同性愛は環境によるものか遺伝よるものか

グレーの雲が広がった空ばっかりを最近はずっと眺めていたので、久しぶりの晴れ間の金曜日に心が少しだけ踊っています。冬場の太陽の有難さ。太陽の光を浴びれるうちに浴びておかないとね。だって、最近は午後5時にはどっぷりと夜の闇にここは包まれてしまうので。

ユリ君も今日の夜には1週間の研修を終えてベルリンから帰ってくるので、それもまた僕を容器にしているのかもしれませんね。やっぱりひとりで眠るのは、寂しいもの。普段なら就寝時間は夜の9時半から10時の間なのに、この1週間は午前零時か1時という遅さ。その時間なら僕の脳みそも疲れていて、あまりひとりで寝ることを考えなくて済むからって言うのがあるんですよね。なんなんだろう、この寂しがり感は。たぶん、それは僕の見る夢に関係がしているとは思うのですが。

僕のブログを読んでいる人はご存知のように、よく悪夢を見るんですよね。しかも続けて1週間とか。悪夢への抗体もできてはいるのですが、それでも起きた時には泣いていたりとか、叫んで起きたりとか、空中に思いっきり蹴りを入れて起きたりとか。そんな時に隣に誰かがいると本当に安心なんですよね。夢と現実の間が虚ろの目ざめの時は特に。それでちゃんと、「あれは夢だったんだ。」って気がつけばまた眠れる、その安心感。

だから、ユリ君がいないときは不安なんです。悪夢を見るんじゃないかなって。それで、遅くまで起きていれば脳が疲れて夢も見にくいんじゃないかという安易な考えで夜更かしをしているという訳。

そうなると、時間つぶしに何をするかとなるのですが。最近は便利なものが多いでしょ。そのひとつにユーチューブがあって。僕の好みのものをお勧めしてくれたりもして便利。多分皆さんもそうでしょ?

そんなお勧めの中に興味深いものが。

僕はゲイとして生きて、長い間がたちます。幸運にも理解ある両親の元に生まれ、アメリカも、イギリスも、そして今住んでいるドイツも同性の結婚が許されている国に住んでいます。世の中には今でも、同性愛であるから死刑、または懲役になる国も多いですからね。日本は同性愛者への社会的保障などはかなりの後進国でしたが、最近は国会でも議題になるほどでこれから10年でで目まぐるしく変わってくるのかなって僕は予感しています。

そんな同性愛なんですけど、よく言われることで、「いつから気が付いたの?」ってこと。僕は小学校の高学年かな?そこで次に出てくるものが、同性愛は生まれつきのものなのか、環境によるものなのかという話。

僕は個人的にはどちらも関係があるのではないかと思うのです。DNAの中に同性愛になりやすい要素が入っていて、それで同性愛者になることもあるだろうし、環境がそうさせることもあると思うんですよね。それは人によるものかもしれない。僕のスタンスはどちらかと決めるのでなく、どちらも可能性があるのではないか。まずは否定をするのでなくて、1回その考えを自分に取り込んでみて自分なりに消化することが大切だなって。

ユーチューブのビデオを貼りますが、英語なので英語が得意な人は僕の説明よりも、彼の話を聞いたほうがいいのでビデオに進んでくださいね。大体の内容を僕なりに書いてみました。

この話をしている人はお医者さんのジェームス・オキーフ。奥さんと、子供が4人の父親でもあります。ある夏の日、18歳になった長男が自分はゲイだとカミングアウトします。彼を受け入れたジェームスと奥さん。そこでジェームスは科学的面からどうして人の中には同性愛者がいるのかということを考え始めます。

ゲイは子供を産むことができないので、子孫を残すことができない。つまりは、人間としての欠陥ではないのか?そんなことが言わたりしますよね。けど、進化の歴史を見ていけば人間に限らず動物にでも同性愛傾向にあるものが多く存在する。もし、同性愛が遺伝子の異常で生まれてきたものならば、長い進化の歴史の中で淘汰されているはず。それなのに、今も同性愛が生まれてくる。つまりはその存在に意味が、その必要性があって同性愛者というものを生み出しているのではという考えに至ります。

ね、興味深いでしょ?よく、同性愛を罰する国で言われている、「自然のおきてに逆らっているから、同性愛は罪だ!!」と言う大義名分をひっくり返す主張ですよね。同性愛者が生まれるこそが自然のおきての一つだといっているわけですから。

では、何の必要性か?

皆さん、性行為の時にコンドーム使うでしょ?あれって性病の予防ももちろんありますが、大きな目的は妊娠しないってことですよね。避妊のためにピルを飲んでる人もいるでしょう。実は、同性愛者が生まれることで人口がネズミ算的に増えるのを抑える役割をしているのではないかということです。例えば、4人の男の子が生まれます。上の3人がストレートで結婚して子供を産む、そうすると人口は3人増えますよね。だけど、それ以上に子供を持つこともあるわけで。それがどこの家庭でも行われば、世界の人口はどんどん膨れ上がって食料が足りなくなる。そうならないためにも、子供の中に大人になって子供を作らない人間が必要になってくる。つまりは沢山子供がいる家庭の末っ子になればなるほど同性愛になる確率が増えるというのが一説。

次にジェームスは、アリの話をします。アリは人間と同じで共同体に重きを置く昆虫なのだそうです。一枚の写真が見せられ、1匹は小さな働きアリ、もう一つは働きアリの3倍以上の大きさを持つ兵隊アリが写っています。実はこの2匹、同じ女王アリから生まれてDNAもほとんど変わらない。ではなぜこんな違いが出てくるのか?それは、その女王が住む共同体がどのような状況にあるかで決まるのだそう。例えば、アリ塚が他のアリや昆虫から襲われている、そんな時は兵隊アリが生まれるようにし、アリの人口が増えてエサが少なくなってきていると、働きアリを多く生むようになっているのだそう。もちろんアリの女王が頭で考えてそうするのではなくて、自然的にそうなるです。

これが人間にも言えるのではないかと、ジェームスは考えます。ジェームスのゲイの息子は長男で、最初に示した人口を制御する機能としての同性愛には当てはまりませんよね。だって、一番最初の子供ですから。では、なぜ息子はゲイになったのか?ここでジェームスの奥さんが長男を妊娠した時の話になります。実は長男がおなかにいる時に奥さんは乳がんの宣告を受け、治療をすることになったのです。つまりは、自分の体が攻撃されている状態。そんな出生前のストレスが、DNAの中にあるといわれる「同性愛スイッチ」をオンにするのだと。「私は生き延びれないかもしれない。その時に誰かが代わりにこの家庭をつなげる役目にならなくては。常に戦うような人じゃなくて、頭脳を使って穏やかにまとめ上げれる人が必要になる。」そんな危機的状況に体が反応して「同性愛スイッチ」を作動させる。

さて、このDNAの中の同性愛スイッチ。ジェームス曰く、みんなが持っている可能性があるのだそう。ただ、そのスイッチが入るかは生まれる前の環境が大きく作用をしているのではないかとうこと。そして同性愛スイッチが入ると、生まれてくる子供は攻撃的な面がなく、思いやりが深く、感情を上手くコントロールしてみんなを束ねる力を発揮する人になりやすいのだそうです。それだからか、独独身女性がボーイフレンドを探すときに繊細で、話も聞いてくれて、ユーモアもあるあの男性、完璧なのにゲイなのよね。って言うのもうなずけますよね。

どうです。面白いセオリーだと思いませんか。ジェームスが最後に言う通り、この説はまだ未発達の段階。確かに、そうかもしれません。だけど、このように考えていくと、同性愛は自然に生まれてくるものであって、特別でもないと思うと受け入れやすくなりますよね。

このスピーチ、この説を彼が実証したいというものでは思うんです。それは、最後のところでわかります。世界には同性愛者だからと言って死刑になる国、懲役になる国がある。また、同性婚が許されるアメリカであっても今でも同性愛者だからと言っていじめらる子供が多いのも事実。統計では29%の十代の同性愛者の子供が自殺を試みるのだそう。

つまりこのスピーチは同性愛者を持つ親へのメッセージなんですよね。自分の子供が同性愛者だったからと言って、自分の子育てが間違ったのではないかと、自分を責めないで。同性愛者になるということはDNAが自然に決めたことで、そこには何の罪もないし、当たり前のことなんだからと。また、自分の子供を自然に逆らって無理に異性愛者にさせないでと。

久しぶりに心震えるスピーチを聞いて、どうしても記事にしたくて書きました。皆さんにもこの感動が伝わればと思います。

その言葉、生モノにつき

今日も気温は22度とそこまで高くなく、グレーの雲で覆われているドイツ北西部。不思議なもので、あんなに暑かったあとのこのグレーの空が何となく、「いつもの夏が戻ってきたな。」ってホッとしているところもあるので不思議なものです。そういえば日本はお盆休みなんですよね。ということは皆さん、お休みの人も多いのかな?ゆっくりとした時間をたまには過ごしてくださいね。

さて、この数日前に友達のフェイスブックのコメントに面白いものが。なんでも何かの番組を見いていて、気に入っている女優さんが間違った言葉遣いをしていて残念だったというもの。その言葉が、”敷居が高い。” 何となく興味をもって、なんて意味なんだろうと調べてみたら、僕も間違って使っていました。

僕の中だと、「あのお店、高級なものばっかり売ってるから一般市民には敷居が高いよね。」というものだったんですね。高級すぎて、上品すぎて中に入れない。けど本当の意味はその家に住む人に不義理をして、なかなか会い行きにくい。との意味なんだそう。

そこで気になってネットで調べてみたんですね。そうするとあるんですね、全く勘違いして使っている言葉たち。

例えば、”あの人は姑息な手でいつも欲しいものを手に入れるよね。”という姑息。僕は今まで卑怯だと思っていたのですが、姑息って ’その場しのぎ’ って意味らしいんです。

失笑はどうですか? 何となく苦笑い的な、ちょっと呆れている感じがありません?失笑は正しくは可笑しさのあまりにふき出してしまう、思わず笑いだしてしまうことだそう。

にやける にはもっと驚きました。「そんな、にやけた顔して。恋でもしたの?」とニタニタした顔の事だと思っていたのですが、男が女のように色っぽい様子をすることなんだとか。

びっくりですよね。ただでさえ、このブログで誤字脱字が多い僕。一体どれだけの間違いとともに日本語をしゃべっているのか、、、。特に海外に住むと住んでいる国の単語を日本語に入れてしゃべったりする癖ができてしまうんですよね。けど、海外に住む日本人ならその単語を知っているので問題なく会話ができるんです。

例えば、「来月、フラットをでようと思うんだよね。だけどデポジットってどうやって帰ってくるのかな?次のフラットはエージェントを通してするからお金はかかるけど、ビューイングとかスムーズにいくから助かるよ。ところで、来月はタームが始まるよね。スカラシップの申し込みもあるみたいだからアプライしてみれば。」とこんな感じ。英語圏で生活をした人ならこの文章、問題なく読めるという不思議な日本語。面白いでしょ?

けど、言葉って日々進化しているものですよね。いつの間にか時間が流れるとともに本来の意味が少し違ったもの、または全く違ったものになっていく。もしかしたらそれは仕方がないことなのかもしれないなって。

例えば前に書いた、敷居が高い。この言葉50-60代の人はその意味をちゃんと把握している人が多いそうなんです。ただ、若い世代になると圧倒的に上品すぎるという意味にとらえていくる。

議論が煮詰まったってあるでしょ?これ本当の意味は議論に十分な時間を費やしたから、そろそろ結論が出る段階だという意味だそう。ただ僕の考えでは、けっこう議論したけどいきづまったという全く逆の意味だと思って使っていたんですよね。どうやらこの考えは僕だけではなく、多くの人もこのような意味だと思って使うので今ではどちらの意味も載った辞書もあるんだとか。

そうなると敷居が高いといった意味も30年後50年後には本当の意味は消えているのかもしれませんね。

言葉は生き物だなった思える貴重な瞬間。そう考えると言葉の意味合いって、言葉の正しさって何だろうなって考えてしまいますよね。例えば、平安時代の人がまたは、江戸時代の人が今の日本語を聞いたら失笑すること間違いなしなのではないでしょうか。

失笑が、大笑いにしろ、呆れ笑いにしろ。

皆さんはどう思いますか?

日本の空気が我が家に

どうしたのか週末から温語がぐんぐんと上がって、火曜日の今日は最高気温が26度になる予想が出ているほど、真夏のドイツ北西部。わかってはいます。日本のほうがもっと暑いって!!だって40度近くまで上がっているんですよね、日本。それに比べたら海風がまだ肌に気持ちがいいし、日陰に入れば暑さも和らぐ感じのドイツの夏。でもね、ここで育った人たちにしてみれば、真夏なんです。

昨日。駅から帰っていると押し車に買い物で買った飲み物や、袋を下げてゆっくりと歩く初老の女性が。何となく視線を感じていたので挨拶すると、一気に何かを言われる僕。???だったので聞き返すと”、、、、、、ここでは普通じゃない、、、、’って聞き取れて、’あれ、もしかして アジア人はここにいるな!”的なことかな?って思って考えていたら、”ほらこんなに太陽が出て、これってここあたりでは普通じゃないでしょ。”っていうお天気に対してのお話でした。

ほっと一安心。あんまり疑い深くあってもいけないですね。

”本当ですね。暑いですよね。’って返信はしたものの、何かその後に続く気の利いた言葉が続かないのが最近の悩み。そのおばちゃんは、’それじゃね。’って去っていきました。’買い物に行ってきたんですか?重そうだけど大丈夫ですか?”なんて言葉もかけれたのになー。まだまだだな、僕のドイツ語と思った出来事でした。

学校がないのになぜ、駅へ? 実は友達が引用日から昨日まで遊びに来てくれていたんです。彼女は日本在住なのですが夏はロンドンに毎年来てて、その度にあていあたんです。ただ、今年は僕がドイツにいるので会えないだろうなと思っていたとこ、「インスタの写真見たよ。あのランニングコース、よすぎる!!そこで走りたい!!」とのメッセージが。いらっしゃい、いらっしゃい、ということで今回の滞在となったわけ。

彼女、英語、ドイツ語、日本語の3か国語を操る才女。竹を割ったような性格だし、物凄くドライ。そこがいいんですよね。付き合いやすい。よく考えてみれば今までは一緒に昼ご飯とか、夕飯だけだったのでこんなに長く一緒にいたのは初めて。けど、お互いが好きなように好きなことをしてのんびりとした週末に。

そして僕が今行っているあるプロジェクトの助けを頼むことに。ま、さすが一刀両断が上手なこと。僕のプロジェクトのダメ出しをよく出してくれる事。そのおかげでより良いものになるのは間違いないのですが、ちゃんとたたき切ったあとに優しさを忘れないのも一流だなって。

そこで感じたのが日本の空気。

今僕の生活って僕とユリ君の生活でしょ?そしてその中にはほとんど日本を感じる空気がないんですよね。もちろん、日本の本とかはありますがそれはあくまで僕に付随しているものだし、本の世界はあんまり現実の世界と結びつくことがないので、日本色に空気が染まるってことがないんです。

ただ、友達が来て何となくいつもの空気じゃないなって感じるんですよね。なんだろう、全く違った質感がそこには存在していて、それが面白かったです。このアパートにちっちゃな日本が失言して、それが日を追うたびに部屋を埋めていく感じ。

そしてそれに気が付いたのが友達が明日いなくなるっていう時の夕方かな。’そっか、明日からもう、いないんだ。”って思ったその時に僕の今の生活は日本の空気がこんなにも濃く充満してるんだなって。

昨日の夕方の電車で旅立っていった友達。帰って来てからもまだ、日本空気が残っていて不思議な感じ。

ただ、今朝起きると、もうその空気はなくなって僕とユリ君の生活の色しかありませんでした。

昔の習慣を再び

実は今、ドイツ語学校が夏休みなんです。8月の終わりにまた学校が始まって、一ヶ月ちょっとの9月1日が試験なんですよね。なので、夏休みといいつつも毎日ちゃんと欠かさず勉強はしているのですが、なにせ30代も後半に入って覚えていても、数日後には単語を忘れているという悲しい現実。ただ、”忘れるのは仕方がない。いつかは頭に残ってくれるだろう。”という思いで先を続けています。あきらめも肝心ですからね。

学校がないからと言って僕の1日のスケジュールはあまり変わりません。6時過ぎには起きてユリ君を見送って、そのあと日記を書いたり、ドイツ語の勉強をしたり。通学時間が無くなった分、その時間を使って掃除をしたり、洗濯をしたりできるのはいいですよね。あと、せかせかされないので穏やかに日々が送れるということも。

今日は寒いのですが時には晴れ間ものぞていたので近所のスーパーに出かけて、食料を買ってきました。葉が付いたまま売られているラディッシュや、オーガニックのズッキーニ、パプリカにユリ君の嫌いなナスも。夏野菜を使ってオーブンで焼き上げようかなって考えています。週末ちょっと野菜不足なメニューなので、それを取り返すためにもいいかなって。味はこれもユリ君が苦手なアンチョビで味付けようと思うのですが、これを機に好きになってくれるんじゃないかと期待するのはダメかな?

そう最近していることがあって。これってなにも新しく始めたことではなくて、子供のころの記憶がふとよみうがえってきてまた始めたものなんです。子供のころの習慣で、大人になることで忘れてしまったことってありませんか?よく眠れるようにするおまじないとか、ちゃんと起きれるように置きたい時間の数だけ枕を軽くたたくとか。時間の流れとともに忘れてしまったことたち。

今しているのが、リンゴ酢を飲むこと。

これは僕の母親が僕たちにも見与えていたんですよね。今思えばうちの母はモダンな考えで、小学生の時からサプリメントを僕たちは与えられていました。カルシウムとかビタミンとか。今でこそ当たり前になってきているけど80年代の後半の阿蘇の田舎町でそんな人は多くなかったのではないでしょうか。その中に夏にはリンゴ酢を飲むというのがあって。もちろんそのままだと咽るので水で割るんですよね。それだけ。酸っぱさが強いのですが飲めないほどではない。子供だった僕と妹はすぐにその味に慣れ、ゴクゴクと暑い夏の日飲んでました。後味がすっきりしているのも夏にはぴったりで。

そのほかにも牛乳で割るっていう方法も母はしてました。酢と牛乳は混ざると少しだけ凝固するんですよね。白と黄色の不思議なまだら模様のそのドリンク。科学の実験みたいで好きだったな。

そんなことを思い出したのが、数週間前。近所のスーパーで、白ワインビネガーが切れたので探しているとフルーツ酢のコーナーが。その中にはマンゴー酢、ラズベリー酢などとともにリンゴ酢も。しかもパッケージのラベルに甘めとの表示が。確かにほかの巣に比べると当分表示が高め。たぶんこれは僕が子供のころに飲んでいたものと似ているんだろうなと思って買うことに。

やっぱり飲んでいなかった期間が長くて、最初は咽ました。漫画みたいに。けど今はもう大丈夫。この飲み物を口にするたびによみがえってくる僕の子供時代の夏の記憶を脳裏に感じながら。

皆さんもどうです、何か昔の習慣をまた始めてみては?

外国語を学ぶ心構えとは

夏時間が来たドイツは3月の終わりにして日没が午後8時。なので、最近はユリ君と夕飯後に散歩に出かけています。午後7時過ぎの街並みはまだ明るくて冬の暗さが嘘の様。春めいた感じもあるのですが、日本のようなポカポカの温かさはこの夕暮れ時にはなくて、コート着用での散歩。でも、ダウンジャケットがいらなくなった分、寒さも和らいでいるっていう事ですよね。もうすぐ4月にもなるし、今年はイースター休暇が今週の金曜日から翌週の月曜日までと心躍ることが目白押し。その間にも引っ越しの準備を着々と進めているという現状です。

このお祭りは処刑をされた人間だったキリストが地上に神としてに復活した日をお祝いするものなのですね。そしてこの日は年によって日付が変わる移動祝日なんですね。

イースター、英語で書くとEaster 東って意味の Eastに erが付いた形なんですよね。イスター、イスターって呼んでそれが定着しすぎてよく考えれば東の意味だなって思った事があって。それがドイツ語のイースターがOsternっていうのを知った時。Ostは東をドイツ語では意味する単語で、英語のイースターもと言う事は東が語源になっているのかと気が付いたことにあるんです。言葉って面白いなって。

僕のドイツ語も着々とその実力を伸ばしているように思います。そしてようやく待ちに待ったドイツ語コースの始まりがイースターホリデー明けの来週の火曜日。レベル4がどれくらい難しいか今は未知数ですが、頑張ってみたいと思います。

このブログを読んでいる人の中には英語やドイツ語、またはほかの言語を学んでいる人も多いのではと思います。僕も、ドイツ語を今猛勉強中でこれが僕にとっては3番目の言語です。そこで今日は、母国語ではない言葉を学ぶ時の姿勢について書こうかと。

僕がアメリカに留学したのが19歳になったばっかりの時、それまでは海外旅行をしたこともなく地元の田舎町でNHKのラジオなどを聞いて勉強をしていました。アメリカで勉強をしているときはひたすら、”ネイティブみたいに喋りたい!!”っていう思いが強く、大学が無料で提供する発音のコースとか、作文のコースを普段の授業とは別に取っていたんです。そのかいあって、発音も上手になったし、読み書きも良く出来るようになったんですよね。それでも、やっぱりネイティブの人との差って埋まらないんですよね。今も日常で英語をしゃべることが多いけれど、喋りながら”あ、今のところは間違ったな。”って気が付くことが多いし、発音できない音もあるし。英語の環境に入ってもうすぐ20年近くなるにこうなのだから、完璧になることはないってもう諦めてます。

けど、この諦めこそが大事なんじゃないかと最近思うんですよね。

日本の英語教育は皆さんご存知の通り、テストでいい点数を取れるための勉強ですよね。例えばテストで、He play tennis every weekend.って書くと点数はもらえません。なぜか?主語が3人称単数の時は動詞に3単元のsが付くからですね。では、この文章をネイティブの人に話して通じるのか?もちろん通じます。”なるほどね、彼は毎週テニスをするんだね。”って。英語って自分の思いを言葉に乗せて伝えるコミュニケーションの道具ですよね?その道具が少し具合悪くても相手には通じることが多いという事なんです。たとえば日本語で、”友達 毎週にテニスします。”って言われても意味わかるでしょ?完ぺきではないけれど、言いたいことはわかる。これが大事。ネイティブと同じように喋れるには中学生くらいまでにその国に行くことなのだそう、だからそれ以上の年齢の人は完ぺきになれないってことですよね。なんとく残酷に響きますが、そう考えると完璧でなくていいんだって肩の荷がおりる感じがしませんか?

これが大事なんだって。完璧な文章が出来たがいいけど、できないからって卑屈になることはないんですよね。日本語を勉強している人が時に間違いながらしゃべる日本語って”かわいいな。”って思ったりするでしょ?特に僕たちは見かけがアジア人で、”英語やヨーロッパの言葉は喋れないだろう。”って思われているので、聞くほうもその態勢で聞いてくれるのは僕たちの人種の得だなって思います。完璧に喋るという事は諦めて、自分の思いを一生懸命に伝えるという事に重きを置くと少しは喋るのが楽になるかもしれませんよ。

あとは、自分を褒めてあげる事。言語学習って時に、”うわー。一気にレベルアップした!!”って思える時と、”この数か月伸びてるどころか、後退してるな。”って時期があるんですよね。前者の時はいいのですが、後者の時は落ち込みますよね。一生懸命に努力しているのになぜ報われないのか、、、。自分にはその才能がないのでは、、、、と。けどね、着実に伸びてはいるんです。ただその伸びが目に見えるようなものでなくて、しかも今までよりもその言語についての知識が多くなった分、今まで気が付かなかった自分の初歩的ミスに目が行ってしまう、だから自分の語学レベルが後退したように感じてしまうのではないでしょうか?そんな時は、出来たところを褒めてあげてくださいね。”複数形の形がちゃんと頭に入っているね。とか、格変化が出来るようになったね、”って。特に大人になると褒め貰える機会が少なくなりますよね、それならば自分で褒めてあげましょうね。

ドイツ語を習って思うのですが、ドイツ語圏の人はドイツ語を頑張って話そうとする人にやさしい気がします。つたない単語の羅列のような僕のドイツ語をと頷きながら辛抱強く聞いてくれたり、”ドイツ語、頑張ってるんだね。”って声をかけてくれたり。これがね、英語圏ではないんですよね。”え、英語が喋れて当たり前。”みたいな雰囲気がアメリカにもイギリスにもあるん気がします。だからなのでしょうか、日本に来る英語圏の人って物凄いスピードで英語を日本人に話しかけてきたりしますよね。”日本語喋れないいんなら、ゆっくり喋ってあげようよ。”って思ってしまうのは僕だけでしょうか? 逆に日本を観光している人が少しでも、”すみません。’、とか、”ありがとう。”って言うと”がんばってるね。”っておもうでしょ?多分そんな思いが英語圏以外の国の人は持っているように思います。

ってこんなことを他人に書いているように見せて、自分自身に”大丈夫だよ。しっかりやっているよ。完璧でなくていいんだよ。”って言い聞かせてるんですけどね。

もし何か英語でも、外国語を学ぶにあたって知りたいことでもあったらメッセージでもくださいね。僕の知りうる限りの知識をお伝えします。

昨日の今日でまさか、この展開

寒い寒い寒波がヨーロッパを襲っています。只今の気温マイナス10度。かなりの極寒なんだろうと思ったのですが、風が強い強い割にはそこまでの寒さではないかなって言うのが正直の感想です。イギリスでは雪が降っているそうなのですが、ドイツ北西部はスッキリの青空。そのため寒さをそこまで感じないのでしょうかね。この後、買い物へと出かけるんでその時にはマイナス10の洗礼を受けるのかもしれませんが、、、。

さてさて、昨日のブログ記事を覚えていらっしゃいますか?来週の月曜日からドイツ語のコースが始まるって話ですね。11月に申請して、1月の始めにクラス分けテストがあって、3月の始めからスタートするコースを受けるけどちょっと不安を感じてるっていう事だったんです。ブログ友達で英語の語学学校に最近生き始めた人もいて、彼女の初日のクラスの出来事や雰囲気を書いたブログ記事を読みながら、”自分も来週はこんな感じなんだろうな。どんなクラスメイトかな。”なんて思いを馳せていたのですが。

物事って突然思ってもいない事がおきますよね。

昨日の夜、。それも寝る前に携帯にメッセージが届いたんですね。寝る前と言っても僕たちは就寝時間が9時半なので、メッセージが来たのが午後9時ごろ。送り主は僕の通うことになる学校から。多分、”ちゃんと来週からクラスに来ますか?来ない場合は連絡ください。”っていう内容だろうなっておもってパパっとみてみると、コースをコーディネートしてる人の連絡先、コースの始まりの日が書いてあって。やっぱりね、と思いながらもユリ君にも念のために見せておこうと歯磨き中のユリ君の元へ。

”あれ、コースはキャンセルなの?”って思ってもいない返答が。

”え?”っと固まるぼく。確かに日付が2つあって1つは僕が始める予定だった来週の月曜、もう1つは4月の日付で僕の頭の中ではコースの終わる日だと勝手に思っていたのですが、、、。ユリ君がちゃんと読んでくれて教えてくれるには、来週のクラスはキャンセルになって4月初めのコースに参加できます。もし参加しない場合は連絡をください、という事だったらしいんです。

だって、1週間前だよ。こんなドタキャンって、、、、。パニックと言うか、怒りと意味が解らないという感情が体を駆け巡ってま、眠れるという心境ではなかったのですが。

一応ベッドには入り込んだものの頭の中はグルグル回って、考える考える。”だって、4月の中旬には引っ越しがあるし。しかも日本から友達が4月の終わりから5月の始め来るし。このコースのせいでめちゃくちゃなんだけど。しかも最後の2週間は電車で通わなきゃいけないし。交通費がかかるし、朝は5時45分おきで行かなきゃいけないよな。”とか。

そうなんです。僕の弱点の一つが今まで計画していたことが崩されるとそこに変にこだわってしまって、いらいらとしてしまう所。すべてが計画通りだったのに、壊された!!もうだめだ!!世界は終わってしまった!!みたいな悲観の世界に誘われていくところがあって。それを結構引きずってしまうんです。

なので、昨日はベッドでイライラとしていたのですが、”今イライラしても何も変わらないし、時間の無駄。寝よ!”って割り切って眠りました。もちろんちゃんと自分の問いに答えを出して、引っ越しは週末だし、平日でも授業は午前中4時間だけだから大丈夫、とか、日本の友達は可哀そうだけど僕の家の周りの観光に切り替えよう、朝はいつも早起きなんだから問題ない。ってことで自分を納得させました。

もちろん朝起きてメールでコーディネーターの人に、”コースの日程が4月に変わったのは理解できたけど、それより前に始まるコースがないですか?あったらぜひそちらのほうを取りたいです。”と頑張ってドイツ語で(その後に不安なので英語でも)書いて送りました。このレベル4のコースはクラスが何個かあるようなことを聞いたのでチャンスがあるならそっちかなと思って。聴いてみてダメだったらしょうがないし、もしそれで上手くいくならラッキーだしね。

人生予定したようには進まないなって思った出来事でした。今回はその立ち直りが早かったし、僕も少しずつ成長をしているようです。

 

ユリ君のスポーツ精神はフェアなのか?

また新しい週の始まりですね。2月も後半に入って、春の訪れを感じさせることが多く目に入るようになってきたように思います。外の木々は固く閉じているけれども新芽のつぼみのようなものがつき始めているし、鳩のつがいはまだ葉っぱひとつない木に巣作りをしていたり、地面には春の訪れを告げる花、スノードロップが至る所で花をつけていたりと見ていて心がスキップしてしまう今日この頃です。

と言っても気温はまだまだ寒いんですよね。最低気温はマイナス1-3を行ったり来たり、あと日本と違って温暖の差がないので最高気温でも今日はあったかいなと思っても3度ぐらい。日本はこの時期、暖かな日だと13度ぐらいまで上がったりしますよね。それがね、ここでは皆無。頑張って7度ぐらいでしょうか。今、この、街の週間予報を調べてみたら週末に一気に気温が下がって最低気温マイナス6度、最高零度だそう。これはまた運河の水が凍りそうです。

そんな寒い日は家にいるのが一番なので、週末も市場やスーパーに買い物に行くのと、走りに出かけたほかはただただ家の中で。前にも話したと思うのですが、ユリ君が勧めてくれて僕もハマってしまってゲームがあって、Civilization 6という自分の国をもって政治、宗教、文化機関や科学技術などを自分で決めて国を作っていくという物なんです。この6の改訂版が最近出て2人で同じ地図上で同盟国同士として戦っているんですが、正々堂々のスポーツマンシップって何だろうって思ったことがあって。ま、ゲームがスポーツかと言うと賛否両論あるでしょうけど。

僕とユリ君の国は同盟国なので、お互いに兵を送って戦争をして領土を奪うと言う事はなのですが、お互いの敵を一緒に攻めると言う事はあるんですよね。その敵の領地が僕とユリ君の国の間とかになると、その敵国にある数個の領地を一緒に奪い合うことがあるんです。

僕は自分の領地に近いところ2つを攻め入っていて、ユリ君も自分の領地に近いところを攻め入っている。僕の頭の中では、”なるほど。ユリはあそこの領地を欲しいんだな。じゃ、邪魔をしないでおこう。僕はこの2つの領地に集中、集中。”と2つの都市を攻撃してもうすぐ陥落と言うときに気が付くと隣にユリ君の騎兵隊が。そしてユリ君が最後の止めの一発をいれてこの都市はユリ君のものに。”なんで、僕が陥落した都市を横取りするんだよ。”って非難するけど、”だって、僕もここの領地がほしかったんだもん。それに攻撃は順番ずつだから、それを考えていればTakの手に落ちることだってあったんだからさ。”と悪びれもしないんですよね。

もちろん僕は不機嫌になったのは言うまでもないんですが。

けどね、考えてみたんです。ユリ君のあの横取りはフェアかアンフェアか。スポーツマンシップだったのか。

ユリ君、ドイツ人のステレオタイプがそのようであるようにルールにはきっちりと従うタイプなんですね。ここは本当にはっきりしていて、もし他人がズルをしていようとも自分はルールに従う。そんなタイプ。なので、なぜユリは僕が明らかに攻め入っている場所にまで来て、土地を奪い取っていったのか。と考えて気が付いたのは僕が勝手な思いやりで自分の中の正義を作っていたなっていう事。”ユリ君が、あそこの領地を取りたいなら僕は手を出さないでおこう。僕はじゃ、こっちを取るからユリ君もわかってくれるよね。”って勝手に頭で自分の正義を作っていたんですよね。それを度返しされたものだから、不機嫌になってしまった。ただ、ルールの観点で言えば何問題もないわけで。戦争中になったらどこの領土に攻め入っても問題はない。つまりスポーツマンシップにのっとったフェアプレイであるという事。

ユリ君と生活してて最近気が付くのが、勝手な思いやりを正義にしてそれをフェアとして生きている自分がいるなって気が付くことが多いんですよね。これ、日本人的な特徴である思いやりの精神から来てると思うのですが、それをユリ君に求めてもいけないし、それを僕が鼓舞しすぎてもいけないんだなっていう事。その間の丁度いいところをお互いが時にぶつかり合いながら探しているように思います。

 

嫌いかもしれないけど、好きなのかも

金曜日、そして今週末はクリスマスイブで、月曜日はクリスマス。そしてその1週間後は2018年元旦。2000年、コンピューター機能が狂って世界が滅びるのでは見たいなニュースもあった時から、もうそんな年月が流れたんですね。2000年僕は最後の高校生活を送っていて、アメリカへと留学したのがこの年の7月。そこから、イギリス、ドイツに住むことなんて僕の頭の中には考えもなくて。”アメリカに長く住めたらいいな。”ってぐらいしか思っていなかったのに、

人生っていつどこにたどり着くかわかりませんね。これから10年先、僕はいったいどこの国で何をして、傍らには誰がいるんだろうな。もちろん、今ある生活が好きだし、これを保持できたらと思うのですが、人生と言うものはそう簡単でもないなって今までの経験で感じることも多いので、10年後も今の様に幸せであったらいいなって思います。

人との出会いや、物事との遭遇で、自分の人生って変わってしまうものですよね。ミニと日本で会わなければイギリスに来るなんてこと考えもしなかったし、2年前のクリスマスの日にすることもなく家でネットをしてたユリ君を見つけたのも、ドイツに引っ越すことになった始まりだし。本当に不思議。ただ、その変化に順応できるしなやかさを年を重ねても持っておきたいなって思います。

そうなると、これも柔軟に対応していかなきゃいけないことなのかな。

猫。この写真はユリ君の両親が買っているメイクーンのアリーナ。結構大きめの猫で、外でネズミを捕ってきては、ボリボリと音をたてながら食べる野性味あふれる猫なんです。

ユリ君と僕は将来的には犬が飼いたいねっていう共通の思いがあるのですが、ユリ君はどうも猫も欲しいようで、、、。僕はそこまで猫の事を好きだなって思いはしないので反対してるんですけど。だって、猫って気まぐれだし、時になでてあげてると気持ちよくしていたかと思えば、噛みついてきたり、引っかかれたりするでしょ。あの心理ゲームが僕はどうも好きではないんですよね。

なので、これまで何度もユリ君のりゅしんの家には遊びに行っていたのですが、この野生感あふれる猫とは遠くから見はするものの、触ることはしなかったんです。ただ先週末に行ったときに、寒い外を温かな部屋の中から見ている一人ぼっちのアリーナを見てて、”触ってみるか。”ってさわったら意外と素直に撫でさせてくれて、僕たちの距離が近くになったように感じました。

今週末もまた、アリーナにあうのでもう少しだけ二人の距離を縮めててみようかな。

このブログを書いていて、縮めるを何回も”ちじめる”って打っては変換できなくて”なぜ?”ってなっていたのですが、”ちぢめる”なんですね。僕の日本語能力の劣化が、、、。

脳みそが強制的にシャットダウン

冬なので霧が出やすいのか、ドイツ北西部のこの町は今日も霧に覆われています。雪景色と同じで、非日常的な雰囲気が漂っていて嫌いではないし、白いベールの反射のおかげで部屋の中が普段よりも明るくなるのでいいなとは思うんですけど。

ほら、雪の日って太陽は出ていないのに雨の日の様に暗くないと思いませんか?あれは一面が白いのでそれにわずかな光が反射しているからなんですよね、霧もそんな効果がある用です。映像や写真でレフ版が白いのもそのため。

なので、普段は午前9時過ぎのこの部屋は部屋の間接照明を付けないと薄暗いのですが、今日は自然光だけで十分明るくこのブログを書いているところです。

最近、悪夢をまた見がちで困ってます。別に何が怖いとか、起きたとかでなく、目覚めたときにものすごく疲れているんですよね。休息のためなのに、どちらかと言うともう一つの世界を寝ている間に生きていた感じ。そして、起きたらこっちの世界がスタートしてますよ的な。夢の中で現実では起きて欲しくないことを経験して、”そっか、こんな気持ちになるんだ。”って思えるのはいい事なんですが。目覚めよくおきたいなとも思います。

そんなときの脳の状態ってどうなんでしょうね?ちゃんと休めているのかな?

そういえば脳がこの前、自然にシャットダウしてきてビックリしました。

その事件は先週末。前のブログで書いたように先週末はユリ君の両親の家で14人のクリスマス前祝のパーティーだったんですよね。

僕のドイツ語なんて幼児の能力もないぐらいなのですが、それでもドイツ語で喋ろうと意気込んで行ってきました。それに気が付いたのか、”あれ、Takはドイツ語が出来るようになってきたね。”って言われ普段はどちらかと英語よりの会話がお母さんと多いのですが、ドイツ語で話しかけてくれるように。もちろん、ゆっくり話してくれるんですけれどね。ユリ君のお母さん、スピーチセラピストなので発音が間違っていると直してくれるんですよね。それに自宅に子供たちに教えるスペースがあって今回は、”もしよければやってみない?”とパソコンをオンするお母さん。

子供用のソフトで、文章の一部が空欄になっていてその文章が流れてくるので、その空欄が何の言葉かを当てるゲーム。もちろん、一番簡単なレベルをチョイス。これ、結構難しいですよね。自分で聞き取れない音がよく分かります。後はその前後の文字の並びで、単語は知らないけれど動詞だろうな、とか名詞だろうなとか考えたり。お義母さんは昼食の準備があるのでそれから30分ぐらい一人で遊んでいました。

このような家族の集まりの時にみんなが話すのはもちろん、ドイツ語。ただ、デンマークの2家族の子供たちはドイツ語を話せないんですよね。デンマーク語と、中には英語をわかる子も。8歳の子はデンマーク語のユーチューブ番組があまりないから、英語のを見るらしく、そこでいろいろな単語を覚えていくんだとか。確かに英語で話しかけたら、的確な答えが返ってきました。8歳で、、、。子供って素晴らしい。

なので、時に僕に向かって大人たちも英語で話してくれることはありますが、全体的にはドイツ語の独壇場。その中からわかる単語を拾って何の話か考えたり、時にあまりにもわからなそうにしてるとユリ君の兄弟が英語で説明してくれたり。お坊さんの念仏がありますよね。一見何を言っているかわからないけれど、”阿弥陀如来”とか単語が聞こえると、”あーなるほどね。”っておもうでしょ。そんな感じ。

ランチ開始が午後2時でそれで終わったのが午後10時半。8時間半、ドイツ語の嵐にいたわけです。面白いものであるポイントに来ると僕の脳みそが、”今日はドイツ語一杯勉強したし、聞いたでしょ。もういいよ。僕は疲れたよ、おやすみ。”ってなり始めるんです。今回は午後の9時半ごろ。もうね、誰が何を言っていようともどの単語も何も意味をなさなくて穏やかなメロディー見たいに聞こえて瞼が重くなってくるんですよね。それを必死にこらえて、どうにかパーティーは無事に終了。

その後、ユリ君と二人で極寒の外に犬の散歩をしにでかけました。田舎の空は街灯も少なくて満天の星空が。オリオン座、北斗七星。その中でも気になったのがオリオン座の左下に輝く星。調べたらオオイヌ座のシリウスだそう。空にはこんなにもたくさんの星があるのだと驚きました。

寒さのためか、ドイツ語シャワーを抜け出せたためか、脳みそもシャキッと冴えユリ君と二人で並んで夜中の散歩を楽しみました。

これが散歩道。ね。何もないでしょ。この空一面に星が広がっていました。

洗濯機の設置とドイツ語の葛藤

今日はスッキリした青空が広がっているドイツ北西部。久しぶりの綺麗な朝焼けも見れて、”いい朝を、迎えられてるな。”と言う充実感を感じています。今日は、金曜日。今週の始めに、”残業の残り時間があるから、金曜日休めるなら休みを取る。”と言っていたのですが、会社が忙しいようで却下され、それでも”早めに帰ってくるから。”と仕事に出かけて行きました。

ちなみに今日は3つの小包が届く予定です。

そのうちのひとつは昨日、一度来たのですが、、、。今日の再配に。というのも、いつもは荷物を受け取ってサインをしておしまい。そのつもりで受け取ろうとしたら、荷物をすっと横に動かされて、”お金の支払いがあるよ。”との事。ユリ君は事前に何も言っていなぁったので???と思ってよくよく聞くと、関税だそう。送り主の国ははるか遠いオーストラリア。”あれ、ユリ君オーストラリアに何か頼んでいたっけ?しかも関税が3000円ほど。手持ちはあったのですが、もしユリ君が頼んでないものでも困るので、”ごめん。今、お金持っていないんだけど。”と伝えると、大丈夫だよと伝票を置いて行ってくれました。僕が理解したところによれば、”取りに来てね。”と言われたと思ったのですが、伝票にはその場所の明記がないとユリ君に言われ、”どうしよう!!”となったのですが追跡コードで調べてみたら今日の再配となっていた模様。けど、ユリ君なにをわざわざオーストラリアから買ったんだろ?しかも、”これって払わなきゃいけないの!”っていうので、説明しておきました、EU圏以外は運が悪かったら関税かけられるよ。って。

さてさて、お待たせしました。昨日の予告にあった洗濯機設置のお話。

洗濯機を新しいのを買って。昨日の朝10時から昼の2時にお届け予定と聞いていたので、家の鍵、地下の鍵、外用のスリッパを玄関前において準備完璧。昼過ぎ頃かなって思っていたら10時半になる呼び鈴。”来たか!!”と息をいったん整えていざ出陣。

配達のお兄さんに、挨拶をし”洗濯機ですか・と聞くと首を縦に振りどこに運びますかと聞かれ、”地下でおねがいします。ちょっと待ってください。そのドアをあけてきます。”といって一旦アパートに入って地下へ。そこから中扉を開け、外扉の鍵はどれだっけとしていると背後で物音が。

階下に住む、ちょっと風変わりなおじさんがそこには。このおじさん前のブログでも書いたことがあるんですが、ユリ君曰くこのアパートからほとんど出ることもなく、常にアパートに誰が出入りをしているか監視をしているそうで、、、、。人種差別者的な事もいうことがあると、言うおじさん。”洗濯機を置くときには、あのおじさんが出てくるだろうね。彼はここを”管理”してると思っているから。”と言われていて、どうせなら出てこないでと思っていたのですが、、、。登場です。

どうしたんだ?と聞かれて、”新しい洗濯機を、、、。”と答える僕。鍵が何個もあってどれだっけと焦る僕。”全部の鍵を試してみなさい。”とおじさんに言われようやく開いた外へと通じるドア。配達の人たちをまずは地下に案内して古い洗濯機を持って行ってもらいました。

階下のおじさんは自分の地下の部屋へのいったので、一安心。

新しい洗濯機が運ばれてきます。”どこに、どのように置きますか?”といわれ身振りで答える僕。するといつの間にかおじさんが。

”おー、ドイツ製じゃないか。いいね。ドイツ製は品質がいいから。しかも3年保証。”と突然の会話。特に誰にという訳でもなく、喋り始めて。僕も隣で、”そうだね。”ぐらいしか言うことがなかったのですが、配達の人がその話にちゃんと受け答えをしてくれて助かりました。その後、その人がポーランドから気rていることをおじさんが聞き出し、”いいところだね。”と褒めれば、”いやー。けどね今のポーランドの政権はダメですよ。”と答えると、”どこもダメな政権ばっかだよ、世界中。”とのおじさんの返答。(意外と、僕も聞き取れるんですよ。笑けど、それに返答するというのが難しいですよね。)そんな話を聞いて、おじさんドイツへの愛国心は強いけど、そこまで差別的ではないのかな。とおもったり。

途中で、配達の人にかなり長い文章で質問をされて、最後に分かったのが、”君がする?それとも僕たち?”みたいだったので、多分セッティングだなと推測して、そちらで。とお願い。その後排水ホースをつなげたり、給水線パイプを蛇口につけたりしてくれたので、どうやら僕の推測は当たったようです。

全て終わって、設置も完了。配達の人もかえって、おじさんと二人で地下に残される形に。

もう帰っていくのかなと思ったら、突然のドイツ語の質問。だけどよく分からないんですよね、何を聞きたいのか。2回ぐらい聞き返して、”今何をしてるんだ?”みたいな感じの事を聞きたいのかなと思って、答えたけど、それに続く質問。“コンピュータか?”みたいなことを言われ、”コンピュータは得意ではないな、、、、。けど、働くって単語も聞けたしな、、、。”過去にどんな仕事をしていたのかをっ知りたいのかな?”って思って、”ロンドンでフォトグラファーをしてました。”って言ったら、納得したよう。”それで、ドイツでもそうしたいのか?”みたいな感じの質問だったので、首を縦に振ると。また納得した表情に。”今日はありがとう。”とおじさんに伝えると、”じゃ、またね。”と言って自分の地下の部屋にと入っていきました。

確かに、ちっと気難しく、問題点もあるおじさんの様ですが、ユリ君が言ったほどの感じじゃないのかなって思っているのが正直な感想です。

はー。けど、ひと段落。その後は緊張感が解けたのか、一気に力が抜けた気分でした。まだまだ、ドイツ語をマスターするには沢山の険しい道がありそうです。