を制御する機能としての同性愛には当てはまりませんよね。だって、一番最初の子供ですから。では、なぜ息子はゲイになったのか?ここでジェームスの奥さんが長男を妊娠した時の話になります。実は長男がおなかにいる時に奥さんは乳がんの宣告を受け、治療をすることになったのです。つまりは、自分の体が攻撃されている状態。そんな出生前のストレスが、DNAの中にあるといわれる「同性愛スイッチ」をオンにするのだと。「私は生き延びれないかもしれない。その時に誰かが代わりにこの家庭をつなげる役目にならなくては。常に戦うような人じゃなくて、頭脳を使って穏やかにまとめ上げれる人が必要になる。」そんな危機的状況に体が反応して「同性愛スイッチ」を作動させる。

さて、このDNAの中の同性愛スイッチ。ジェームス曰く、みんなが持っている可能性があるのだそう。ただ、そのスイッチが入るかは生まれる前の環境が大きく作用をしているのではないかとうこと。そして同性愛スイッチが入ると、生まれてくる子供は攻撃的な面がなく、思いやりが深く、感情を上手くコントロールしてみんなを束ねる力を発揮する人になりやすいのだそうです。それだからか、独独身女性がボーイフレンドを探すときに繊細で、話も聞いてくれて、ユーモアもあるあの男性、完璧なのにゲイなのよね。って言うのもうなずけますよね。

どうです。面白いセオリーだと思いませんか。ジェームスが最後に言う通り、この説はまだ未発達の段階。確かに、そうかもしれません。だけど、このように考えていくと、同性愛は自然に生まれてくるものであって、特別でもないと思うと受け入れやすくなりますよね。

このスピーチ、この説を彼が実証したいというものでは思うんです。それは、最後のところでわかります。世界には同性愛者だからと言って死刑になる国、懲役になる国がある。また、同性婚が許されるアメリカであっても今でも同性愛者だからと言っていじめらる子供が多いのも事実。統計では29%の十代の同性愛者の子供が自殺を試みるのだそう。

つまりこのスピーチは同性愛者を持つ親へのメッセージなんですよね。自分の子供が同性愛者だったからと言って、自分の子育てが間違ったのではないかと、自分を責めないで。同性愛者になるということはDNAが自然に決めたことで、そこには何の罪もないし、当たり前のことなんだからと。また、自分の子供を自然に逆らって無理に異性愛者にさせないでと。

久しぶりに心震えるスピーチを聞いて、どうしても記事にしたくて書きました。皆さんにもこの感動が伝わればと思います。

クリスマスの足音

もう11月も終わり。早いですね。秋ではなく、もう冬のドイツ北西部。寒い。この時期はどの町でもクリスマスマーケットが始まります。僕もこれで2回目のクリスマス。クリスマスでは温かでスパイスやオレンジで煮た赤ワインが飲めます。あとはね、クリスマスの飾りとかもあるけど、なんとなく飲み物を飲みに行くのがメインな気がする。もちろん、都会だとプレゼントの露店とかも多いのでしょうが、片田舎は食べ物屋台がほとんど。

クリスマス、なんか世界共通なのかなって思っていたけれど、クリスマスとは言わずヴァイナハタテンって言うのですが、時に度忘れするんですよ、この言葉。けど、クリスマスっていう単語もいろいろな所にあるんですよね。

英単語とドイツ語単語のせめぎあいみたいな。

アメリカやイギリスともクリスマスにすることも違うのも面白いんですよね。もちろんクリスマスツリーとか、プレゼントなど同じところもあるんでよね。だけど、例えば魚を食べるとか。これはもしかした、みんなではないかもしれないのだけれど、ユリ君のお父さんが大きなサーモンを軽く塩漬けしたもの?スモークサーモンに似てる感じのものを食べたり、4本のろうそくを灯したり。これはクリスマスになる4週間前から始まって、最初の週は1本だけ、次の週は2本と最後の週で4本に灯りがともされます。だから、最初のつけられルロウソクは大きめ。だって、1月の間耐えないといけないですからね。あと、一番違うなって思うのはクリスマスの食事の日。これはイギリスでは絶対に25日。けど、ドイツでは24日。びっくりでしょ?

うーん。西洋に住まない人はあんまりびっくりしないかな、、、、。なんていうんだろう、御節やお年玉は元旦でしょ、って思っていたら、「いや、僕のところは大みそかだよ。」みたいな驚き。どうだろ、わかってもらえるのかな?

この時期は特に暗さを増すドイツの1日。なので、クリスマスは希望の光のようなところがあって、だから家族や友達と会うことも多い気がします。

僕たちも例外に漏れず、来年の1月まで色々な行事で埋目尽くされている感じ。ブレーメンへのクリスマスマーケットにはユリ君の親友たちと出かけ、ユリ君の両親の家で行われる鴨の日。鴨の日はユリ君の家族は少し複雑なのでみんながクリスマスには集まれないので、鴨肉を食べる日を設けてみんなで大集合するイベント。そして、クリスマスの集まり。これは今年は小さいっぽい。ユリ君の両親、僕たち二人、上のお兄ちゃんだけかな。クリスマスの次の日は一番上のお姉ちゃんとブランチだとか。その後、ユリ君の育った町の人々とともにオーストリアへ移動してスキー。1週間すごしたら、僕たち2人だけでフランスに移動してスキー。

どんだけスキーするんだよ?って話なんですけど。スキーが好きなユリ君にとっては幸せな2週間となり、昨年スキーを始めたばっかりの僕にとってはまた頑張らなくてはいけないスキーシーズン。時にオーストリアではユリ君は指導員で僕とは一緒にはいないので、僕は他の初心者の人と頑張ってスキーを習うことに。友達、ちゃんとできるかな?と不安な面もありますが、頑張るしかないですよね。

 

今あるもの、今ないもの

驚くことってありますよね。「えっ!!あ、そうなんだ、、、。」なんというのか今回のは驚いたけど、その後は寂しさが続く驚き。これはどうも年齢を重ねてくると訪れてくるものなのかなって最近のニュースを見ると思うんですよね。子供のころはそっか、そうなんだね、そういうこともあるよね人間だからって思って流していたニュースが、最近は驚きをもって自分の中に取り入れないといけなくなった気がします。

それは、人の死。

子供のころはあまり有名人が亡くなっても、自分よりもはるか年上だし、そこまで知っている人でもないので衝撃というものがなかったんですよね。けど、自分の知っている有名人が最近、亡くなったニュースをウェブで見るたびに、「え!!この人が!!」ってことが多くて。

今日もね、いつも通りニュースを見てみたら勝谷誠彦さんが亡くなったニュースが出ていてびっくり。それとともに寂しさも。こんな風に書いてしまったら不謹慎なのかもしれないけれども、死因が肝不全。しかも、どうやらアルコールによるものだとか。彼らしいなって思わず思ってしまいました。

勝谷誠彦さんってご存知ですか?結構、右寄りの発言で辛口のコメンテーターとしてテレビでもみかけたことがあるかもしれませんね。小説も書いていて、物凄く知識が広くて、話ののテンポも上手。彼のことを知るようになったのは本当にこの数年。カツヤマサヒコShowという番組を偶然見かけたのが始まり。

この番組、お酒を飲みながらゲストと深い話をしていくんですよね。これが面白い。ゲストも様々で、漫画家、お笑い芸人から脳科学者、元海上幕僚長に政治家など様々。時には極端な意見の時もあるけれど、面白いい話がきけて僕はよく見ていたんですね。そんな勝谷さんがもうこの世にいないとは、なんとも不思議で物悲しいなって。

人はこのように生まれればいつかは死ぬってことはわかっていることだけれど、やっぱりそれ受け入れるといいうことは簡単ではないですよね。

物悲しいといえば、僕の今週の生活も物悲しい。

なぜかというと、ユリ君が今週はいないんです。ベルリンに1週間の研修で。なぜなんでしょうね。自分の自由な時間は沢山あるけれど、その時間を持て余している自分がいる。特に夜は寂しさ丈がこんなにも伸びるなんて。

大人になって独り暮らしをして、ひとりで眠ることも一人でご飯を食べることも普通になったと思っていたのに、ひとたびユリ君との生活が始まって寝食を共にするとあそれが当たり前になって、ひとりのご飯や、ひとりで眠るのが何となく不安で物悲しい。もちろん金曜日の夜にはユリ君は帰って来てまた、今まで道理の二人の生活が始まるのだけれど。

こんな時にはよく、自分の小ささが、子供っぽさがわかるなって。そして、自分の生活にユリ君という存在が大きな割合を占めているということも。

二人の生活が当たり前の時は、そのことに気が付かないことが多いけれど、こうやって身をもって感じると相手への思いが顕著になってその存在感の有難さを感じる。

早くユリ君、帰ってこないかな。