幸せは足元に転がっているのに、僕たちは上を見上げ続けるのだろう

6月も半ばになってきましたがいかがお過ごしですか?梅雨の長雨や、僕が日本に住んでいた時には無かった言葉「ゲリラ豪雨」などこの季節は自然災害も起こりやすく、また湿気の高さやスッキリしないお天気のために気分も落ち込みがちになりがちですよね。みなさん、元気になさっていらっしゃいますか?

僕はいつものように毎朝の散歩に出かけて楽しい朝のスタートで1日を始めています。そういえばその散歩で藤の素敵なバスケットを数個、無料で手に入れることができたんです。早起きは三文の得ですね。

実はドイツには面白い習慣があります。家の中でいらなくなったものってありますよね。「まだ使えるんだけど、あっても使わないんだよね。」そのようなもの、皆さんはどうしていますか?ドイツの人はそれを段ボールとかに入れて「ご自由にどうぞ」という紙を張って自分の家の前に置きます。

通行人はその箱の中に自分が欲しいものがあれば、ただそこから欲しいものを取って家に持って帰ればそれでおしまい。物を減らしたい人はごみとして処分しないでいいし、何か欲しいものが入っていればまた誰かが有効利用をしてくれる。とってもいいシステムだなって僕は思っています。なので今回の藤のバスケットももういらなくなったのである家の前に並べて置いてあったので無料で手に入れることができたというわけ。

この「お家前リサイクル」本当に色々なものを手に入れようとすれば手に入れることができます。僕がこれまで半年間の中で目撃をしたものの例を挙げると、机、ダイニング椅子、オフィスチェアー、レトロな人形、鏡、小ぶりな食器棚、トマトの苗、ソファー(これは外に置けないので張り紙が家の前にありました)、芝刈り機、スプリンクラー。ね、本当にありとあらゆる物があるでしょ。

自分の欲しいものが道の横に落ちているなんてなんて幸運なことでしょう。そして、そんな日は何となく自分の人生が良いものに思えるんですよね。

そこで思ったんです。僕たちの「幸せだ」とか「不幸」だって気持ちは自分の物の見方で変わってくるのではないかって。

僕は自分の人生がとても好きですし、この人生で本当に良かったなって思えます。誰かに「あなたは幸せですか?」と聞かれたら、「はい、幸せです。」と答えると思うんですよね。

では僕の人生というのはそんなにもバラ色の人生なのかなって思われた方います?僕にとってはバラ色の様にも見えるんですけれど、ネガティブな個所がゼロかというと絶対にそうではない。例えば僕にはキャリアというものはありません。収入だって同年代の人に比べれば遥かに少ないし、フリーの仕事なのでいつ失業をしてもおかしくない。アメリカ、イギリス、そして今ドイツに住んでいる。もしかしたら将来は違う国にいるかもしれないし、そもそもドイツに残れるのかも分からない。これってかなり不安要素大きい人生ですよね。

けれど、キャリアがない分、僕は自分の時間が多く取れてその時間にYouTubeの動画を企画、撮影、編集出来たり、こんな風にブログを書いたり、ベランダのガーデニングをしたり、写真アートを作ったり、「人生を楽しく生きるにはどうしたらいいのだろう?」と考えることもできる。この自分の時間が僕にとってはお金よりも大事なものなのです。

キャリアや大きな収入はないけれど、毎月生き延びることができるお金は稼げているし、少しだけども貯金もできてる。それでいいじゃないかって思うんです。フリーの仕事も確かに先行きが見えないので不安ですが、そんなことを気にしていたら生きていくのは辛くなるだけ。それならば「この人生の長い間、フリーで生きてこれたのだから、これからもそうなる可能性が高いよね。」と自分に励ましてをかけたほうが精神的にもいいですよね。

4つの国に住んできた中で、どこの国に住もうが結局は自分なりの生き方を探して、好きなように生きてきた。だからドイツであろうがそれが他の国であろうが僕にとっては多分さほど関係はないはず。

確かに楽観的に見すぎるのは危険かもしれません。だけど、ネガティブな気持ちっていつか自分を蝕んでいくので、もしネガティブな所を心の中で思うのであればそれに対処できる自分なりの説得法を考えておくことが必要だと思うんです。これが上記に書いたようなものですね。これをちゃんと不安になっている自分に言い聞かせてあげること。その時はただ言うのではなくて、子供に言い聞かせるようにちゃんと納得をさせる話し方で喋るのが良いかもしれません。

僕たちがどうしてこんなにも自分の置かれている状況の「不幸」に目を向けてしまうのかを考えてみるともしかしたら学校で学んだことが起因しているのかもしれないなと思いました。

ほら学校では「テストの点数は高いほうがよい」、「スポーツをするならば勝つこと、優勝することを念頭に練習しよう」とか、全ては今あるところよりももっと上に「良いものがある」と僕たちは教えられてきたように思うんです。

ではそのベースにある考えって何だろうかと考えると「今のあなたは不完全で、そこに幸せを感じるなんて無意味」とか「幸せはここには無くて、向上心をもってこの壁を上り上げたものだけが持てる特別なもの」という事ではないかと思うんです。つまりは、「自分の現状は不幸であると感じること」ですよね。

これならば自分の人生に幸せを感じる人が少ないのも納得できます。だって僕たちが届かない目標設定をして、そこに頑張ってよじ登ろうとしているのだから。

しかも、そこにたどり着いても、気がつくとまた高いゴールを設定してたりするんですよね。

お金であれば、収入が300万だった次は500万、その次は700万。または、インスタのフォロワー数なんかもそうですよね。最初は200人で「うわーたくさん!」とか思っていたのに段々と「500人ほしい!!」「次は1000人!!」どちらも上を見たらきりがないですよね。そして上に行けば行くほどにそのハードルが高くなっていく。

幸せのハードルが高いと、それに届かない自分の人生との差が大きすぎてそこで落胆。「僕の人生なんて、、、、」と不幸な気持ちに浸る。

けどね、思うんです。どんなに名声を得ようが、お金持ちになろうが、彼らが幸せであるかどうかは本人次第だって。それはニュースを見ていれば分かりますよね。傍から見たら幸せそうな人が自分の命を絶ったり、薬物やアルコールに依存していたり。僕たちが思う幸せの象徴であるはずの、名誉的地位や、お金があるからと言って決してそれが幸せと結びついているわけではない。

それならばその届くか分からない高いハードルに挑戦するのではなくて自分の足元を見てみませんか?

今自分が持っているも物、自分の周りにいる人々、生きている環境。この中に無くしてしまったら後悔するような大事なものが数多くあるのではないでしょうか?そしてそんな素敵なものがある自分の人生って幸福ですよね。

だからね、始めてみましょうよ。自分の人生に何があるのか、そしてどれだけ自分の人生は幸せに満ちているのか、自分の足元をしっかりと見てみること。

そうすればもう、「自分の人生は不幸である」とは思えなくなるはずですよ。

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