真冬と雪だるまとクリスマス

このブログを1週間ほど休んでいた間に、一気に冬の度合いが増したヨーロッパ。本当に極寒とういう言葉がふさわしいような真冬の日々。風も強いのもあってその寒さが増して感じられます。

皆さんは元気に過ごしていますか?風邪とか、体調崩していませんか?師走の忙しさに何かと自分の体調がおざなりになってしまうこの季節、ご自愛ください。

さて、昨日ロンドンから帰ってきました。帰りは飛行機の時間が1時間遅れたり、自分が乗ろうとするその目の前で無情にも電車の扉が閉まって寒いホームで次の電車を1時間待つなどありましたが、どうにか午後の4時には家に帰りつきました。ほっと一息。

ロンドン滞在中は歯医者さんに行ったり、確定申告をしたりと何かと忙しい日々で途中でブログを書こうと思っていたのにそれもできないままに、、、。

実はイギリス、僕がいる間に大雪に見舞われて。前の夜まで雪など1つもなかったのですが起きたら一面の銀世界になっていました。

これ、ロンドン郊外のミニの家から景色なんです。かなりの積雪でしょ?一番積もったところでは30cmだったのだとか。ミニの町は15cmぐらいだったかな?真っ白の音のない世界がいつもある日常の景色を様変わりさせる面白さが、雪の日にはありますよね。

この上の写真をよく見てもらえるとわかるのですが、庭の真ん中に何かがあるのわかります?そう!雪だるま。

ミニ、マーロン、僕の3人で朝から頑張って作りました。最初は寒さが気になったけど、体があとからはポカポカと温まってかなり熱中して作り上げました。ミニが一番張り切って、”等身大の雪だるまを作る!!”と言ってこの作品が出来たのですが。どうだろ、150cmくらいあるのかな?3人ともやることが子供でしょ?けどね、これは本当に楽しかった。童心いつまでも持っておいて悪いものではないなって思いました。

ミニの家もクリスマスの雰囲気がたっぷり。今年はクリスマスのディナーをミニの妹家族を呼んでするそうで、大きなクリスマスツリーも購入してましたよ。生の木なので、香りもしてクリスマスの雰囲気を盛り上げていました。

そんな雪の中、KちゃんとA君が遊びに来ました。あまりの雪のためにミニとマーロンは、2人を駅に迎えに行ってきました。途中で買い物もしてきたようで、手には大きな荷物が。じつはミニの家に着くには最後に心臓破りの急な坂を上らなくてはいけないんですよね。普段でも息が上がるその坂に雪、、、、。僕は家でのんびりとお留守番。

かなりの時間、帰ってこないので外を見ながら待っていると帰ってきました。

道路も何も見えなく来の雪の量。ミニの足の間にはKちゃんとA君の愛犬ハニーの姿も。

その後はみんなで楽しい昼ごはんと、確定申告を終えてあとは穏やかに過ごしました。

やっぱり、イギリスに帰ってくると心落ち着きますね。

今回の旅の一枚を決めるなら

昨日の夜はまるで小学生の低学年のような就寝時間でした。午後8時45分。最近の子供は夜にベッドに行く時間が遅いのでしょうか?日本に帰った時に小学4年生の甥の学校の生活記録のようなものがあって、”夜10時までに就寝したら、マルを付ける。”ってあってビックリ。しかも、それをもあまり守られていない甥にもびっくりしたんですが、、、。ヨーロッパは基本的に子供は早く寝るようにしつけをされるので、この様に子供が遅くまで起きているのは信じられないんですよね。”悪い親。”のレッテルを貼られてしまうほどに。アジアは少し違うのかな?

そんな愚痴はともかく。なぜ、8時45分だったのか。実はユリ君がハンブルクで会議に出席をしなくてはならず、朝6時9分の電車に乗らないと10時の会議に間に合わない。そうなると、朝起きる時間は5時15分。それでもって、眠りの浅いユリ君はきっちりと8時間半以上は眠りたい。という事での8時45分だったわけです。僕も一人で起きていてもつまらないし、ユリ君の眠りを邪魔もしたくないので一緒に眠りました。

なので今日は朝の5時過ぎから1日を開始。朝のうちに色々な事を終えられてこれも時には良いのかっておもちゃいました。

さて、長らくの僕の日本帰省時の旅日記を読んでいただいて、ありがとうございました。今回の旅に関するブログ記事は今回が最後です。長々と申し訳ないのですが、あともうひとつだけお付き合いください。

旅の時ってどうしても荷物が邪魔になりますよね。ホテルで預かってもらったりとか、宅急便で送ったりとかしたりしても、それでも荷物になる。特に僕はカメラを持ち歩くのでそれだけで重くて。カメラもレンズも重くて、片手にずっしりと感じるほどなんですね。今、気になって量ったら2kgを少し超えてました。

写真を撮るタイミングって対象物にもよるのですが、”あ!今、この光!!”って思ってカバンからカメラを出して、セッティングを合わせてってしている間にベストンタイミングって消えていたりするもので。なので、基本的にどちらかの手に持ちながら歩いています。もちろん肩からのストラップもかけていますが、ぶら下がってるだけという事はほとんどないですね。これは保険みたいなものだから。

確かに重いし、急な坂と岩場は慎重にならなくてはいけないのだけれども、これも筋トレだなって思って自分言い聞かせてます。

今回の旅は一ヶ月ほどで、撮った写真は450枚ほど。という事は1日に15枚ですね。その中から自分の好きな写真だけを編集するので、それに残るのは100枚ぐらいでしょうか。ほとんどが最初は、”うん。なんとなくいいな。”っていう物でそこからどのようにこの写真を料理していこうかと考え、時にはものすごくいい雰囲気の写真になったり、またその逆にあまりぱっとしないときもあります。

例えばこの写真、最初はパッとしなかったんですが暗さを前面に押し出したら紅葉の色が一気に冴えたんですよね。モノトーンとカラーの混ざりあいなのも面白いなと思って気に入りました。

ただ中には、コンピューターにアップロードした時から、”うわ!!いいのが撮れた!!”っていうのがあるんですよね。けど、こんな感情に出会えるのは本当に何十回に一回ぐらいの割合で。だから、今回の旅でそんな一枚を手に入れることができて本当にうれしかったんです。

それがこの一枚。

殆ど加工せずにこの発色が出たことと、この浮世絵的な枝ぶりがいいなって。奥行きの在り方も好きだし、手前のピンク、中央の赤と黄、そして奥の薄いみどりが幹の苔むす黒さとコントラストをはしていて、僕は本当に好きな一枚です。

人によって好き嫌いがありますから、”え、そう?”って思われるかもしれないのですが、今回の僕のベストはこれだなって思います。

 

晩秋のくじゅう山

朝の9時前だというのにリビングに差し込んでくる光の量は少なく、薄暗い。こんな時に冬がもうまじかに迫っているんだなと感じられずにはいられません。今まで、部屋の明かりなんていらなかったのにね。自然光が好きな僕としては少しだけ残念。外の天候も風が強く、雨が横殴りに降っていて今日は穏やかに家の中で過ごしたほうがよさそうですね。

晩秋って言葉がありますよね。文字のごとく秋の晩、終わりという意味ですが、この言葉ってどうしてこうも哀愁を感じるんでしょうね。

そういえば高校生の頃にビデオ屋さんに晩秋って映画があったよなと思って調べてみたら、89年制作のアメリカ映画で、スピルバーグが監督をした作品。両親の介護をするために帰郷した仕事日筋の男と、その両親の物語だそうです。多分僕はこの映画見ていないと思うんですよね。けど、面白かったのが原題”DAD“(親父)。これは絶対に邦題のほうが雰囲気がありますよね。晩秋が人生の終わりを表したりをもするから、この晩秋と言う言葉にもの悲しさを感じてしまうのでしょうか。

確かにこの時期に山を彩る紅葉も、葉の最後の変身ですもんね。温度差があればあるほど色が変わる、その自然の美。

そんな紅葉を実は少しだけ今回の日本滞在で見ることができたんです。幸運にも。

10月の終わり、僕とユリ君は僕の故郷である阿蘇のいました。特に何をするわけでなく、散歩に行ったり、僕の子供のころのアルバムを見たりと、ゆったりとした時間を過ごしていたんですね。そんな時にトレッキング好きのユリ君のことを知っていた父が、”くじゅうに登らないか?”と誘ってくれました。もちろん、承諾。

くじゅう連山は阿蘇からも近く、隣の大分県にある山々です。九州本土ではここの中岳山頂が一番高く標高が1791m。天気も上々で、母に3人分のおにぎりを昼ごはんとして作ってもらって出発。

標高の高いくじゅうの山では10月の終わりにもかからわず木の葉が色づき始めていました。ただ、登山をするにしては半袖で問題ない気温でもありました。

最初はコンクリートの登りで、”これは嫌だね。”ってユリ君と話していたのですが、途中からコンクリートもなくなって土と岩の道に。標高が上がるにつれて景色も開けてきます。

ね、あちらこちらにオレンジや赤、黄色の色が。手前のもう葉がない低木とのコントラストも素敵ですよね。そして、登山道はだんだんと厳しさを増していきます。

 

そうそう。途中で僕たち3人ではなく、ひとり仲間が加わりました。フィンランドの女性。なんでも日本を3週間一人旅。この時は旅の終わりで、あと数日後にはフィンランドに戻るとの事。せっかくだからとその後下山するまで一緒に行動をする事に。登山をしてると挨拶をすることが多いので、時に物凄く仲良くなれたりしますよね。今回も、そんな例のひとつ。

真ん中にいるのは僕の父です。60歳過ぎとは思えない体力で、僕たちの一番前にたって歩いてくれました。後ろを見てもらえれば分かるように、この時は雲が多くなって来ていたんですよね。本当に山の天気とは変わりやすいものです。フィンランドのか彼女は軽装でしょ?登山をするつもりではなかったのだけど、天気も良かったし急に登りたくなったのだとか。カモシカのように跳ねるように岩の道を登っていきます。

雲が近くにあるとものすごく幻想的な景色になりますよね。幸運なことに雲がすべてを覆うことはなく、中岳に着いた時にはまだ景色がよくここで昼食をとることに。やっぱり、おにぎり。これが最高ですよね。僕の一番好きな具は梅干しです。

くじゅうは連山なので一つ登って終わりと言うわけではなく、隣の山、そしてまた隣と行くことができるんですよね。調べてみるとどうやら10個。そんなにもいけないので今回は2つだけに。それでもかなりの距離を歩きました。

まだ残り8。次回の日本への帰国の際にはユリ君の両親をも誘って再度挑戦しようかと思っています。トレッキングって本当に面白いですよね。

 

ただいま、故郷 阿蘇

最近はドイツ語の勉強に毎日力を入れているんです。実は地域学校に申し込みをした時に、”では次回はクラス分けのテストをするから、そのときね。”と言われているからなんですね。クラスは6つのレベルに分かれていて、全くの初心者な僕は多分一番下かその一つ上。人によって授業料が無料か有料かがあって、僕は無料の対象には入らないので、ユリ君曰く少しはドイツ語理解できてるんだから少し上のクラスに入れるように頑張りなと言われて目下勉強中。言語を学ぶことは好きなので、苦ではないのいいことです。

ただ、言語って毎日、練習したり使ったりしていないといつの間にか消えてしまうものでもあるんですよね。ミニも昔は日本語を結構理解して、喋ってもいたんですが最近はどうも難しくなってきたみたい。大人になって覚えるほうが習得するのに時間はかかりますが、忘れていくのもゆっくりなのは得かなって。逆に子供は物凄い速さで言語を習得しますが、忘れるのもものすごく速いんですよね。

アメリカにいたときに普段は日本人の母親と喋る時以外は英語の4歳児の子供がいて、その子が家庭の理由で日本に三か月滞在することになったんですよね。日本滞在の間はもちろん、日本語だらけ。最初は戸惑ったようですが、底は適応能力の早い子供。すんなりと日本語をしゃべるようになったんだとか。そしてアメリカに帰って、アメリカ人の父親と再会。ただ、英語で話す父親の英語が最初は理解を出来なかったようなきょとん顔だったらしんです。もちろん、その後英語の環境に戻って喋れるようにはなったんですけど。

僕も日本に1ヶ月滞在していて、その間にドイツ語の勉強を怠ったのでまた最初から頑張ってやり直しています。基礎力が言語習得では大切ですからね。

そんな1ヶ月の滞在のほとんどは僕の故郷の阿蘇で過ごしました。阿蘇に帰ってくるのは2年半ぶり。その間に洪水があったり、阿蘇山が噴火したり、地震があったりと厄年のような阿蘇。いろいろなところに自然災害の爪痕がまだ残っていました。

それでも、自分の地元はいいものですよね。

僕は車の免許を持っていないので、阿蘇での移動手段は徒歩か、自転車。だけど、田舎の町で歩いている人なんて本当に少ないんですね。

阿蘇も色々な商業施設や、建物が建って僕が昔過ごした町の雰囲気は薄れてしまっていて何となく物悲しくなってしまいました。小学校に行ってみたら、もう使われていなくて雑草が山のように生えている中に廃墟のように建っていて。子供がいない学校と言うのはこんなにも悲しいものなのかと感じました。寄り道ぎみの通学路を歩くとすべてが小さくなっててびっくり。もちろん、道路が、家の塀が、ゲートボール場が小さくなったのではなくて、僕が大きく成長しすぎてしまっただけなんですけれどね。

自分の家の周辺を色々と歩いたのですが、何かが違う。僕の子供の頃の思い出の阿蘇とは違う所のように感じる、、、。人の心の中で思い出って美化されてしまいますしね。時代とともに人も物も、空気も変わってしまうのかなとおもって、自転車に乗って山のふもとへ。

そこで、突然に出会ってしまったんです。僕が子供のころを思い出させてくれる空気と、風景が。

昔ながらの横長の平屋の家、家の近くにある小さな畑。コンクリートではない石を積んだ川べり、農作業の人々がその日の取れた野菜を自宅用に泥つきのまま家に持って帰るその姿。どこかで燃えているであろう焚火の匂い。

しかも、道路で子供たちがサッカーをして遊んでいたんです。ゲームに夢中で外で遊ばなくなった21世紀の子供たちとは無縁のように、楽しそうにボールをけっていて。そのうちの一人の子が挨拶をしてきて、”ここだと車は来ないのかな?”と聞くと、”来るときもあるけど、その時は一時中断すればいいから。”との返答が。確かに、僕もそうやって遊んでいたなって。車どおりの少ない道が昔は遊び場だったなって。

景色が、そして空気が忘れ去った自分の思い出をこんなに喚起してくれるとは。あまりにもの懐かしさに目がしらが少しだけ熱くなったほど。

いつまでも、いつまでもこの景色が変わらずにいてくれたならと思わず願わずにはいられませんでした。

僕の知っている阿蘇がまだここにはあって、それにこうして出会えたことは本当に幸せな事でした。

 

旅の楽しみのひとつ、宿

今日は朝から忙しく動いていました。いつも通り6時15分に起きてユリ君と朝ごはんを食べて、7時前に仕事に出かけるユリ君を見送った後は床の掃き掃除と、拭き掃除。

日本って大掃除と言ったら大みそかの日でしょ?ヨーロッパは日にちは決まっていないのですが、春の訪れの時に大掃除をします。新しい年を迎える時のほうがきれいな環境でいいじゃんって異本育ちの僕は思っていたのですが、最近は確かに春にしたくなるのわかるかもとも思うんです。

いつもブウログで書いている通り、冬のドイツやイギリスは暗い、暗い。朝焼けが今は8時過ぎで太陽が昇ったのかなと思えるのが9時過ぎ、この太陽も夕方の4時過ぎにはいなくなるので。そしてその間も薄暗い曇りの空。それに、ドイツやイギリスって間接照明のほうが多いんですよね。なので、ほこりや汚れが目立たないという事が多くて。時に晴れた日があったりすると、”うわ!!いつの間にこんなに汚くなっていたんだろ!!”って驚かされてしまいます。

だから、日差しが長く晴れた日が続く春のはじめになると冬の間に見えなかったほこりや塵が突然に目につき始めて、大掃除へと至るわけなんですね。おもしろい。

その国の文化、季節の移ろい方、気候によって考え方も、価値観も習慣も変わってくるというのは興味深い事です。

その1つに家などの建築も上げられますよね。今回は建築や、それを彩るもののお話。

島根県の出雲大社を訪れたときに宿泊したのが、明治10年に出雲大社を参拝する人のために始まった竹野屋。ここ、竹内まりあさんの実家としても知られる旅館ですよね。本館のこの木造建築は昭和4年に建てられたのだとか。僕の祖母とほとんど同い年なんですね。

この雰囲気が素敵だと思いませんか?まるで千と千尋の神隠しの世界を彷彿させるなと思ったのが第一印象。日本の旅館にユリ君を泊まらせたい、せっかくなら素敵なところにしたいと少しお値段は張りましたが、ここに泊まることに。ちなみにこの写真に写っている男性、個々の従業員さんで働いて数週間目でしかも昔ドイツに住んでいて、ドイツ語を喋れり人だったんです。礼儀正しくて、好青年でした。

僕たちの泊まった部屋はシンプルな和室。ここにはトイレとユニットバスもあります。けどね、旅館にきたので大浴場でお風呂に入りたいじゃないですか。そんなにも大きくはないのですが、3回(夕飯前、寝る前、朝)大体において一人貸し切り状態でした。この部屋は新館で一番値段の安いお部屋です。それでも、十分。夕飯と朝ごはんもついてきますしね。

昔ながらの旅館は細微にも色々と手が込んでいるのが魅力じゃないですか?欄間とか、障子の模様だとか。特にエントランスの部分は物凄く美しくて、15分ぐらい見物してました。

こんなお花とか書だとかがダウンライトで照らされているのっていいですよね。ここが特別な空間になる気がして。

確かに安くはないけれど、これだけのおもてなしと、おいしい食事に、旅館自体が持つ雰囲気を考えれば高くないなと思います。この旅館の中を流れている空気が外とは違った穏やかなもので、その異次元的な体験をするだけでもその値段を払う価値があるかと思いますよ。

さて、次のお宿は熊野古道で泊まった古民家。

ね。こちらも趣深いでしょ。オーナーが自分の手で改装したこの古民家は手作りの温かさが存分に感じられます。しかもね。細部にもこだわっていらっしゃるんですよ。

玄関のたたきには黒い玉砂利が引いてあります。こんな小さなな事が嬉しいんですよね。

寝室。ただの畳の間とも見えますが、照明器具が明治大正を思わせるデザインだったり、左側の仕切りや右側のベッドサイドランプが凝っていると思いませんか?

あと、少し前まではあった障子の擦りガラスの紋様・懐かしさもありますが、これって素敵なデザインと思いませんか?だってモミジがその向こう側にある色で黄色になったり、赤になったり、緑になったりと季節を感じさせてくれるようになっているのだから。

日本建築の美をも堪能できた今回の日本帰省でした。

国が譲られた浜辺を求めて 出雲

一昨日まで今日は晴れの予想が出ていたのですが、残念ながらまた雨と暗い雲の1日となりそうです。イギリスもそうですが、ドイツも天気を予想するのが難しいみたいですね。明日はちなみに晴れの予報なので走りに行こうかなと思っています。

走れない日は家で筋トレやストレッチをするようにしています。機械を持っていないので殆どが自重トレーニング。ヨガのマットをしいてそこで腕立てや腹筋などをしたり、少しは体が柔くならないかとストレッチをしたり。僕の、子供のころから本当に体が硬くて、、、。年齢を重ねてくると色々なところが痛みを伴ったり思うように動かなかったりしますよね。転ばぬ先の杖で、今から基礎体力をつけておこうかと。

日本の武道で良く使われる心技体。精神、技、体力を鍛える。この年になって、この言葉の美しさと、そのバランスの難しさを感じています。若い時は勢いだけでどうにかなりますものね。そんな、精神を鍛えてくれそうな場所にも今回の旅で行ってきました。

和歌山県の熊野古道での一泊二日トレッキングを終えて、次に向かったのは島根県の出雲大社。

近年では縁結びの神様として人気があり、若い女性の観光客を魅了している場所ですよね。僕が興味をひかれたのは少し前に僕が日本の神話に興味を持っていて、その時に登場するのがこの出雲の国。

日本の始まりって神話では世界は最初、形をも持たない混とんとしたところ。その状況は長い事続きますが、ある時に天と地に分かれそこに最初の神様となる人物が現れます。その人自体は特に何をもするわけではないのですが、その後いろいろな神があらわれて世界は天界は高天原、地上は葦原の中つ国、冥界は黄泉の国と分けられます。神が増えるにつき高天原は活気を帯びてきますが、地上の中つ国は海があるだけ。そこである二人の神様を地上に送り、島を作ることに。これが日本の始まりですね。最初に作ったところがよく言われるのは淡路島。そして、四国、隠岐、九州を作りその後数個の島を作って最後に本州の番になります。地上が生まれると、その地に根差した神さまなども生まれます。ですが基本的に懇意本を納めていたのは天界の高天原の神様。しかし、いろいろな出来事を経てその主権をこの中つ国の神様に譲る事になるのです。それを“国譲り”と言うのですが、それが行われた場所こそ、出雲大社から徒歩で15分で歩いて行ける稲佐の浜の沖合だそう。

ね、面白いでしょ。神話には想像力ゆたかなお話が多くて好きなんですよね。神学はもちろん、哲学にも科学にも通じているようなところがあって興味を掻き立てられます。だから、どんな場所か見てみたいなと言うのがあったんですね。

紀伊田辺からは途中で新大阪と岡山で乗り換えをして島根に電車で向かいました。朝の8時過ぎに出て着いたのは午後3時ごろだったかな。特急やくもの乗車時間が長かったので、、、。だけど、中国山地を越えて、右側に川の流れを見ながら行くのはとても素敵でした。昔ながらの農家の家々や、野生のイノシシの親子も車窓から見ることができました。

これが国譲りが行われたと言われる稲佐の浜ですね。素敵な風景でしょ。あと毎年10月には日本国中の神様がこの浜に海から上陸して出雲大社に集まるのだとか。だから10月は別名を神無月っていうでしょ?あれはすべての神様がいつものところを離れて出雲に行ってしまっているからなんです。ただ、出雲は他のところは逆で神さまだらけなわけで、なのでここでは10月は神在月と言うそうですよ。面白いですね。

出雲大社は僕は好きでした。確かに神社の周りは観光化されて、お土産屋さんだとかが多くありましたが統一性があり、出雲大社の敷地内は本当に落ち着いた雰囲気でそれが心地よかったですね。

ただ、一番惹かれたのはその周りの環境だったかなとも思います。少し道を外れるとそこには、ここに住み人々の生活が感じられて、そして神への信仰や敬いがその生活を美しく混ざり合っているバランス。そこに一番の魅力を感じました・

出雲大社から歩いて数分のところににある、住宅地の奥にある小さなお社。地元の人が朝早くから綺麗に掃除をなさっていました。

昔ながらの門構え。なんて美しんでしょうね。こんな門構、今では見なくなりましたよね。見るとしたら、郷土博物館の中とかじゃないです?それが今もなお生活の一部として機能しているというのは素敵な事です。

出雲への道のりは長いものでしたが、そこで触れたものは大きくて遠回りしてよかったなとおもえました。皆さんもどうぞ、いかれてみてください。

時代を超えて人を招く道 熊野古道

大人になってからかそうなのかもしれないですけど、期待をしているとその期待があまりにも大きくて、”思ったよりは、、、。”ってことがありませんか?

僕がこの感覚にとらわれるのは、映画が多いように思います。かなり前から。”みたいな。見たいな。観たいな。”と待ち焦がれていて、いざ見てみると、”。。。。”言葉にもならない思いが。それが問題なのが、決して悪い出来ではないという事。自分に合っていないものだったら、”つまらない。”で終わらせれるんだけど、嫌いではないんだけど思ったほどの期待値に届かなかった。この時のガッカリ感は大きくないですか?これに入る映画は僕の中ではアバターとブロークバックマウンテン。

折角に熊野古道の第2日目を今から書こうとしているのに、否定的な物言いから始めていいのだろうかとも思うのですが。

この中辺路の僕たちの最終目的地は、熊野本宮大社だったんです。八咫烏(やたがらす)ってご存知ですか?日本神話に出てくる神武天皇の道案内をした3本足のカラスですね。このカラスが熊野神社のシンボルでもあって、サッカー日本代表のユニフォームにも描かれていますよね。あまりにも残念な事ばっかり最初に書いてもつまらないので、僕たちの道中のお話に。ただ、この上の文章の事を頭に入れておいてくださいね。

さて2日目。前日に郷土料理をたべ、古民家に泊まって朝ごはんは早めの6時半。そして7時には、ハイキングスタート。この日は前の日よりも距離が長くて23kmほど。昨日の雨はやんではいますが、天気予報によれば正午過ぎから崩れる可能性が。なら、いそがねばと朝の涼しい空気の中を歩く僕たち二人。

熊野古道、道はいつでも山道と言うわけでもないんですよ。途中に舗装道路を歩くこともあります。けど、交通量も少なくて出会った車なんて2-3台でしょうか。この道は地元の何か用のある人しか使わないようで、ほとんどの車は谷の下の幹線道路を通っているようです。なので、何となく舗装道路だけどもの悲しさも感じるんですよね。

最初は視界が開けないのですが、途中でものすごく眺めがよくなります。自分がどれだけ山深くに来ているのか、そしてどれだけの標高を上がったのかが見れて気持ちがいいですよ。ね、かなりの上り坂でしょ。

 

 

ユリ君は舗装道路が最初続いていたので少しだけ不安そうに、”このままずっと最後まで舗装なの?それは嫌だな。昨日みたいな森の中を歩きたいよ。”とこぼします。確証はなかったのですが、世界遺産にもなった熊野古道。これからすっと舗装なわけはない。”大丈夫だよ。すぐにまた森の道になるから。”となだめて先を。

すると、また森の道へと行くように立札が。僕も一安心。

確かにユリ君、森の中のほうが彼の雰囲気にあってるなって思います。お酒もコーヒーさえも飲まずに主な飲み物が水と言うユリ君は何となく森の妖精的な雰囲気があるなって。妖精と同居していると思うと、何となく楽しいですね。

そんな妖精さんと山を登り、またくだり、水の脇を歩いたり、清らかな川を越えたりと昨日にも負けないような運動量を使うコース。ただ今回は下りがかなり多くて僕たちは下りがそこまで早くないので苦戦しました。

登りも急ならば下りも急です。しかもこの石畳。僕が思うにはかなり昔に作られたものではないかと思うんですよね。この石畳が前日の雨でぬれていてまるで氷のように滑るところがこの中にあって、それが怖くて、、、。かなり及び腰で下りました。

苔むした橋を渡って続く熊野古道。この中を歩いていると自分が今、いつの時代に生きているんだろうって不思議な錯覚にとらわれてしまします。大自然の中にいるって錯覚してしまいそうですが、ちゃんと枝打ちされた木々が。いろいろな人の助けでこの古道は成り立っているんですね。自然と人々の共存が日本の自然美の美しさなのかもしれません。どちらが支配をすると言いうのでなく、お互いを思いながら共存することが。

 

そんなことを考えながら、熊野本宮大社に到着。7時間かからずにたどり着くことができました。大きく威厳ある参道。それに続く神社は、、、。素敵な建物の神社なのですが、神殿の中にはサッカー日本代表チームのユニフォームが飾られ、八咫烏の乗った郵便ボックスがあり、右側にはお札やお守りを売る場所が大きく構えられている、、、。あんなに素朴で自然となじんでいた熊野古道からのギャップが物凄くて、、、。明らかに僕達は2017年に住んでいるっていう実感が、、、、。熊野古道の余韻を楽しみたかった僕たちは数分後には帰りのバスに乗り込んでいました。

バスは最初から最後までほとんど貸し切りで谷の底を流れる川の流れを見ながら、紀伊田辺へ。2時間ほどで到着。僕たちはこの2時間を2日間かけて歩いたと思うと、何か不思議な気がします。

もし何か熊野古道の質問でもありましたらいつでも聞いてくださいね。ハイキング好きにはたまらないですよ。

 

 

もののけ姫と歩く

阿蘇では初雪が降ったという事で、日本も冬が本格的に始まっているようですね。風邪などひかないように気を付けてくださいね。

ドイツ北西部も不思議な天気です。このあたりはオランダのように海面部よりも低いところもあり、雪が降るという事はあまりないそうなのですが、冬の天気の心模様はかなり身勝手。昨日もユリ君と走りに出かけたのですが、家を出たときには太陽が顔を出し、大きな虹も見えた秋の穏やかな天気。そして走って15分ほどすると突然に雨雲が空を覆って冷たい雨が降り始めました。体温が高いせいか、ユリ君の顔は冷たい前を受けて赤ら顔に。あまりにもかわいそうで途中で引き返すことに。帰り着くころにはまた晴れ間がのぞいていました。本当にあまのじゃくな冬のお天気です。

そんな日は家の中でぬくぬくとしていたが一番ですよね。夕飯を食べて、DVDを見ることに。今回のチョイスはジブリ作品のもののけ姫。僕が高校生の時に映画館で見た作品で、その迫力に見た後は言葉が出てこなかった覚えがあります。

なぜ、もののけ姫にしたかと言うと今回の日本での旅で行った和歌山県の熊野古道がこのもののけ姫の世界観に似ているなと思ったためなんです。山深い土地の神聖なる道、熊野古道。そんな旅の思い出をユリ君が思い出してくれるのではないかと思って。ドイツ語吹替の日本語字幕と言う少し不思議な感じで観賞会となりました。

ね。おっことぬしや、こだま、モロが生きていそうな森でしょ。ちなみに熊野古道はこの写真の真ん中の木の根の階段になっているところです。

熊野古道は和歌山県にあり、奄美大島から飛行機で関西国際空港に着いた僕たちはJRの特急に乗って紀伊田辺駅へ。ここで一泊して次の日の朝早いバスで熊野古道の中辺路である滝尻王子へと向かいました。今日は残念ながら雨の予報で、大粒の前でなく小雨だったので難を逃れましたが、雨のおかげで靄が立ち込めて幻想的な雰囲気を楽しめました。

熊野古道は2004年にユネスコの世界遺産に登録されて、日本でもそして特に海外でも注目を集めました。今回は平日に2日間、熊野古道歩いたのですが歩いていて触れ違ったり追い越した人で日本人だったのはたった1人。あとはみんな外国人の人々。ただ、天候が初日が雨だったこともあり歩いている人自体が少なかったのもありますが。人間が沢山いるところが嫌いな僕たちにとっては完ぺきな人口密度。

初日は近露王子を越えて、見晴らしのいい古民家のあるところまでの16kmほどの道のりです。

滝尻から始めたのですが、最初から物凄い上り坂。登っても登っても。まだ登る。息も上がるし、汗も雨の中で噴出してくるほどの急こう配。このような道を信仰の心をもってたくさんの人たちが今まで歩いてきたのだなと思うと、信仰心とはなんとも強いなと感じずにはいられません。この道が活気を持ちはじめたの、はもののけ姫の時代ともいえあれる室町時代。それから江戸時代にも伊勢参りとならぶように人気があっただとか。ある時はこの何にもない奥にお茶屋さんがあったほどだとか。

途中でお地蔵さまがあり、その横には案内の立て札が。なんでも、熊野詣りにはるばる大分よりきた男性の霊を慰めるべく建てられたのそう。この男性は熊野古道の急な道のりに疲労困憊し、空腹も加わってここで生き途絶えたとの事。

みんなが楽しくここを歩いてお参りに行ったというわけではないようですね。それぞれの思いを胸に自分の身を危険にさらしてまでも神に聞き入れてもらいたい何かがあった人々の思いがこの道を特別なものにしたのかもしれません。

この写真でわかってもらえるかわからないんですが、かなりの急こう配なんです。今はこのように整備されていますが、昔はもっと足場が悪かったのかもしれませんよね。

その後、一旦この道はある集落へとでます。そのころには雨も止んで、木々の間や谷からどんどんと靄が立ち上がって、空へと昇っていきます。そこにある小さな集落はまるで空に浮かぶ町。見晴らしのいいところが休憩所になっていて、その前には黄金色の輝く田んぼが。日本の美しさを感じさせてくれます。

熊野古道は標識が丁寧に色々なところに立ててあるので迷うという事はありません。時に地元の人が笑いながら手を振ってくれたり、野生のシカにであったりと、面白いですよ。ただ、足元が悪かったり、雨が降ったりするのでハイキングシューズとある程度の服装をしていくことをお勧めします。

ここを後にするとまた、小雨が。

宿に着いた時には、びっしょり濡れて全身も疲労を訴えるほどに。だから、宿でのお風呂がとても気持ちが良かったこと。ハイキングって素敵な景色を見たりすることも面白いんですが、家に帰って今まで履いていた靴から解放されたり、ベッドに横になって眠れるときにも幸せを感じるですよね。この感情が時に病みつきになったりして、ハイキングがやめられないのかも。

もののけ姫の気分たっぷりの熊野古道です。

食べ物のシンプルさと食の神髄に思いを馳せて

雨が降ったり、晴れたりと落ち着かない空模様のドイツ北西部。これが冬の気候だと言われれば、それを受け入れなくてはいけないですよね。けど気が付けば、あと一ヶ月ほどで冬至。という事はその一か月後にはまた、日が長くなっていくと思えばそんなに苦痛ではないのかもしれません。今まで曇りで、雨粒が降っていたのに突然に眩しい太陽が顔を出して外の通りを明るく照らしています。日が出ているうちに、ジョギングにでも出かけてこようと思います。

そんな日曜日の朝はユリ君が朝ご飯を作ってくれました。トーストにスパニッシュオムレツ。コショウが少しと、塩分をそんなに感じないシンプルな味付け。そのために、具材のタマネギの甘みをよく感じられて僕は好きだったんですよね。なので、何気なしに”今日のオムレツはシンプルでいいね。”とユリ君に伝えると。

”そんなシンプルじゃないと思う。もっと、スパイスを利かせるべきだったって事?”との返答が。

どうやら、シンプル=味がなくまずい、と言った方程式がユリ君の中にあるようだったのでそれを訂正して、”おいしかったよ。”とは伝えたのですが素直に受け取ってくれたかは、、、。

確かに色々なソースやスパイスを混ぜ合わせてコンプレックスな奥深い味というのも美味しいと思うのですが、使っている野菜や肉の味を前面に押し出したシンプルさって素敵だなって思うんですよね。特に日本に帰って色々なものを食べてその思いが強くなったように思います。

今日は日本で食べた食事の話にしようかなと。

日本食って確かに準備に手間暇かかる物も多いですよね。だしを取るために煮干しを前の晩から水に浸して置いたり、和菓子にはほとんどとも言っていいほど使われる餡を作るのだって、ものすごい工程と時間が必要で。だけど、そこの中に使われる素材はシンプルなものが多いのかと。

餡だと使うものは、小豆と和三盆糖だけだったり、煮物だと出汁、醤油、ミリン。世界で今となればどこでも通用する言葉になった寿司も、寿司米と魚、そしてワサビのみ。刺身に至っては魚だけの味を楽しむものですもんね。だから、味がシンプルというのは素敵な誉め言葉だなって僕は思うんです。

そんな、素材の味を感じられるシンプルな日本の食べ物に出会い事が今回の旅でできました。

まずは、和歌山県の熊野古道を旅した時に泊まった古民家。

兵庫で生まれ育ったある男性がオーナーで、自分で古びた民家を改良して熊野古道を旅する旅行者に安価で宿を提供しているんです。この古民家、一見丸ごと貸し切りで中には台所、木の香りが充満するお風呂に、畳の間が3部屋。もちろん昔ながらの縁側もついて、道を挟んで素敵な熊野の山深い景色の広がりを見ることできます。台所があるので自炊をしてもいいのですが、1日中山の中を歩いて近くにスーパーもないので夕飯もお願いすることに。朝食もついていますよ。オーナーが朝に近く町の喫茶店まで車で送ってくれるし、今回は無理を言っておひるごはんのお弁当も頼みました。それで、1人8000円はお得でしょ。

この料理の種類の豊富さ。ほとんどはここのオーナーの手作りで、その他のものは近所のおばちゃんたちの手作りのものだそう。旬のものを食べれるおいしさ。そして、田舎料理の温かみが1日中歩き疲れた体には心地よかったです。

この土地で育っていないオーナーが、過疎化が進むこの場所で近所の人々とつながって助け合いながらこの古民家宿泊を地域をあげて活性化をしている姿が印象的でした。

古き良き日本の姿をユリ君に見せたいと思っていたので、島根県の出雲では旅館に泊まることに。確かに、値段は結構な額でしたが夕食と朝食が入っていればそこまでは高くないのかもしれません。しかも、島根特産のおいしいものを豊富におなか一杯に楽しめたのですから。

ここで感じたのは盛り付けの美しさ。口で味を感じて、鼻で匂いを感じ、目でその料理を楽しむ。ものすごい数のお品書きだったのですが、どれが一番目立っているわけでなくてそれぞれに輝きを放って、主張をしすぎにハーモニーをなす。まるで日本人の精神構造を現したようだなって食べながら思いました。

喜界島では島料理を。この島ではヤギを食べるんですが、ヤジの刺身なんてのもあるんですよ。今回はヤギの刺身は食べずに、炒め物に。確かにラム肉に様な臭みが少しありますが、美味しい。あとは、島でとれる白身の魚の刺身や、夜光貝の焼き物などを島のレストランで食べ、クレちゃんの実家では、島ミカン、手作りのグアバアイスクリーム(庭にグアバの木があって、あまりにも実がなりすぎて食べれないほどなんだとか。)お母さんお手製の島のお吸い物と至れり尽くせり。

あとは、喜界島のおもてなし料理である鶏飯(けいはん)を食べにある食堂へ。地元の幼稚園との運動会と重なったこともあってか、僕達が行った時には鶏飯は残念ながら残り1つ。ユリ君にそれは譲って、僕は油ソーメンを。途中で、ここのお母さんが作ってくれる無農薬のニガウリのお茶うけなどもいただいて、地元の味を堪能しました。

 

もちろん阿蘇の実家に帰って母の手料理をおなか一杯に毎日食べれる幸福感。”何が今日は食べたいの?”って毎日のように聞かれたのですが、あまりにも食べたいものがありすぎるというよりは、何が出てきても美味しいので選ばなくてもいいかと母に任せました。

自分でご飯を作る今ですが、母の作るものは自分で作ることってないんですよね。だって、自分で作って食べて思うことはいつも一緒だから。”あー。やっぱり母の味を超えることはできないな。”って。

栄養素を取るために食事という物があるわけだけれども、人間は料理という物をした時から、栄養だけではない、人の感情や愛情もその中に込めて相手に食べさせているのだろうなとこの旅を通じて感じました。ただ、口に詰め込むものでなく、味わって食べる食事にこそ食の神髄はあるのかもしれませんね。

喜界島を思う 歴史、人、言葉

昨日は金曜日だったのですが、残業が最近多かったらしいユリ君はお休みに。ドイツの働くシステムって良く出来てるなって、こんなところで思います。ユリ君の会社では基本労働時間は、1日8時間の週5回。ただ、何かがあって残業をしなければいけなかったりすると8時間以上働いた時間を残業手当でもらうか、その時間をためてほかの日をお休みにできる。素敵ですよね。

ドイツやイギリスをはじめ、休暇というものがちゃんと取れるという事は本当に大事なことだなって思います。残念ながら日本はそのようなところが遅れていますよね。僕の父もかなりの有給が余っているようだし、有給があるのに冠婚葬祭や、何かの特別な時にしか使えないというのはヨーロッパに住む身からすると驚き以外の何物でもないので。この有給って、国によって会社によって日数も違うのですが今ユリ君は30日。つまり、6週間分のお休みですね、

今回の旅ではユリ君は日本で2週間、その後帰ってからの数日を時差ぼけなどを仕事に復帰するまでになくすのに取りました。

長い休暇の後って仕事に戻るのが億劫ですよね。毎週の日曜日の夜にこんな気分になりませんか?”あーまた、仕事/学校だな。”って。なので、帰って来てからユリ君に聞いてみたんですよね、休暇の後に仕事に戻るのたいへんじゃなかった ?って。するとこんな返事が、”この3週間近く、仕事のことを一切考えずに過ごせたよ。また、新たな気持ちで仕事が出来てストレスもなくて、いいよ。”だって。

確かに、毎日同じように仕事をして、同じルーティーンで1年間を30年も40年もつづけるのって精神的にも肉体的にも大変なことですもんね。けど、そこに休暇とという物があれば、年に1ヶ月半は仕事を全くしない時期がある。そうするとちょうど仕事の中休みになってまた新たな気持ちで仕事を始められる。この息抜き間って大事だなって思います。

そんなユリ君は今はもう、次のホリデーを何にするか考え中。なんでも、新車のキャンピングカーを北アメリカ大陸横断を考えているようです。次の休暇を考えて、それまで頑張って仕事をするというのもまた、ありな考え方ですよね。

さて、話を日本での休暇に戻しますね。

奄美群島の中にある喜界島でのお話をもう少し。

この島は昔は中国の影響をも受け、第二次世界大戦後は一時は日本を離れてアメリカの管轄になったこともある島なんですね。太平洋戦争の時は、鹿児島から飛んできた特攻隊の人々が燃料の補給に止まったのもここ。喜界島。そしてここからアメリカの艦隊に突撃していった土地。そんな若き特攻隊の隊員が出ていく前に、島の女性たちが最後に花束を渡していたそうで。けど、どこへも持っていく場所のない特攻兵たちはその花を喜界島に置いて旅立っていき、その真っ赤な花が戦後70年以上経っても、彼らが最後に旅立った飛行場の周りには咲き乱れているそうなのです。そして、島の人たちはその花を特攻花と呼んでいます。

そんな歴史を持つからなのでしょうか、一昔前によくテレビに出ていた霊能力者の冝保愛子さん。彼女が一度、この島を訪れたことがあったらしいんです。その時に飛行機で来たらしいのですが、タラップから降りようとしない彼女。どうやらそこに無数の霊がいて、怖くて降りたくないといったのだとか、それでそのまま島に降りることなく帰ってしまったんだよと、笑いながら話すクレちゃん。”っそんな島に住んで生活してる私たちってね。どんだけ霊感がないんだろうね。”と明るい返し。けど、これがこの島で生きる人たちの性格だなとも思います。会う人会う人、笑顔で、話が面白くて、明るい。そして、外から来る人をものすごく優しくもてなしてくれる人情。

今回はもともと、クレちゃんのおばあちゃんの家に泊まる予定だったんですよね。広い家だし、部屋もあるから大丈夫だよって事で。それでそのつもりでいたら、島に行くフェリーの中で、”おばあちゃんの家でなく、ログハウスを借りました。’とのメッセージがクレちゃんから。あとで話を聞いてみると僕とユリ君が泊るという事を聞いて、”いいよ。いいよ。”と言っていたおばあちゃん。ただ、僕たち2人の事を女の子2人組だと思っていたそうで、見ず知らずの男性2人が泊っていたら、私は恥ずかしがり屋だし、夜眠れないかもしれないと心配になったそう。それで急遽、こんな素敵なログハウスにユリ君と2人で泊まることに。

かなり大きなログハウスで、6-8人は泊まれる大きさです。バルコニーはあるし、裏にはデッキングもあって島での穏やかな生活を送るにはいい場所だと。

そんな恥ずかしがり屋なおばあちゃん。驚いたのがおばあちゃんの話す言葉。クレちゃんのお父さんとおばあちゃんの会話を聞いて、何かを理解しようとするんですが一言だって何を言っているのかわからないんですよね。本当に。だって、東北弁とかって確かに理解するのが難しいけど、これって日本語だなって思えるでしょ、喜界島の言葉は、日本語ではないイントネーションで、しかも一つも聞き取れないんです、驚いたことに。まるで小鳥がさえずるような音程を持っているんです。しかもおばあちゃんが恥ずかしがり屋さんで僕たちには直接的に話してくることは少ないので、僕の中でおばあちゃんは日本語を話さないようなイメージがあって、突然に”ありがとうね。また来てね。”と言われて、”そっか、おばあちゃん日本語喋るんだよね。”っと思ったほど。もちろんおばあちゃんは僕が何をしゃべっているかはすべてわかるわけで、、、、。

そんなおばあちゃんの一番のお気に入りはユリ君だったように思います。

近くの島料理を出してくれるレストランにクレちゃん家族全員と夕飯を食べに行ったとき、いつもは夜8時には寝るというおばあちゃん。飲んで、食べて、しゃべってとしているといつの間にかに8時半過ぎ。ユリ君とおばあちゃんは似ていて、自分のペースでご飯を食べ、そんなにしゃべるわけでもなく、宴会の雰囲気に身を任せているといった感じ。なので、お父さんが気を利かせて、”そろそろ、おばあちゃんは先に帰ろうか。”と提案したところ、”いやいや、まだいたい。”と笑顔で返答が。そして、何かあるたびにテーブルの向かい側に座るユリ君に食べ物を勧めるおばあちゃん。今年87歳という年齢に見えない若々しさと、健康を備えていた素敵な女性でした。

そしてもう一つ島の言葉について驚いたことが。この前書いたようにこの島は車で走れば40分ぐらいで1周出来てしまう所なんですよね。その島で、実は言葉が違うらしいんです。おばあちゃんの住むのはこの島の一番栄えている、湾という地区。お父さんとおばあちゃんは島言葉をしゃべっているのですが、お父さん曰く、隣の地区のおばあちゃんぐらいの人たちが喋る島言葉は何を言っているのかわからないのだとか。その地区との差は距離にすれば数キロ。けど、もう言葉が違う。面白いですよね。興味深い島だとおもいませんか?

そんな喜界島。今、観光に力を入れているですが、クレちゃんいわく観光施設がそんなにないのが問題なんだとか。確かにガジュマルの木や、島で一番高い見晴らし台の百之台、ハワイビーチ、などあるのですが、確かに地味な感じの場所が多いんですよね。だけど、それがこの島の魅力だなとも思うので、あまりリゾート施設は作ってほしくないかも。島の生活に数日間、溶け込んでいくようなスタイルこそがこの喜界島にあった観光なのかと僕的には思うのですが。

この写真は百之台からの景色。吹き上げる風を使ってカラスがうまく飛んでいるさまが美しくて見入ってしまいました。

喜界島の温かさにふれて、この島の面白さを感じ、喜界島が僕の中で第2の日本での故郷に感じました。また、次回での日本帰国の際には遊びに行かないとな。