日本の空気が我が家に

どうしたのか週末から温語がぐんぐんと上がって、火曜日の今日は最高気温が26度になる予想が出ているほど、真夏のドイツ北西部。わかってはいます。日本のほうがもっと暑いって!!だって40度近くまで上がっているんですよね、日本。それに比べたら海風がまだ肌に気持ちがいいし、日陰に入れば暑さも和らぐ感じのドイツの夏。でもね、ここで育った人たちにしてみれば、真夏なんです。

昨日。駅から帰っていると押し車に買い物で買った飲み物や、袋を下げてゆっくりと歩く初老の女性が。何となく視線を感じていたので挨拶すると、一気に何かを言われる僕。???だったので聞き返すと”、、、、、、ここでは普通じゃない、、、、’って聞き取れて、’あれ、もしかして アジア人はここにいるな!”的なことかな?って思って考えていたら、”ほらこんなに太陽が出て、これってここあたりでは普通じゃないでしょ。”っていうお天気に対してのお話でした。

ほっと一安心。あんまり疑い深くあってもいけないですね。

”本当ですね。暑いですよね。’って返信はしたものの、何かその後に続く気の利いた言葉が続かないのが最近の悩み。そのおばちゃんは、’それじゃね。’って去っていきました。’買い物に行ってきたんですか?重そうだけど大丈夫ですか?”なんて言葉もかけれたのになー。まだまだだな、僕のドイツ語と思った出来事でした。

学校がないのになぜ、駅へ? 実は友達が引用日から昨日まで遊びに来てくれていたんです。彼女は日本在住なのですが夏はロンドンに毎年来てて、その度にあていあたんです。ただ、今年は僕がドイツにいるので会えないだろうなと思っていたとこ、「インスタの写真見たよ。あのランニングコース、よすぎる!!そこで走りたい!!」とのメッセージが。いらっしゃい、いらっしゃい、ということで今回の滞在となったわけ。

彼女、英語、ドイツ語、日本語の3か国語を操る才女。竹を割ったような性格だし、物凄くドライ。そこがいいんですよね。付き合いやすい。よく考えてみれば今までは一緒に昼ご飯とか、夕飯だけだったのでこんなに長く一緒にいたのは初めて。けど、お互いが好きなように好きなことをしてのんびりとした週末に。

そして僕が今行っているあるプロジェクトの助けを頼むことに。ま、さすが一刀両断が上手なこと。僕のプロジェクトのダメ出しをよく出してくれる事。そのおかげでより良いものになるのは間違いないのですが、ちゃんとたたき切ったあとに優しさを忘れないのも一流だなって。

そこで感じたのが日本の空気。

今僕の生活って僕とユリ君の生活でしょ?そしてその中にはほとんど日本を感じる空気がないんですよね。もちろん、日本の本とかはありますがそれはあくまで僕に付随しているものだし、本の世界はあんまり現実の世界と結びつくことがないので、日本色に空気が染まるってことがないんです。

ただ、友達が来て何となくいつもの空気じゃないなって感じるんですよね。なんだろう、全く違った質感がそこには存在していて、それが面白かったです。このアパートにちっちゃな日本が失言して、それが日を追うたびに部屋を埋めていく感じ。

そしてそれに気が付いたのが友達が明日いなくなるっていう時の夕方かな。’そっか、明日からもう、いないんだ。”って思ったその時に僕の今の生活は日本の空気がこんなにも濃く充満してるんだなって。

昨日の夕方の電車で旅立っていった友達。帰って来てからもまだ、日本空気が残っていて不思議な感じ。

ただ、今朝起きると、もうその空気はなくなって僕とユリ君の生活の色しかありませんでした。

昔の習慣を再び

実は今、ドイツ語学校が夏休みなんです。8月の終わりにまた学校が始まって、一ヶ月ちょっとの9月1日が試験なんですよね。なので、夏休みといいつつも毎日ちゃんと欠かさず勉強はしているのですが、なにせ30代も後半に入って覚えていても、数日後には単語を忘れているという悲しい現実。ただ、”忘れるのは仕方がない。いつかは頭に残ってくれるだろう。”という思いで先を続けています。あきらめも肝心ですからね。

学校がないからと言って僕の1日のスケジュールはあまり変わりません。6時過ぎには起きてユリ君を見送って、そのあと日記を書いたり、ドイツ語の勉強をしたり。通学時間が無くなった分、その時間を使って掃除をしたり、洗濯をしたりできるのはいいですよね。あと、せかせかされないので穏やかに日々が送れるということも。

今日は寒いのですが時には晴れ間ものぞていたので近所のスーパーに出かけて、食料を買ってきました。葉が付いたまま売られているラディッシュや、オーガニックのズッキーニ、パプリカにユリ君の嫌いなナスも。夏野菜を使ってオーブンで焼き上げようかなって考えています。週末ちょっと野菜不足なメニューなので、それを取り返すためにもいいかなって。味はこれもユリ君が苦手なアンチョビで味付けようと思うのですが、これを機に好きになってくれるんじゃないかと期待するのはダメかな?

そう最近していることがあって。これってなにも新しく始めたことではなくて、子供のころの記憶がふとよみうがえってきてまた始めたものなんです。子供のころの習慣で、大人になることで忘れてしまったことってありませんか?よく眠れるようにするおまじないとか、ちゃんと起きれるように置きたい時間の数だけ枕を軽くたたくとか。時間の流れとともに忘れてしまったことたち。

今しているのが、リンゴ酢を飲むこと。

これは僕の母親が僕たちにも見与えていたんですよね。今思えばうちの母はモダンな考えで、小学生の時からサプリメントを僕たちは与えられていました。カルシウムとかビタミンとか。今でこそ当たり前になってきているけど80年代の後半の阿蘇の田舎町でそんな人は多くなかったのではないでしょうか。その中に夏にはリンゴ酢を飲むというのがあって。もちろんそのままだと咽るので水で割るんですよね。それだけ。酸っぱさが強いのですが飲めないほどではない。子供だった僕と妹はすぐにその味に慣れ、ゴクゴクと暑い夏の日飲んでました。後味がすっきりしているのも夏にはぴったりで。

そのほかにも牛乳で割るっていう方法も母はしてました。酢と牛乳は混ざると少しだけ凝固するんですよね。白と黄色の不思議なまだら模様のそのドリンク。科学の実験みたいで好きだったな。

そんなことを思い出したのが、数週間前。近所のスーパーで、白ワインビネガーが切れたので探しているとフルーツ酢のコーナーが。その中にはマンゴー酢、ラズベリー酢などとともにリンゴ酢も。しかもパッケージのラベルに甘めとの表示が。確かにほかの巣に比べると当分表示が高め。たぶんこれは僕が子供のころに飲んでいたものと似ているんだろうなと思って買うことに。

やっぱり飲んでいなかった期間が長くて、最初は咽ました。漫画みたいに。けど今はもう大丈夫。この飲み物を口にするたびによみがえってくる僕の子供時代の夏の記憶を脳裏に感じながら。

皆さんもどうです、何か昔の習慣をまた始めてみては?

外国語を学ぶ心構えとは

夏時間が来たドイツは3月の終わりにして日没が午後8時。なので、最近はユリ君と夕飯後に散歩に出かけています。午後7時過ぎの街並みはまだ明るくて冬の暗さが嘘の様。春めいた感じもあるのですが、日本のようなポカポカの温かさはこの夕暮れ時にはなくて、コート着用での散歩。でも、ダウンジャケットがいらなくなった分、寒さも和らいでいるっていう事ですよね。もうすぐ4月にもなるし、今年はイースター休暇が今週の金曜日から翌週の月曜日までと心躍ることが目白押し。その間にも引っ越しの準備を着々と進めているという現状です。

このお祭りは処刑をされた人間だったキリストが地上に神としてに復活した日をお祝いするものなのですね。そしてこの日は年によって日付が変わる移動祝日なんですね。

イースター、英語で書くとEaster 東って意味の Eastに erが付いた形なんですよね。イスター、イスターって呼んでそれが定着しすぎてよく考えれば東の意味だなって思った事があって。それがドイツ語のイースターがOsternっていうのを知った時。Ostは東をドイツ語では意味する単語で、英語のイースターもと言う事は東が語源になっているのかと気が付いたことにあるんです。言葉って面白いなって。

僕のドイツ語も着々とその実力を伸ばしているように思います。そしてようやく待ちに待ったドイツ語コースの始まりがイースターホリデー明けの来週の火曜日。レベル4がどれくらい難しいか今は未知数ですが、頑張ってみたいと思います。

このブログを読んでいる人の中には英語やドイツ語、またはほかの言語を学んでいる人も多いのではと思います。僕も、ドイツ語を今猛勉強中でこれが僕にとっては3番目の言語です。そこで今日は、母国語ではない言葉を学ぶ時の姿勢について書こうかと。

僕がアメリカに留学したのが19歳になったばっかりの時、それまでは海外旅行をしたこともなく地元の田舎町でNHKのラジオなどを聞いて勉強をしていました。アメリカで勉強をしているときはひたすら、”ネイティブみたいに喋りたい!!”っていう思いが強く、大学が無料で提供する発音のコースとか、作文のコースを普段の授業とは別に取っていたんです。そのかいあって、発音も上手になったし、読み書きも良く出来るようになったんですよね。それでも、やっぱりネイティブの人との差って埋まらないんですよね。今も日常で英語をしゃべることが多いけれど、喋りながら”あ、今のところは間違ったな。”って気が付くことが多いし、発音できない音もあるし。英語の環境に入ってもうすぐ20年近くなるにこうなのだから、完璧になることはないってもう諦めてます。

けど、この諦めこそが大事なんじゃないかと最近思うんですよね。

日本の英語教育は皆さんご存知の通り、テストでいい点数を取れるための勉強ですよね。例えばテストで、He play tennis every weekend.って書くと点数はもらえません。なぜか?主語が3人称単数の時は動詞に3単元のsが付くからですね。では、この文章をネイティブの人に話して通じるのか?もちろん通じます。”なるほどね、彼は毎週テニスをするんだね。”って。英語って自分の思いを言葉に乗せて伝えるコミュニケーションの道具ですよね?その道具が少し具合悪くても相手には通じることが多いという事なんです。たとえば日本語で、”友達 毎週にテニスします。”って言われても意味わかるでしょ?完ぺきではないけれど、言いたいことはわかる。これが大事。ネイティブと同じように喋れるには中学生くらいまでにその国に行くことなのだそう、だからそれ以上の年齢の人は完ぺきになれないってことですよね。なんとく残酷に響きますが、そう考えると完璧でなくていいんだって肩の荷がおりる感じがしませんか?

これが大事なんだって。完璧な文章が出来たがいいけど、できないからって卑屈になることはないんですよね。日本語を勉強している人が時に間違いながらしゃべる日本語って”かわいいな。”って思ったりするでしょ?特に僕たちは見かけがアジア人で、”英語やヨーロッパの言葉は喋れないだろう。”って思われているので、聞くほうもその態勢で聞いてくれるのは僕たちの人種の得だなって思います。完璧に喋るという事は諦めて、自分の思いを一生懸命に伝えるという事に重きを置くと少しは喋るのが楽になるかもしれませんよ。

あとは、自分を褒めてあげる事。言語学習って時に、”うわー。一気にレベルアップした!!”って思える時と、”この数か月伸びてるどころか、後退してるな。”って時期があるんですよね。前者の時はいいのですが、後者の時は落ち込みますよね。一生懸命に努力しているのになぜ報われないのか、、、。自分にはその才能がないのでは、、、、と。けどね、着実に伸びてはいるんです。ただその伸びが目に見えるようなものでなくて、しかも今までよりもその言語についての知識が多くなった分、今まで気が付かなかった自分の初歩的ミスに目が行ってしまう、だから自分の語学レベルが後退したように感じてしまうのではないでしょうか?そんな時は、出来たところを褒めてあげてくださいね。”複数形の形がちゃんと頭に入っているね。とか、格変化が出来るようになったね、”って。特に大人になると褒め貰える機会が少なくなりますよね、それならば自分で褒めてあげましょうね。

ドイツ語を習って思うのですが、ドイツ語圏の人はドイツ語を頑張って話そうとする人にやさしい気がします。つたない単語の羅列のような僕のドイツ語をと頷きながら辛抱強く聞いてくれたり、”ドイツ語、頑張ってるんだね。”って声をかけてくれたり。これがね、英語圏ではないんですよね。”え、英語が喋れて当たり前。”みたいな雰囲気がアメリカにもイギリスにもあるん気がします。だからなのでしょうか、日本に来る英語圏の人って物凄いスピードで英語を日本人に話しかけてきたりしますよね。”日本語喋れないいんなら、ゆっくり喋ってあげようよ。”って思ってしまうのは僕だけでしょうか? 逆に日本を観光している人が少しでも、”すみません。’、とか、”ありがとう。”って言うと”がんばってるね。”っておもうでしょ?多分そんな思いが英語圏以外の国の人は持っているように思います。

ってこんなことを他人に書いているように見せて、自分自身に”大丈夫だよ。しっかりやっているよ。完璧でなくていいんだよ。”って言い聞かせてるんですけどね。

もし何か英語でも、外国語を学ぶにあたって知りたいことでもあったらメッセージでもくださいね。僕の知りうる限りの知識をお伝えします。

昨日の今日でまさか、この展開

寒い寒い寒波がヨーロッパを襲っています。只今の気温マイナス10度。かなりの極寒なんだろうと思ったのですが、風が強い強い割にはそこまでの寒さではないかなって言うのが正直の感想です。イギリスでは雪が降っているそうなのですが、ドイツ北西部はスッキリの青空。そのため寒さをそこまで感じないのでしょうかね。この後、買い物へと出かけるんでその時にはマイナス10の洗礼を受けるのかもしれませんが、、、。

さてさて、昨日のブログ記事を覚えていらっしゃいますか?来週の月曜日からドイツ語のコースが始まるって話ですね。11月に申請して、1月の始めにクラス分けテストがあって、3月の始めからスタートするコースを受けるけどちょっと不安を感じてるっていう事だったんです。ブログ友達で英語の語学学校に最近生き始めた人もいて、彼女の初日のクラスの出来事や雰囲気を書いたブログ記事を読みながら、”自分も来週はこんな感じなんだろうな。どんなクラスメイトかな。”なんて思いを馳せていたのですが。

物事って突然思ってもいない事がおきますよね。

昨日の夜、。それも寝る前に携帯にメッセージが届いたんですね。寝る前と言っても僕たちは就寝時間が9時半なので、メッセージが来たのが午後9時ごろ。送り主は僕の通うことになる学校から。多分、”ちゃんと来週からクラスに来ますか?来ない場合は連絡ください。”っていう内容だろうなっておもってパパっとみてみると、コースをコーディネートしてる人の連絡先、コースの始まりの日が書いてあって。やっぱりね、と思いながらもユリ君にも念のために見せておこうと歯磨き中のユリ君の元へ。

”あれ、コースはキャンセルなの?”って思ってもいない返答が。

”え?”っと固まるぼく。確かに日付が2つあって1つは僕が始める予定だった来週の月曜、もう1つは4月の日付で僕の頭の中ではコースの終わる日だと勝手に思っていたのですが、、、。ユリ君がちゃんと読んでくれて教えてくれるには、来週のクラスはキャンセルになって4月初めのコースに参加できます。もし参加しない場合は連絡をください、という事だったらしいんです。

だって、1週間前だよ。こんなドタキャンって、、、、。パニックと言うか、怒りと意味が解らないという感情が体を駆け巡ってま、眠れるという心境ではなかったのですが。

一応ベッドには入り込んだものの頭の中はグルグル回って、考える考える。”だって、4月の中旬には引っ越しがあるし。しかも日本から友達が4月の終わりから5月の始め来るし。このコースのせいでめちゃくちゃなんだけど。しかも最後の2週間は電車で通わなきゃいけないし。交通費がかかるし、朝は5時45分おきで行かなきゃいけないよな。”とか。

そうなんです。僕の弱点の一つが今まで計画していたことが崩されるとそこに変にこだわってしまって、いらいらとしてしまう所。すべてが計画通りだったのに、壊された!!もうだめだ!!世界は終わってしまった!!みたいな悲観の世界に誘われていくところがあって。それを結構引きずってしまうんです。

なので、昨日はベッドでイライラとしていたのですが、”今イライラしても何も変わらないし、時間の無駄。寝よ!”って割り切って眠りました。もちろんちゃんと自分の問いに答えを出して、引っ越しは週末だし、平日でも授業は午前中4時間だけだから大丈夫、とか、日本の友達は可哀そうだけど僕の家の周りの観光に切り替えよう、朝はいつも早起きなんだから問題ない。ってことで自分を納得させました。

もちろん朝起きてメールでコーディネーターの人に、”コースの日程が4月に変わったのは理解できたけど、それより前に始まるコースがないですか?あったらぜひそちらのほうを取りたいです。”と頑張ってドイツ語で(その後に不安なので英語でも)書いて送りました。このレベル4のコースはクラスが何個かあるようなことを聞いたのでチャンスがあるならそっちかなと思って。聴いてみてダメだったらしょうがないし、もしそれで上手くいくならラッキーだしね。

人生予定したようには進まないなって思った出来事でした。今回はその立ち直りが早かったし、僕も少しずつ成長をしているようです。

 

ユリ君のスポーツ精神はフェアなのか?

また新しい週の始まりですね。2月も後半に入って、春の訪れを感じさせることが多く目に入るようになってきたように思います。外の木々は固く閉じているけれども新芽のつぼみのようなものがつき始めているし、鳩のつがいはまだ葉っぱひとつない木に巣作りをしていたり、地面には春の訪れを告げる花、スノードロップが至る所で花をつけていたりと見ていて心がスキップしてしまう今日この頃です。

と言っても気温はまだまだ寒いんですよね。最低気温はマイナス1-3を行ったり来たり、あと日本と違って温暖の差がないので最高気温でも今日はあったかいなと思っても3度ぐらい。日本はこの時期、暖かな日だと13度ぐらいまで上がったりしますよね。それがね、ここでは皆無。頑張って7度ぐらいでしょうか。今、この、街の週間予報を調べてみたら週末に一気に気温が下がって最低気温マイナス6度、最高零度だそう。これはまた運河の水が凍りそうです。

そんな寒い日は家にいるのが一番なので、週末も市場やスーパーに買い物に行くのと、走りに出かけたほかはただただ家の中で。前にも話したと思うのですが、ユリ君が勧めてくれて僕もハマってしまってゲームがあって、Civilization 6という自分の国をもって政治、宗教、文化機関や科学技術などを自分で決めて国を作っていくという物なんです。この6の改訂版が最近出て2人で同じ地図上で同盟国同士として戦っているんですが、正々堂々のスポーツマンシップって何だろうって思ったことがあって。ま、ゲームがスポーツかと言うと賛否両論あるでしょうけど。

僕とユリ君の国は同盟国なので、お互いに兵を送って戦争をして領土を奪うと言う事はなのですが、お互いの敵を一緒に攻めると言う事はあるんですよね。その敵の領地が僕とユリ君の国の間とかになると、その敵国にある数個の領地を一緒に奪い合うことがあるんです。

僕は自分の領地に近いところ2つを攻め入っていて、ユリ君も自分の領地に近いところを攻め入っている。僕の頭の中では、”なるほど。ユリはあそこの領地を欲しいんだな。じゃ、邪魔をしないでおこう。僕はこの2つの領地に集中、集中。”と2つの都市を攻撃してもうすぐ陥落と言うときに気が付くと隣にユリ君の騎兵隊が。そしてユリ君が最後の止めの一発をいれてこの都市はユリ君のものに。”なんで、僕が陥落した都市を横取りするんだよ。”って非難するけど、”だって、僕もここの領地がほしかったんだもん。それに攻撃は順番ずつだから、それを考えていればTakの手に落ちることだってあったんだからさ。”と悪びれもしないんですよね。

もちろん僕は不機嫌になったのは言うまでもないんですが。

けどね、考えてみたんです。ユリ君のあの横取りはフェアかアンフェアか。スポーツマンシップだったのか。

ユリ君、ドイツ人のステレオタイプがそのようであるようにルールにはきっちりと従うタイプなんですね。ここは本当にはっきりしていて、もし他人がズルをしていようとも自分はルールに従う。そんなタイプ。なので、なぜユリは僕が明らかに攻め入っている場所にまで来て、土地を奪い取っていったのか。と考えて気が付いたのは僕が勝手な思いやりで自分の中の正義を作っていたなっていう事。”ユリ君が、あそこの領地を取りたいなら僕は手を出さないでおこう。僕はじゃ、こっちを取るからユリ君もわかってくれるよね。”って勝手に頭で自分の正義を作っていたんですよね。それを度返しされたものだから、不機嫌になってしまった。ただ、ルールの観点で言えば何問題もないわけで。戦争中になったらどこの領土に攻め入っても問題はない。つまりスポーツマンシップにのっとったフェアプレイであるという事。

ユリ君と生活してて最近気が付くのが、勝手な思いやりを正義にしてそれをフェアとして生きている自分がいるなって気が付くことが多いんですよね。これ、日本人的な特徴である思いやりの精神から来てると思うのですが、それをユリ君に求めてもいけないし、それを僕が鼓舞しすぎてもいけないんだなっていう事。その間の丁度いいところをお互いが時にぶつかり合いながら探しているように思います。

 

嫌いかもしれないけど、好きなのかも

金曜日、そして今週末はクリスマスイブで、月曜日はクリスマス。そしてその1週間後は2018年元旦。2000年、コンピューター機能が狂って世界が滅びるのでは見たいなニュースもあった時から、もうそんな年月が流れたんですね。2000年僕は最後の高校生活を送っていて、アメリカへと留学したのがこの年の7月。そこから、イギリス、ドイツに住むことなんて僕の頭の中には考えもなくて。”アメリカに長く住めたらいいな。”ってぐらいしか思っていなかったのに、

人生っていつどこにたどり着くかわかりませんね。これから10年先、僕はいったいどこの国で何をして、傍らには誰がいるんだろうな。もちろん、今ある生活が好きだし、これを保持できたらと思うのですが、人生と言うものはそう簡単でもないなって今までの経験で感じることも多いので、10年後も今の様に幸せであったらいいなって思います。

人との出会いや、物事との遭遇で、自分の人生って変わってしまうものですよね。ミニと日本で会わなければイギリスに来るなんてこと考えもしなかったし、2年前のクリスマスの日にすることもなく家でネットをしてたユリ君を見つけたのも、ドイツに引っ越すことになった始まりだし。本当に不思議。ただ、その変化に順応できるしなやかさを年を重ねても持っておきたいなって思います。

そうなると、これも柔軟に対応していかなきゃいけないことなのかな。

猫。この写真はユリ君の両親が買っているメイクーンのアリーナ。結構大きめの猫で、外でネズミを捕ってきては、ボリボリと音をたてながら食べる野性味あふれる猫なんです。

ユリ君と僕は将来的には犬が飼いたいねっていう共通の思いがあるのですが、ユリ君はどうも猫も欲しいようで、、、。僕はそこまで猫の事を好きだなって思いはしないので反対してるんですけど。だって、猫って気まぐれだし、時になでてあげてると気持ちよくしていたかと思えば、噛みついてきたり、引っかかれたりするでしょ。あの心理ゲームが僕はどうも好きではないんですよね。

なので、これまで何度もユリ君のりゅしんの家には遊びに行っていたのですが、この野生感あふれる猫とは遠くから見はするものの、触ることはしなかったんです。ただ先週末に行ったときに、寒い外を温かな部屋の中から見ている一人ぼっちのアリーナを見てて、”触ってみるか。”ってさわったら意外と素直に撫でさせてくれて、僕たちの距離が近くになったように感じました。

今週末もまた、アリーナにあうのでもう少しだけ二人の距離を縮めててみようかな。

このブログを書いていて、縮めるを何回も”ちじめる”って打っては変換できなくて”なぜ?”ってなっていたのですが、”ちぢめる”なんですね。僕の日本語能力の劣化が、、、。

脳みそが強制的にシャットダウン

冬なので霧が出やすいのか、ドイツ北西部のこの町は今日も霧に覆われています。雪景色と同じで、非日常的な雰囲気が漂っていて嫌いではないし、白いベールの反射のおかげで部屋の中が普段よりも明るくなるのでいいなとは思うんですけど。

ほら、雪の日って太陽は出ていないのに雨の日の様に暗くないと思いませんか?あれは一面が白いのでそれにわずかな光が反射しているからなんですよね、霧もそんな効果がある用です。映像や写真でレフ版が白いのもそのため。

なので、普段は午前9時過ぎのこの部屋は部屋の間接照明を付けないと薄暗いのですが、今日は自然光だけで十分明るくこのブログを書いているところです。

最近、悪夢をまた見がちで困ってます。別に何が怖いとか、起きたとかでなく、目覚めたときにものすごく疲れているんですよね。休息のためなのに、どちらかと言うともう一つの世界を寝ている間に生きていた感じ。そして、起きたらこっちの世界がスタートしてますよ的な。夢の中で現実では起きて欲しくないことを経験して、”そっか、こんな気持ちになるんだ。”って思えるのはいい事なんですが。目覚めよくおきたいなとも思います。

そんなときの脳の状態ってどうなんでしょうね?ちゃんと休めているのかな?

そういえば脳がこの前、自然にシャットダウしてきてビックリしました。

その事件は先週末。前のブログで書いたように先週末はユリ君の両親の家で14人のクリスマス前祝のパーティーだったんですよね。

僕のドイツ語なんて幼児の能力もないぐらいなのですが、それでもドイツ語で喋ろうと意気込んで行ってきました。それに気が付いたのか、”あれ、Takはドイツ語が出来るようになってきたね。”って言われ普段はどちらかと英語よりの会話がお母さんと多いのですが、ドイツ語で話しかけてくれるように。もちろん、ゆっくり話してくれるんですけれどね。ユリ君のお母さん、スピーチセラピストなので発音が間違っていると直してくれるんですよね。それに自宅に子供たちに教えるスペースがあって今回は、”もしよければやってみない?”とパソコンをオンするお母さん。

子供用のソフトで、文章の一部が空欄になっていてその文章が流れてくるので、その空欄が何の言葉かを当てるゲーム。もちろん、一番簡単なレベルをチョイス。これ、結構難しいですよね。自分で聞き取れない音がよく分かります。後はその前後の文字の並びで、単語は知らないけれど動詞だろうな、とか名詞だろうなとか考えたり。お義母さんは昼食の準備があるのでそれから30分ぐらい一人で遊んでいました。

このような家族の集まりの時にみんなが話すのはもちろん、ドイツ語。ただ、デンマークの2家族の子供たちはドイツ語を話せないんですよね。デンマーク語と、中には英語をわかる子も。8歳の子はデンマーク語のユーチューブ番組があまりないから、英語のを見るらしく、そこでいろいろな単語を覚えていくんだとか。確かに英語で話しかけたら、的確な答えが返ってきました。8歳で、、、。子供って素晴らしい。

なので、時に僕に向かって大人たちも英語で話してくれることはありますが、全体的にはドイツ語の独壇場。その中からわかる単語を拾って何の話か考えたり、時にあまりにもわからなそうにしてるとユリ君の兄弟が英語で説明してくれたり。お坊さんの念仏がありますよね。一見何を言っているかわからないけれど、”阿弥陀如来”とか単語が聞こえると、”あーなるほどね。”っておもうでしょ。そんな感じ。

ランチ開始が午後2時でそれで終わったのが午後10時半。8時間半、ドイツ語の嵐にいたわけです。面白いものであるポイントに来ると僕の脳みそが、”今日はドイツ語一杯勉強したし、聞いたでしょ。もういいよ。僕は疲れたよ、おやすみ。”ってなり始めるんです。今回は午後の9時半ごろ。もうね、誰が何を言っていようともどの単語も何も意味をなさなくて穏やかなメロディー見たいに聞こえて瞼が重くなってくるんですよね。それを必死にこらえて、どうにかパーティーは無事に終了。

その後、ユリ君と二人で極寒の外に犬の散歩をしにでかけました。田舎の空は街灯も少なくて満天の星空が。オリオン座、北斗七星。その中でも気になったのがオリオン座の左下に輝く星。調べたらオオイヌ座のシリウスだそう。空にはこんなにもたくさんの星があるのだと驚きました。

寒さのためか、ドイツ語シャワーを抜け出せたためか、脳みそもシャキッと冴えユリ君と二人で並んで夜中の散歩を楽しみました。

これが散歩道。ね。何もないでしょ。この空一面に星が広がっていました。

洗濯機の設置とドイツ語の葛藤

今日はスッキリした青空が広がっているドイツ北西部。久しぶりの綺麗な朝焼けも見れて、”いい朝を、迎えられてるな。”と言う充実感を感じています。今日は、金曜日。今週の始めに、”残業の残り時間があるから、金曜日休めるなら休みを取る。”と言っていたのですが、会社が忙しいようで却下され、それでも”早めに帰ってくるから。”と仕事に出かけて行きました。

ちなみに今日は3つの小包が届く予定です。

そのうちのひとつは昨日、一度来たのですが、、、。今日の再配に。というのも、いつもは荷物を受け取ってサインをしておしまい。そのつもりで受け取ろうとしたら、荷物をすっと横に動かされて、”お金の支払いがあるよ。”との事。ユリ君は事前に何も言っていなぁったので???と思ってよくよく聞くと、関税だそう。送り主の国ははるか遠いオーストラリア。”あれ、ユリ君オーストラリアに何か頼んでいたっけ?しかも関税が3000円ほど。手持ちはあったのですが、もしユリ君が頼んでないものでも困るので、”ごめん。今、お金持っていないんだけど。”と伝えると、大丈夫だよと伝票を置いて行ってくれました。僕が理解したところによれば、”取りに来てね。”と言われたと思ったのですが、伝票にはその場所の明記がないとユリ君に言われ、”どうしよう!!”となったのですが追跡コードで調べてみたら今日の再配となっていた模様。けど、ユリ君なにをわざわざオーストラリアから買ったんだろ?しかも、”これって払わなきゃいけないの!”っていうので、説明しておきました、EU圏以外は運が悪かったら関税かけられるよ。って。

さてさて、お待たせしました。昨日の予告にあった洗濯機設置のお話。

洗濯機を新しいのを買って。昨日の朝10時から昼の2時にお届け予定と聞いていたので、家の鍵、地下の鍵、外用のスリッパを玄関前において準備完璧。昼過ぎ頃かなって思っていたら10時半になる呼び鈴。”来たか!!”と息をいったん整えていざ出陣。

配達のお兄さんに、挨拶をし”洗濯機ですか・と聞くと首を縦に振りどこに運びますかと聞かれ、”地下でおねがいします。ちょっと待ってください。そのドアをあけてきます。”といって一旦アパートに入って地下へ。そこから中扉を開け、外扉の鍵はどれだっけとしていると背後で物音が。

階下に住む、ちょっと風変わりなおじさんがそこには。このおじさん前のブログでも書いたことがあるんですが、ユリ君曰くこのアパートからほとんど出ることもなく、常にアパートに誰が出入りをしているか監視をしているそうで、、、、。人種差別者的な事もいうことがあると、言うおじさん。”洗濯機を置くときには、あのおじさんが出てくるだろうね。彼はここを”管理”してると思っているから。”と言われていて、どうせなら出てこないでと思っていたのですが、、、。登場です。

どうしたんだ?と聞かれて、”新しい洗濯機を、、、。”と答える僕。鍵が何個もあってどれだっけと焦る僕。”全部の鍵を試してみなさい。”とおじさんに言われようやく開いた外へと通じるドア。配達の人たちをまずは地下に案内して古い洗濯機を持って行ってもらいました。

階下のおじさんは自分の地下の部屋へのいったので、一安心。

新しい洗濯機が運ばれてきます。”どこに、どのように置きますか?”といわれ身振りで答える僕。するといつの間にかおじさんが。

”おー、ドイツ製じゃないか。いいね。ドイツ製は品質がいいから。しかも3年保証。”と突然の会話。特に誰にという訳でもなく、喋り始めて。僕も隣で、”そうだね。”ぐらいしか言うことがなかったのですが、配達の人がその話にちゃんと受け答えをしてくれて助かりました。その後、その人がポーランドから気rていることをおじさんが聞き出し、”いいところだね。”と褒めれば、”いやー。けどね今のポーランドの政権はダメですよ。”と答えると、”どこもダメな政権ばっかだよ、世界中。”とのおじさんの返答。(意外と、僕も聞き取れるんですよ。笑けど、それに返答するというのが難しいですよね。)そんな話を聞いて、おじさんドイツへの愛国心は強いけど、そこまで差別的ではないのかな。とおもったり。

途中で、配達の人にかなり長い文章で質問をされて、最後に分かったのが、”君がする?それとも僕たち?”みたいだったので、多分セッティングだなと推測して、そちらで。とお願い。その後排水ホースをつなげたり、給水線パイプを蛇口につけたりしてくれたので、どうやら僕の推測は当たったようです。

全て終わって、設置も完了。配達の人もかえって、おじさんと二人で地下に残される形に。

もう帰っていくのかなと思ったら、突然のドイツ語の質問。だけどよく分からないんですよね、何を聞きたいのか。2回ぐらい聞き返して、”今何をしてるんだ?”みたいな感じの事を聞きたいのかなと思って、答えたけど、それに続く質問。“コンピュータか?”みたいなことを言われ、”コンピュータは得意ではないな、、、、。けど、働くって単語も聞けたしな、、、。”過去にどんな仕事をしていたのかをっ知りたいのかな?”って思って、”ロンドンでフォトグラファーをしてました。”って言ったら、納得したよう。”それで、ドイツでもそうしたいのか?”みたいな感じの質問だったので、首を縦に振ると。また納得した表情に。”今日はありがとう。”とおじさんに伝えると、”じゃ、またね。”と言って自分の地下の部屋にと入っていきました。

確かに、ちっと気難しく、問題点もあるおじさんの様ですが、ユリ君が言ったほどの感じじゃないのかなって思っているのが正直な感想です。

はー。けど、ひと段落。その後は緊張感が解けたのか、一気に力が抜けた気分でした。まだまだ、ドイツ語をマスターするには沢山の険しい道がありそうです。

 

 

今あるもの、今ないもの。

皆さんは素敵な週末を送っていらっしゃいますか? ドイツ北西部は昨日は朝、起きたときから晴天に恵まれユリ君と、”これは走りに行かなきゃね。”と即決。空気は少し寒いのですが、走り始めると体もあったまってくるので問題なし。ただ、途中でユリ君は調子が悪かったので歩きに変え、僕は1人で長いコースを行くことに。冷たい空気が温まった体を通り抜ける感じとか、太陽が肌にあたる感じの良さが冬場のランニングの楽しみかと。雨の多いこの時期は地面が乾いていることが少ないので、途中泥だらけの道もありタイムを短縮するというよりは走ることを楽しむという事にフォーカスをもっていった方が面白いかと考えているところです。

さて、アメリカは今週は感謝祭の週末ですね。僕もアメリカにいたときは友達の家や、友達の両親の家に呼ばれてこのホリデーを楽しみました。ハロウィンよりも、クリスマスよりもアメリカで好きなホリデーは感謝祭でしたね。パンプキンやピカンのパイ。大きな七面鳥。11月の終わりという晩秋にあるのもいいですよね。冬が本格化する最後の秋の色どりがある季節にあるこの感謝祭は僕の中で特別な意味を持ちます。

そんな感謝祭の前後に賑わうのがブラックフライデー。もともとアメリカだけだったように思いますが、最近は感謝祭に関係のないヨーロッパでもこのセールは定着しています。それどころか、ブラックフライデーの後の月曜日はサイバーマンデーというセールもあるほど。

ネットでお買い物が好きなユリ君も今週の初めごろから良いものが、欲しいものが安くならないかチェックし続けていて、今の時点でかなりの買い物をしてしまったようです。コンピューターのソフトウェアや、携帯とか、洗濯機、ミニピザがテーブルの上で作れるオーブンセットだとか。(ピザセット以外は生活に必要なものだから、いいとは思うんですけどね。)

僕は家に飾る用の素敵なアートポスターを数枚30%オフで購入したのと、ユリ君のコンピュータの椅子の半分の金額を早めの誕生日のプレゼントして献上。それだけです。

けど、ネットが普及して本当に便利な時代になりましたよね。お店に行かなくても商品を頼めるし、世界中の人と繋がることも簡単になったし。

けど、その便利性の中で僕たちは何かを失ってしまったのでしょうか?どうなんでしょうね。なくしたものの中に、”あー。何て素晴らしいものをなくしてしまったんだ。”って時間がかなり経って気づくものもありますよね。僕たちが得た利便性の裏で、何が今消えていこうとしていくのかを考えてみると面白いかもしれませんね。

前に書いたブログで最近読んでいる本のことについて少しだけ触れた事、覚えていますか?日本では小泉八雲の名前で知られるラフかディオ・ハーンが1890年代に日本に初めて訪れた時のことを綴った”新編 日本の面影”です。この本を毎日少しづつ朗読してるんですね。

映画や音楽を観たり、聞いたりして涙が出てくることってあるでしょ?何かが自分の琴線に触れて、なぜだかわからないけど涙を流してしまうことが。今までもこの本の文章は綺麗だなって思っていてだからこそ、音読をしていたのですが。昨日読んだところは、いつの間にか目に涙が溜まってしまって、読んでいる自分がびっくりしたほど。そんな感動を少しだけ皆さんにおすそ分けしようかと思います。

これは2章目の”盆踊り”というタイトルのもので出雲を目指して太平洋側から日本海側に4日間かけて人力車で中国山地を越えるときに立ち寄った村でのお話。訳をなさっている池田雅之さんの美しい訳も素直に頭の中に情景が浮かんでくる素晴らしさ。ちょっとだけ、その美しさをここに書かせてもらいます。

これはハーン氏が伯耆の国、上市のある宿に泊まった時の下りです。

”そのこぢんまりした宿は、外から見ると、風雨にさらされて古びたような感があったが、中は快適であった。(中略)この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造形に対するすぐれた美的感覚を表していないものは、何ひとつとしてない。花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。(中略)これまで立ち寄った小さな田舎の村々と変わらず、この村の人たちも、私にじつに親切にしてくれた。これほどの親切や好意は想像もできないし、言葉にもできないほどである。それは、ほかの国ではまず味わえないだろうし、日本国内でも、奥地でしか味わえないものである。彼らの素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらしいものではない。彼らの善意は、まったく意識したものではない。そのどちらも、心から素直にあふれ出てきたものなのである。(中略)宿の老主人は、私を風呂場に案内すると、まるで私が子供だといわんばかりに、私の背中を流しましょうと言ってきかない。女将さんの方は、ご飯に卵、野菜にデザートといったご馳走を用意してくれた。そして、私が満足できたかどうかを気の毒なほどに気遣うのである。私は夕飯を二人前はゆうに平らげたというのに、女将さんは、たいしたおもてなしができなくて申し訳ありません、と何度も何度も詫びるのであった。”

日本人の昔からのおもてなしの心や、美意識がよく伝わってきますよね。また、彼が日本人ではないからこそ気が付くことも多い。そんな古き良き日本がこの本にはぎゅっと詰まっています。もしかしたら100年前も昔に僕たちがなくしてしまった何かが、文字として残っているかもしれませんね。

 

 

 

いつもと違うもの

最近の空模様は薄いグレーのインクを空中に垂らして、それが1日中とどまっている感じで、もの悲しさが広がっている秋の気配です。

日本だと秋は行楽シーズンだし、おいしい食べ物が出てくる季節だし、スポーツも読書もできる秋。いい季節ですよね。ドイツではどうなのかな、、、。ビールを飲んでお祭り騒ぎのオクトーバーフェスはあるけど。(オクトーバーと言いながら始まるのは9月なんですけどね、。)冬への準備と言った感じが強いのかなって思っています。救いは家の窓から眺めのいい景色が見れることかな。リビングからは運河が見え、その先には赤茶色のレンガの建物が、キッチンからは道路を行きかう人々が見えるんです。

そんなところでお茶を飲みながら体を温めるのが最近の幸せでもあります。この季節って紅茶の味がキリッとしてそのおいしさを時間するんですよね。

最近、季節の変わり目なのか少しだけのどがイガイガしてるんですよね。こんな時はと、薄めのルイボス茶に絞ったレモンと蜂蜜をいれて飲むことに。

今回の蜂蜜はちょっと違ったものなんですよね。

 

これ、この前の島旅の時に買ったものなのですが、、、。蜂蜜ともう一つのものが入っているんですよね。それが、これ。

 

 

Sanddornってドイツ語では言うんですけどね。この前に訪れた島には本当に色々なところに生えていて、ちょうど収穫の時期だったようで沢山の実をつけていました。ユリ君曰く、この果物を使ってジャムにしたり、果物酒にしたりするとの事。なのでこの島のスーパーやお土産さんには沢山のこの果物を使ったもので溢れています。

調べてみたらどうやら、最近は健康食品として注目を浴びているようで、ビタミンが豊富なのと果物としては珍しく油脂を含んでいるそうですよ。感想や塩分にもつよいので、海岸沿いにヨーロッパでは多く分布しているという事で、この土地に根付いたことに納得がいきました。

味はおいしんですが、少し癖のあるにおいがするので好き嫌いがあるかもしれませんね。このおかげで喉も治ってくれるといいのですが。