精神病がもたらす恩恵

何かが上手くいかない時ってありますよね。しっかりとやったのにこの結果ってないよね、みたいなそんな気持ちになるとき。昨日が何となくそんな気持ちを引きずる日で、そうするとすべての物事がうっとうしく思えてしまって、気分まで沈みがちに。すべての悪いことが関連しているかのように錯覚してしまって、”あー。負の連鎖だ。悪いことって一気に起こるよね。”なんて思ってしまいません?

しかも、ユリ君にまで何となくつれない態度をとってしまったり。36歳なのに大人げないですよね。甘えているといえば、聞こえはかわいいけどね。

そんな日の翌日、朝を起きたら何となくスッキリしていました。”あー。何かひとりで空回りしてたな。”って。もっと長い目で物事を見ていく力が必要だったみたいです。確かに今は問題で、気分を害しそうなことだけど、これがあと半年や1年という長いスパンで考えるとそこまで問題ではないなって。それなら、今の時点でウダウダしてたって時間の無駄なって。そしたら、霧が晴れるみたいに視界が開けました。

何か困難にぶつかるとどうしても、自分の殻に閉じこもってしまいますよね。深くも考えもせずに、”これは無理だ。そんなのは出来ない。”ってほかの人が差し伸べてくれるアドバイスを拒絶したりして。僕にはそういうところがあるので、いつも反省するんですよね。だから、今回は少しだけその殻から出る練習だな。って。人生って学ぶこと多いなー。

さて、最近読み終わった本があって、これが面白かったのでご紹介を。

ナシア・ガミー著、一流の狂気 心の病がリーダーを強くする という本。写真にある4人が誰かお分かりですか?日本でも有名な人物ばかりですよね、ガンジー、ヒトラー、J・F・ケネディーにウィンストン・チャーチル。

 

 

うつ病って、今よく耳にする精神病ですよね。世界では推定3億5000万人が患っているとみられているんです。これって日本の総人口以上だし、癌の患者さんは世界で1270万に程で、認知症の患者さんが世界で3560万人なので、その数の多さが一目瞭然ですよね。精神的な病気と聞くと、ネガティブなイメージを持つ人が多いのは事実、だけど精神病って意外と自分がなっていたり、友達や家族も気が付かないうちになっていたりするもの。それをもっと身近に知るということが今の世の中には必要ではないかと僕は思うんです。

かといっても、医学書読んで詳しくその症状や対処法をと言っても、面白くありませんよね。じゃ、世界で有名な偉人や、人物が実は精神病で苦しんでいて、その精神病があったがゆえに国民のリーダーとしての才能を発揮できていた。そう考えると、精神病というのは使いようによっては物凄いギフトにもなりえるという事を書いたのがこの本なんです。ね、面白いでしょ。

まずは、この作者の略歴を。著者のナシア・ガミーさんはイランのテヘランに生まれましたが幼いころに家族でアメリカに移住。大学では歴史学を専攻。その後、脳外科医だった父の影響もあってか、医学の道を進みます。また同時に哲学も学んでいます。なので、お医者さんとしただけの観点からでなく、様々な角度で物事を見て、書けるのも彼の本の面白かと。

ここで取り上げられている人物は、ほとんどが躁うつ病を患っていたのではないかとナシア・ガミーは考えています。その人物たちはアメリカ南北戦争で活躍したウィリアム・テクムセ・シャーマン、ケーブルテレビニュースを作り上げたテッド・ターナー、第2次世界大戦で勇猛な指揮をしたイギリスの首相、ウィンストン・チャーチル、アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーン、非暴力・不服従でインドの独立運動を指揮したマハトマ・ガンジー、ダラスで銃弾に倒れたジョン・F・ケネディ、第2次世界大戦でナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラー、公民権運動の指導者として有名なキング牧師。

ね、名前を挙げただけでも、”え!!この人もそうだったの?”っていう人が出てくるでしょ?もちろん、この中には公には精神病を患っていたと言っている人は多くはないのですが、著者が精神医学の診断の証拠として取り上げられる4つの項目、症状、遺伝、疾患の経過、治療に重点を置き、様々な文献を調べて得た情報により彼らが精神病であったと裏付けしていきます。

内容を細かく話していくときりがないのですが、面白いのは、このような精神病を患ったリーダーは国が安定しているときは、どちらかというとその力がうまく発揮されずにどちらかと邪魔者扱いされることが多く、ただ、国が不安定で何かの危機に面している時にはものすごくその才能を開花させるという事。これはウィンストン・チャーチルの項を読むとわかります。本当に面白いですよね。

後は、精神病とうまく折り合いを合わせることが出来なくて、制御不能になってしまったヒトラーの話だとか、世間で非難を浴びたジョージ・ブッシュのイラク侵攻。世間では頭が悪く、精神疾患があるからあんなことが出来るんだと非難する人もいますが、実は彼は精神的には健康で、頭の良さもある。ただ、そのような精神的に健康な人は危機の間面で思ってもいない誤った判断をすることが多い、それがジョージ・W・ブッシュがいい例だと言っているんですね。面白いでしょ。

確かにこの本は少し噛み応えがあるので、時間がかかるかもしれませんが、面白さと奥深さはありますよ。

精神病を病気だと思わずに、うまく付き合っていけば有効利用できる。これってものすごく、面白い考えですよね。

30年前と今の面白さ

秋の長雨。って素敵な響きじゃないんですか?あまり気温の上がらない湖の湖畔を家の中からみて、遠くには山があってその姿も、雨の白さに少しけぶっている、そんなイメージを僕にはわき起こしてくれるんですよね。

それで、秋の長雨っていつ頃なんだろうと調べてみると停滞前線が日本列島にかかることが多い9月中旬から10月上旬の長雨の事らしいんですね。その他にも秋霖(しゅうりん)とも呼ぶそうで、秋霖のほうがもっと僕のイメージにぴったりだなって想像の世界に入ってます。

言葉が喚起するものって、いいですよね。時にはある時の記憶に、時には想像の世界に連れて行ってくれるから。日本語が僕の母国語のためか、日本の言葉にはその作用が特に強くあるように思います。

そんな雨の話をしたのは、ドイツの北西部は昨日は朝から夜まで風が強く、横殴りの雨の1日でした。昨夜の晩に目が覚めると、何か物音が。なんだろうとよく聞くと、屋根を打つ激しい雨音でした。今朝の朝もぐずついたほら模様でしたが、今は雲が多いけれども雨はやんでいる状態です。

そんな秋のドイツを旅した人の本をついこないだまで読んでいたんですね。

背景のぐちゃぐちゃと書きなぐってあるのは僕のドイツ語の勉強の成果。ドイツ語の勉強の一休みとして読んでいたんです。ドイツ語を頑張った僕へのご褒美に。

作者は宮本輝(みやもとてる)。この本をよむまで知らなかった作家ですが、ドイツに関する本を見つけている時に巡り合ったんですよね。著者の作品のひとつ、”ドナウの旅人”。物語は舞台をドイツからルーマニアとドナウ川に沿って、母と娘を中心に進んできます。その物語のリサーチをしようと宮本さんがドイツを訪れたときの旅エッセイが、この異国の窓からなんですね。

この本の単行本が出版されたのが1988年の1月。ベルリンの壁崩壊が1989年の11月なので、このころは西ドイツと東ドイツに分かれていたころなんです。旅の始まりは西ドイツ、そしてオーストリア、祖bの当時共産圏だったハンガリー、今は無きユーゴスラビアやブリガリア、そして旅のおわりルーマニアへと続いていきます。

およそ30年前に書かれたこの本。ところどころに今との違いなどを感じたりします。まず、このころの日本はバブルの中で絶好調。宮本さんも本の取材のために新聞社の人、それにあと2人の計4人での旅。散財しているとは言いませんが、何とくお金には不自由していない感じは伝わります。あと、宮本さんの言葉が今だったら、セクハラ!って言われそうな時もあって。だけど、この時はそれは当たり前だったんでしょうが。もちろん、各国の社会的な仕組みも、政治政策も今とは全く違うので、今とを対比させながら考えて読み進んでいくのも面白かったです。

実は最初読み始めは、、宮本さんの感じになじめなかったんですが、読み進めていくうちに”いいおっちゃん”だな。って思えてきました。なんとなく誤解を生みそうな言動や行動があったりするけど、根はやさしんだなって。

この旅を基にしたドナウの旅人を今度日本に帰った時には読んでみようかと思っているところです。

北の大地からの誘惑

日本はすでに金曜日の朝ですが、こちらはやっと金曜日になったところです。

昨日は朝から起きて、いろいろな所に手紙を出しに行ったり、手続きをしたりと動いていたら午後3時。なんにも食べていないのに気がついて遅めの昼食に。バタバタがあと数日間は続きそうですが、頑張ります。

イギリスも昨日は雨の予報が覆り、太陽光が注ぐ暖かな日で夏日和。色々なところに歩いていかなくてはいけなかったので、この天気には救われました。夏日とは言っても、日本のように残暑厳しいものではなくて涼しげな風が吹き抜ける感じで熱帯夜とは無縁のロンドンです。あと、蚊がほとんどいないので網戸なしで窓を開けっ放しでいられるのはいいですよね。

そんな涼しい夏がイギリスの良さですが、もっと涼しいとこもありますよね。

それが今回お勧めする本。

 

前にこんな本読んでますって紹介したと思うのですが、ドイツまでの電車の旅で読み終えました。

これ、アドベンチャーも何にも知らないコミック画家のご主人と、その奥さんが、ある日思い立って、カナダの大自然の中をカヌーで、オンボロ車で、旅をして定住するまでの本当のお話。

この1−2年、アラスカにものすごく興味を覚えて。それもきっかけはある本だったんですよね。星野道夫さんってご存知ですか?アラスカで写真家として活躍してアラスカの地の原住民やネイティブアメリカンの人たちとも交流し、アラスカの自然の美しさと厳しさをカメラに収めた人です。写真に限らず本も出版されているんですよ。この本達がものすごく興味深い。僕が最初に読んだのが”旅する木”とい本。1つ1つのエッセーは短いんですがじょうけい豊かで、人情が溢れていて、その伝わってくる温度が気持ちいい1冊です。

それもあって、このカナダの北部を含むアラスカ地帯に興味があって、この本を選んだのです。最初はカヌーの乗り方も、どうやって大自然の中で生きていくかも分からない二人と、拾った犬1匹で無謀な川下りをしたり、病気になったり、資金が底をついてきたりするんです。”もうダメかな。”みたいなことを何度も乗り越えてだんだんと逞しく大自然の中を生き抜いていく2人の成長は読んでいて飽きません。

白夜のために、今が朝の9時なのか夜の9時なのかわからまくなったり、大自然の中で今日が入った何曜にで何月何日なのかもわからなくなったりと、本当に現段社会から離れて過ごすことも。けどそれは、このユーコンの自然の中で知っていたところで何も役に立たないから。それよりかはどうやったら熊が自分のテントに入ってこないか、川の中のどのコースを行けばカヌーが転覆せずに先に進めるかの方が彼らにとっては遥かに重要なんですよね。

社会の一般常識が通じない大自然の中で、お金や名声の存在の儚さ。何も着飾っていない自分自身という存在に向き合って、その中から社会が人間に与える必要なものではなく、自分だけの人生には何が必要なんかを見極めていく事におもしろさを感じました。

果たして僕の人生には何が必要で、何が不必要なのか。その答えが少しづつ出てきているようにも思います。

皆さんは、自分の人生で何が必要で、何が不必要なのにそれにしがみついているものってありますか?

遠い土地に思いを馳せて

日曜の午後9時。もうすぐ夏至を迎えるこの頃のイギリスは、夕暮れを迎えるところです。東の空もまだ夜の色合いを出す前です。

今、夕暮れの時間を調べていて見つけたことがあるのですが、イギリスには夜がない時があるようなんです。なんでも。今年は5月23日から7月20日は夜という分類ではなくて、twilightで朝方または夜更けの薄明かりの時間帯なんだそう。

初めてこのことを知ったので、今もびっくりしてます。そっか、太陽が沈まない白夜があるところもあれば、夜と昼の中間を保ってまた日が昇るところもあるんですね。10年以上イギリスに住んで初めての発見です。

世の中にはまだ知らないことがいろいろとあるんですね。興味深い。

さて、寝る前に読んでいる本が変わりました。

幸せの国デンマークでの1年間を綴った本を読み終えた僕が次に手にした本がこれです。今回もKindleで読もうと思ったのですが、Kindle版が発売されていなかったので冊子で。表紙の写真が綺麗ななのは、冊子の魅力ですよね。

このお話は、イギリス人の夫婦の物語。カナダから始まり、アラスカを流れて最後はベーリング海に流れるユーコン川周辺を舞台にこの夫婦の冒険旅行を記した実話。旅の初めは犬と3人でカヌーと車で川や道なき道を通り、キャンプ。その中で現実と夢のギャップに直面して起こる希望と失望。そんな彼らの冒険の最終ゴールは自分たちがthe good lifeを過ごせる土地を探すこと。

まだ読み始めですが、今まで冒険とは無縁だったこの夫婦が3歩進んでは2歩下がる、そんな日々の中で葛藤し、励ましあう姿が微笑ましく思います。また、大自然の生活を送りすぎて時に街に出てきてその賑やかさ、便利さ、騒々しさに心揺れるのも面白いなと。

ロンドンの大都会で生活をしていると自分が自然界の中で生きているということをついつい忘れてしまいがちになります。そんな僕の心を大自然の真ん中に放り込んでくれる、そんな1冊になりそうです。

眠りに落ちるその前に

週も後半戦ですね。手を伸ばせば週末がそこまで。この時が一番高揚感があると思いませんか?

今日は半日の仕事を終えて、ちょっとだけと思ってソファーに横になったらいつの間にか眠っていて、教会の鐘の音で目が覚めました。2時間たっぷりと眠っていました。やっぱり体が最近、疲れ気味なのかな。その後にユリ君とスカイプをしたのだけれど、半睡の頭で申し訳ないほどの集中力。寝起きってぼけっとしていてダメですね。

その後、軽く夕飯をとってシャワーを浴び、穏やかな時間を過ごしているところです。今週の仕事も後、1日。頑張ります。

このブログを書き終えたら。ベッドに入って再び眠りに落ちるのですが、その前に僕がすることが。

日記を書くことと、もう一つがこれ。

 

このグレーのフェルトのケースの中に入っているのです。あるものが。そのものとは、、、。

 

Kindleでの読書。自分が電子本を持つなんて夢にも思ってなかったんですけれどね。僕は読書がものすごく好きで、子供の頃からたくさん読んでいるのですが。昔は電子書籍なんてないから冊子の本なんですよね。カバーの写真やイラストだったり、本によって違った厚みや重さ、字体。それをひっくるめたものが読書だと思っていたので、Kindleはずっと避けていたんです。”あれは本ではない。”って。

そんな僕の元にKindleはクリスマスプレゼントとしてユリ君からもらいました、もらってみると、”うわ。軽い。しかもこれに何百冊も入って電気もつくから暗いところでも読めるんだ。”と興奮気味に。僕って、誘惑に弱いみたいです。

イギリスに帰ってから、最初の本を購入。それが上に写真の左上にあるThe Year of Living Danishlyという本。イギリス人のジャーナリストがご主人の仕事でデンマークの田舎町に引っ越すことになり、そこでの体験を書いた本。デンマークって、ご存知の方も多いかもしれませんが世界の幸福度ランキングで常に1位、2位に君臨している幸せの国。

これは人口当たりのGDP、社会的支援、健康寿命、人生選択の自由度、などで数値化されてポイント加算でランキングが出るんですよね。ちなみにイギリスは19位。ドイツが16位で、日本は驚きの51位。アジアでのトップは22位のシンガポール、続いてタイ、台湾と続いています。

この寝る前の読書に実はKindleってぴったりだなって。まずはバックライトがあってどの体勢でも読めるし、あと軽いのでページ数の多い本だと手が疲れるけど、これなら疲れないところ。あと、よく途中で眠くなって腕を上げて読んでいた時なんかに途中で寝ぼけて本が顔に落ちてきて、どこまで読んだかわからなくなることが多かったので、この点電子書籍は優秀だなって。あと、わからない単語を内蔵の辞書ですぐ調べられるのは本当に助かります。

食わず嫌い的なものだったんだなって今は思い、電子書籍もハードカバーの本も楽しんでいるところです。

 

 

人生無駄があった方がね。

ロンドン橋でのテロが週末に起こり、その後の仕事はじめ。先週の暖かさはどこに行ったのかというほどの肌寒い始まりとなりました。道行く人々もどことなく他人の行動にをどこか訝しげに見ているような感じがしました。ちょっとした音に人が異様に驚いたり、と人々の精神もどこか研ぎ澄まされてすぎて過敏になっているようです。

そんなイギリス国民の心情のように空模様もどんよりと、そしてどこか嵐めいたような雰囲気が。どんよりと暗い雨雲と時折吹く強い風。今夜は一雨くるかもしれませんね。その雨の間かで静かに眠ろうかなって思いながらこのブログを書いています。

最近、母に勧めた本があって。それが、ハリーポッター。”え、なんで?”って思われすなんですが、、、。これって、児童書の枠を超えて大人も楽しめるんですよ。

例えば大人になるともっとわかる子どもの本ってあったりしますよね。”星の王子様”がその典型でしょうか。サンティグジュペリの人生哲学が散りばめられたお話。子どもの頃は、”ふーん。”って思って読んだものが、大人になって読むとその奥の深さに驚かされ、共感するそんな大人のための子どもの本。

ハリーポッターはこれには当てはまらないんです。

ハリーポッターの凄いところはその吸引力にあると思うんですよね。読み始めるとあっという間にハリーの世界に連れ込まれてハリーの世界が目の前に現れて、自分がそこに存在しているかのように感じるあの力。これはすごいなって、読み始めた時に思いました。

じゃ、なぜそれを大人が読むのか。

大人になると日常生活に自分自身がどっぷり浸かって、”あー、これもしなきゃいけない。あれもしなきゃいけない。”って生活に追われることってないですか?数字の計算だったり、効率力だったり、人間関係の駆け引きだったりを頭の中で考えるだけど、想像とか空想をする空間を脳から締め出していることって多いと思うんですよね。そして、その中で自分の世界を確立して”時間内に終わらない。どうしよう。”とか、”人生が思ったように動かない。”とか考えてしまって現実の海の中にどっぷりとそしていつの間にかに沈んでいく。

ここから引き上げてくれるのがハリーポッターだなって思うんです。まずはその吸引力。あっと今に魔法学校に自分が飛ばされて、そこで起きる出来事。素敵なこともあれば、恐ろしいこともあるハリーの世界。この恐ろしさを持っているところが、大人をも惹きつけるハリーポッターの魅力でもあると思うんです。子供のお話だと出てこないようなダークな部分が出てくるところ。”これは物語だからいいよね。”って思わせない力強さがものすごく素敵なんです。

皆さんも空想や想像、最近してますか?ちょっと精神的に疲れたな、と思っているのならこのハリーポッターがいいですよ。自分の想像力を増してくれるし、子供の頃に感じたワクワク感を取り戻すこともできるので。

実用書以外の本は時間の無駄だっていう人もいますが、無駄がある人生こそが面白う、またその無駄から得るものも多い気がするのは僕だけでしょうか?

やはり、雨が降ってきました。雨足の強さが屋根を叩く音でわかり、遠くの方では雷のような音も聞こえています。イギリスはこの雨の中で鎮静しているようです。

僕もぐっすりとこの雨に包まれて眠れそうです。

その日の気分で選ぶものだから

休みの日というのはどうしてこんなにも早く終わってしまうのでしょうね。と言っても、日本はまだゴールデンウィークの真っ只中で僕のようなセンチメンタルな夜を過ごしてはいないのでしょうね。

イギリスは今日が3連休の最後。明日からまた、日常へと戻っていくことになります。

僕の住んでいるフラットは本当に日常から切り離されているような場所にあるので、時に買い物に出かけた時なんかにあまりにも人がいてびっくりしてしまうほど。日本の4階部分にあり、屋根裏部屋のような家なのでほとんどの窓が屋根についていて、見える景色は空。はめ殺しの窓からは遠くの空と丘が見えるので、人間の気配というものをあんまり感じさせないんです。って書くと、ものすごく田舎に住んでいるように思えるのですが、商店街沿いにあって、スーパーまでは徒歩30秒。そんな通りに住んでいながらも、現実離れをすぐにできるこの場所が僕にとってはオアシスなんです。

いつもより少しだけ遅めに起きて、その後は腹筋や腕立てなどの筋トレ。どういう訳か最近、胸筋がいつもよりもつき始めて嬉しい限り。雨が降ったり、突然に太陽が顔を出したりと不思議な天気。そんな気まぐれさも家の中でなら許せてしまうんですよね。

気まぐれさといったら、僕もそうだなって思うことが。

何かというと、本。

僕、各自中毒かというほど何かを読んでいるのが好きなんですよね。これは言語に関係なく英語でも日本語でも。ここで、ドイツ語でもって言えたらかっこいいのですが、、、。僕のドイツ語はそこまでは発達していないので、いつかはドイツ語でも本が読みたいなって思っています。

本を家で読む時って、その日の気分で変わることが僕にはよくあるんですよね。例えば、ある本を読んでいて中盤に差し掛かっているんですけど”今日はこの本の気分じゃない。”っていう時があって、だけど本は読みたい。だからその日の気分の本を探して読み始めるんです。この場合の本が持つ気分がわかるものではなくてはいけないので、僕が昔すでに読んだものということになるのですが。

映画や音楽と同じで、各本が持つ雰囲気ってあると思いませんか?この本は昭和初期の雰囲気と刹那な感情を思わせるとか、この本は弾丸が飛んでくるようなスピードで走馬灯のような速度の映像が流れでくるとか、この本は冬の雪景色が見える窓の近くで、だけど自分のいる部屋は暖炉の日で暖かい、そんな日に読む本だなとか。

それで今、読んでいるのが夜寝る前の本はデンマークの暮らしの本、江國香織の群像小説、柳広司のパルテノンを同時に読んでる次第です。ひとつに絞って読めばいいのにと自分でも思うんですけどね、、、、。困ったものです。

けど、それは多分このフラットで現実離れを欲するように、映画、音楽、本、など独自の世界観に自分の身を投じることで今ではないどこかに行きたいよいう自信の欲求の表れなのでしょうね。

 

60年前のミラノと現在のロンドンで

接客業に携わっているとお客さんとのちょっとした会話をすることが多いのですが、最近の会話の始まりは、”最近、寒さが堪えるよね。”というもの。朝の冷え込みが厳しくて、ゴジラのように白い息を出しながら冷たい朝の道を少しだけ早足で出勤する人々。イギリスは秋が終わって冬の匂いがします。

ヨーロッパでは夏の名残とともに、短い秋が来て突然に冬に気がついたら足を踏み込んでいるということが多い気がします。日本だと10月食欲の秋だとか、読書の秋だとか、秋を楽しむということが多いですよね。イギリスはあまり秋に重きを置いていないと思うのは僕だけなのでしょうか。

今年で10回目の秋をイギリスで迎えている僕は、最近はドイツに行くことも多くヨーロッパ大陸の生活の価値観や考え方に触れ、イギリスとのドイツの島国的考え方と、大陸的考え方の違いを経験を通して学んでいる状態です。ヨーロッパって一括りにされるけど、結構な違いがあるんですよ。だって、日本も中国や韓国など他のアジアの国とは違った文化的価値観や習慣があるのと同じように。

よく考えてみると今まで住んだ国って島国的考えの国ばっかりなんですよね。まずは生まれ育った日本。そして、アメリカ合衆国。”アメリカは大陸だよ。”って言われそうですが、一つの大きな国が大陸の右と左を横断していて、陸続き国境もカナダとメキシコだけ。だから僕が思うに島的な考え方が強いように思うんです。そして、イギリス。地理的な場所や、文化などは違うにしろ精神的真髄において似たような国に住んでいるなって感じているのが今の正直な感想。

そこにドイツというヨーロッパでナンバー1の経済大国、ユリ君の家族やドイツ人の友達と過ごす事で感じる、今までの自分の経験では感じることが出来なかった考え方や価値観、習慣を見ることが出来て本当に面白いなって思います。

そんな経験を60年前のミラノでしたのだろうなって思うのが、随筆家の須賀敦子さん。

50年代終わりにまずは、パリへと留学。ただ、この時はうまく馴染めずに数年後イタリアへと彼女は飛び、そこで素敵な仲間に囲まれ、やがて結婚、日本文学をイタリア語へと訳してイタリアにおける日本文学の普及に一役を買った人物です。ご主人が突然の病で亡くなり、その後は日本へ舞台を移し、50代からエッセイなどを書き、人々を魅了しました。

最初のパリで帰ってしまった須賀さん、もしかしたら大陸的な考え方にカウンターパンチを食らったのかもしれないなって、今一人で考えてるんですよね。もちろんこれは僕の妄想にしか過ぎないんですけど。戦後の傷もまだ残り、そして高度経済成長期のは始まりでもあったこの時に日本人が珍しい存在であったであろうヨーロッパ。その中で生き抜いていくのは余程の根性が必要だったのでしょう。

パリでその価値観や習慣に戸惑ったであろうその彼女は、次のヨーロッパ行きであったイタリアは完全武装で臨んだのでしょうね。そして、その他国で自分の居場所を見つけた。

そんな彼女のイタリアでの生活を綴ったエッセイ集を読んだんです。しかも、クロアチの海岸線や、ドイツの電車のなかで。1950年代と2010年代という時代のギャップはあるにせよ、同じ大陸に存在しているという偶然。そしてのその共感性。

素敵なエッセイ集です。一度読んでみてはいかがですか。

 

最初の方は少しとっつきにくい感じの文章なんですけど、途中から素直に文章が放ってくるようになるので少し合わないなって思っても読み進めることをお勧めします。

 

旅のおとも

とても忙しい週の後だったので、ぐっすり、しかもかなり長い時間を睡眠で費やしました。

先週は5日間で53時間ほども立ち仕事で、体がかなり疲れきってしまったよう。11時間の睡眠に目覚めると午前11時。あまりに眠すぎたのか軽い頭痛が。ブラックコーヒーを飲んで痛みを治めました。

さて、旅のお供と言えば僕にとっては本なんですよね。少し活字中毒の僕にとって移動中は何かを読んで時間をつぶしたい達なんです。

今回の旅でまず読んだのが、藤田宜永の絵画修復師。

 

日本人の絵画修復師であるアベは、フラスコ画を修復するためにフランスの各地を訪れる。その中で出会う心に傷を負ったり、過去の思い出から逃げられない人々。外ものでフランス人でもないせいなのか、心の悲しみをアベに見せる人々。それは、アベ自身の心の中に暗い闇があるなのかもしれません。

穏やかに流れるフランスの田舎町。何事もなく、平和な時間が過ぎているような景色の中でも人々は生き、そして小さなコミュニティーだからこそ他人に言えない秘密を隠さなければいけない現状。

物語は川の流れのように穏やか。だけど、本物の川の流れのようにその流れに入ると水の力強さに驚かされる、そんな物語です。静かな感情の起伏がやがて、大きな波となって読む者に伝わってきます。

 

親友は何処へいったのか

イギリスは昨日のEU残留、離脱選挙の話題で持ち切り。ロンドンは特に残留はが多いので、まさかの離脱に驚愕しているのが今の現状でしょうか。

僕も含め周りは残留派だったので、”これからイギリスはどうなるんだろう、、、、。”という不安感が拭えないのが正直な所の本音です。

これからイギリスはヨーロッパの嫌われ者として生きていくのはどうやら次の2−3年は確実の様ですね。あとはアメリカとの関係性を深めて貿易や経済の面で維持出来るかでしょうか。これからのEUとの関係が何処まで冷え込むのか、または今までとは言わずも良好な関係が築けるのか、そこがポイントでしょうね。

Facebook上もこの事について沢山の投稿がありますが、、、、。もう決まってしまった事は、事実として受け入れるしかありませんからね。スコットランドに北アイルランドは過半数以上が在留を支持していて、この離脱結果にまた独立の動きもありイギリスという国の行く末も不透明になっていますが、窮地の時こそ力を合わせて乗り越えていかなければいけないなと考えている次第です。

EUという親友を無くしてイギリスは何処へ向かうのでしょうね?

もし、親友が突然いなくなったらあなたはどうします?ある突然に家に行っても姿も見えず、手がかりもない。警察も相手にしてくれない。しかも、自分の記憶が上手く頭の中でまとまらずに、過去と今の時間軸がごちゃ混ぜになってしまう、そんな状況下であなたはどうやって失踪した友達を捜し出しますか?

これ、最近読んだ本の話。Elizabeth Is Missing By Emma Healey

物語は年をめした女性のお話。高齢の為に物事を忘れやすくなっていて、しかも時に昔の思い出が押し寄せて来て現在と混ざってしまう状態にあるマウドおばあちゃん。ただ、一つだけいつも頭の中にあるのは親友であるエリザベスおばあちゃんが失踪しているという事。

家に行っても見つからないし、家族に聞いても手がかりはなし。面忘れをしない様にとメモを残してそのメモから必死にエリザベスを探そうとするマウドですが、日が経つにつれ物事を忘れる頻度が多くなって、、、、。そんな彼女はエリザベスをみつけられるのか、、、。

話の内容だけだと、おばあちゃんのミステリー解決本みたいな印象を受けますが、そうではないんですよね。ある意味でホラー小説だなって思ったのが正直な感想です。しかも自分にも実際に起こりえるかもしれないホラー。

物語はマウドおばあちゃんがエリザベスを探すお話と、マウドの少女時代の話が交錯して書かれています。何が怖いかって、年をおいて痴呆症のあるマウドに対する人々の対応です。警察に行っても相手にされず、家族からも”またそんな事を言って、、、、。”と話を取り合ってももらえない。そんなもどかしさの中でも生きていかなければならない人間としての苦しさや葛藤が描かれているこの本。

忘れたくって忘れているのではないのに、意図して突拍子もない事を言っている訳ではないのに、それが理解されずに孤独になってしまう、そんな恐怖がこの小説には詰まっています。

自分が年を老いた時にこの状態にいたらどうなるんだろう?背筋を凍り付かせながら読んだ一冊です。