心臓発作も怖いけど

皆さん、月曜日ですね。週末はゆっくりと休むことができましたか?ストレスがまだ溜まっているということはありませんか?自分に優しくしてあげてくださいね。だって、自分以外のことをわかってくれる、理解してくれる人はほかにいないのですから。自分自身が、自分自身を否定してしまっては、生きていくのが楽しくないですもんね。

さて、今日のブログのタイトル。ちょっと意味深でしょ。実はね、今日、僕のドイツ語クラスでちょっとした事件があったんです。

僕のドイツ語クラスは朝8時から昼の12時15分まで、中に休憩が2回あって行われるんですね。生徒の数は15-18人ぐらいで、ほとんどの人がアラビア語圏の人々。その中でも今、内乱のシリアから人がその多くを占めます。そしてその人たちはドイツに来て2年半ぐらい。僕もクラスメートの彼らからシリアのことやイスラム教宇あ中東の文化をいろいろと教えてもらってます。

生徒の年齢もバラバラ。下は22歳で上は60歳。家族と一緒にドイツにいる人もいれば、親兄弟、時には奥さん子供はまだ母国という人もいるんですね。

今日もいつものように授業が始まりました。9時半に1回目の休憩。それからリスニングの問題をして、今度は会話の練習に。会話の練習はいつも同じ人にならないように2つで1つの絵になるパズルを箱の中から1つ引いて、絵柄が合う人とペアを組むんですね。

先生が持って回る箱から1枚ひいて、僕のカードは数字の10。誰が今日のペアかなと思ってみていると、突然、クラスメートが先生を呼びます。彼はシリア出身でドイツ語が上手なんですよね、クラスのリーダー的な感じでもあるんです。”先生、Zがちょっと調子が悪いみたいなんです。”確かにM君が苦しそうな感じ。

Z君は僕と同い年ぐらいか、もう少し上ぐらいなのかな?だから30代後半から40代半ばでしょうか。小柄で、勉強も一生懸命にするタイプ。何回か会話のパートナーになったことがあって、昔はサッカーをしていたとか、子供と奥さんでドイツにいるっていうことを聞いていたんですよね。

確かに今はイスラム教人たちはラマダンの間なので日中は、水と食事をとらない。なので時に気分がすぐれないことがあるんです。窓側にいたのでちょっと立ち眩みでもするのかなと隣のカジキスタンの女性と話していると、、、。Z君が立ち上がって教室の外へ出ようとします。ただここで気になったのがZ君は胸、しかも心臓のところにあったんです。これはどうやらただの気分悪いではなさそうだと皆が思いました。そしてZ君の仲良しのクラスメートが後を追います。先生も後を追い、どうやら息が苦しくてできなさそう。苦しそうな息遣いが廊下から聞こえてきます。ここですぐに先生は救急車を呼びます。たぶん、内心は焦っているのでしょうが、落ち着いてどこで、何が起きているかを伝える先生。Z君はどうやら立っているのも苦しいようでクラスメートが椅子を運んでベッドにして寝かせるも、Z君の状態はよくはならず、悪化していきます。苦しそうなうめき声。そこで何もできない僕たち。

すると先生が僕に、”Rさんのところに行って知らせてきて。”Rさんはこの学校のコースの管理をしている人で、同じ建物の2階オフィスがあるんですよね。階段を駆け下りる僕、けどやっぱりどこかであわてているんですよね。Rさんの事務所だと思ったら、1階間違ってて再び走って2階迄おり、事務所のドアをノック。ただ返答がない。ドアノブをまわすと動いたので、そのまま開けると誰かと話し合いの真っ最中。けど、しょうがないので、”すいません”と断って入って、”M君が、心臓発作ぽいんです。”っていうと、”救急車を呼べばいいの?”というのと同時に受話器を持っているRさん。”救急車は先生が電話をしました。”ここで僕は何を言えばいいのかわからなくなって、けどその緊急性に気が付いてくれたようで、”分かったわ。”と一緒に駆けつけてくれました。

その後、Z君は救急隊の処置を廊下で受けることに。僕たちは教室に帰って、座っていたんですが僕は廊下にすぐのところに座っていたのでZ君の苦しみに悶える声がずっと聞こえていたんですね。

z君はその後救急車で運ばれ、通訳係をしたリーダー的存在の人も教室に戻ってきて、Z君がどうゆう状況かを話してくれたんですが。

幸運にも心臓発作などではないとのこと。

では何か、、、?その理由がある意味。心臓発作よりも怖いなって思ったんです。

どうやら息が苦しくなっているときにZ君が言っていたのが娘さんのは名前だったらしいのです。僕が覚えている限りでは幼稚園に通う年ごろ。それで、何の理由があってかはわからないのですが、Z君はいま奥さんと、そして愛娘と離れて住んでいるようなんです。そのことがストレスになっていた模様で。

多分そのようなことや、慣れないドイツ生活もあっていっぱいいっぱいになっていたんでしょうね。いつも学校に遅れることもなく、礼儀も正しく、Z君。彼は日々少しづつ追い込まれていたんでしょうね、精神的に。

つまりあの苦しみの声は、肉体的な痛みではなく、精神の喚きだったってことですよね。今でもその声が僕は思い出せるのですが、拷問を受けている人が発するような声なんですね。

精神の傷や痛みって人間の表面上に現れるものではないでしょ?どちらかというと少しずつ少しずつ心のうちに隠してしまうもの。子供のころは泣いたり叫んだりしてそれを外に出していたけれど、大人になるとそれさえもしなくなってします。そして、ますます中に押し込めてしまう。これって怖いなって。だっていつかは抱えきれなくなって、爆発してしまうから。今日のZ君のように。

授業が、Z君の連絡先も知らないし、明日来るかもわからないので、心配だなって思いながら駅へと向かって帰っていると、遠くから自転車が来ているのが見えます。よく見るとZ君。救急車で運ばれて2時間ぐらいしかたっていないのに、自転車?通り過ぎざまに、”大丈夫なの?”って聞くと左手の点滴あとか何かとマークを見せながら、”大丈夫”っていって走りすぎていきました。その自転車のスピードの軽やかさ、そしてZ君の顔には笑顔が。

やっぱり吐き出すことって大事ですね。だから、皆さんも思いっきり泣いて、泣いて、泣いて、明日を迎えましょう。ちょっとだけ、気持ちが軽くなるはずです。

無駄だと思える時間が実は、、、

日本は夏日のようですね。僕の街は最高気温が10度で、風が強くて肌寒い1日に。なので、暖かなジャケットを着て登校しました。本当に秋のような気配で、”ここは季節が真逆の南半球ではないのかな?”って思うほど。

今日も朝の5時半に起床。ユリ君は出張中なので1人での朝ごはん。ただ、この季節は日の出の時間も早いので朝の5時半でも外は明るいのは助かります。6時15分に駅に向けて歩き始めるのですが、ここ最近よく見る猫がいるんですよね。

黒猫で、だけど後ろの2本脚だけ靴下をはいたように白色の猫。道端にいてその横を通り過ぎようとしたら寄ってきたので、ちょっと撫でてまた駅へと向かう足取りを早めてすすんだ数日前がその猫との最初の出会い。そして昨日もその猫を発見。早朝の住宅街に道は車もいないので僕はその真ん中を歩いているのですが、遥か30m先にその猫が左から右に道を渡っているのが見えたんですよね。”今日はちょっとすれ違いだな。”って思ってみてたら、道の真ん中でその歩みを止めて僕のほうを見る猫。

するとそのまま、道路の真ん中に座り込んでしまいました。

僕と猫の距離は僕が歩みを進めるたびに縮まっていきます。そう、この猫は僕が車でずっと道に真ん中で待ってくれていたんですね。それで道の真ん中というのも何なので左側に僕がよけるとちゃんと歩道のところについてきて撫でられにくるんです。かわいらしいなと思い少しだけ一緒に遊ぶことに。ただその後に電動自転車が来て、すぐに逃げて行ってしまいましたが、、、。早朝はいろいろなことがあって通学が楽しいものです。車が少ないので空気もおいしいし、この時間に起きて外で出会う人って犬の散歩だったり、庭仕事をしたりする人たちでゆっくりと余裕をもって動いている感じ。呼吸を深くしているような人たちが見れることも何となく幸せにしてくれるように思います。

新しい街に引っ越してから”余分な時間”っというのが増えたんですよね。

これは電車通学というのが大きな理由なんですが。僕の田舎町の鉄道は1時間に1本しか走っていないんですよね。ということは何かの拍子に乗り遅れると1時間待ち。この前は授業が終わって駅に着くと僕の乗るはずの電車がキャンセルに。何もすることがないのでフォームのベンチで宿題をして過ごしました。けどね、その日は20度ぐらいあって太陽も眩しくて、”これも日光浴だな。”っておもったら待つのも悪くないかなって。

余分な時間はまず、学校につくときにはじまるんですよね。僕の電車は7時15分に着くので授業の始業時間まで45分持て余すんです。学校の建物は開いているけど、教室は施錠しているから8時10分前位しか入れない。さてどうしようと考えて校内を探検することにしたんです。すると見つけてしまったんです。秘密の隠れ場所。僕の学校は結構大きな建物で6階建て。階段も左右と中央に3か所あり。中央階段がメインで左右の階段はどちらかというと非常階段という感じでしょうか、ただ幅はかなり広め。そのひとつを登りきるとなぜかものすごく小さい空間があるんです。登りって見えるのは床から天井までの一面の窓ガラスに広がる街の景色、そしてその間には机が1つと椅子が4つ。窓は東側に位置しているのでその時間には太陽がさんさんと降り注いでくるんですよね。誰も来ないようで、いつも僕はそこで朝の30分朝日を浴びてその日の予習をして授業に向かうんです。これがね、なんとなく楽しいんですよね。自分だけの秘密基地みたいで。

帰りの電車をホームで待つのは20分ほど。この季節は太陽が出ていることも多いし、風がそよぐのも気持ちがいいのでベンチに座って宿題をする時間に。そして電車に乗り込むのですが、ここを走っている電車はほとんど2階建て。いつもの視線より少し高いところから景色を見れるというのは楽しいですよね。しかもドイツ北西部はどこまでもひたすらにまっ平。真平の緑のじゅうたんが広がっている感じ。その中に馬や牛が草を食んでいたり、野ウサギが駆けていたりと面白い光景が見れます。いつも通っていると色々な発見もあるんですよ。たとえばね、朝の牛は駆け回るくらいに元気がいいけど昼過ぎには寝ているか立ち止まっているほうが圧倒的に多いとかね。あとは庭と家の観察。”あの家は素敵なのに、庭の管理がよくないな。僕だったら、あそこに木を植えて、ここには野菜の畑を小さく作って、その周りに花を植えるなとか。”1人での空想時間。

また家からの徒歩ではほかの家を観察したり、庭の木や花の成長具合を観察したり。”あー。この花は咲いてるときは綺麗だけど、枯れる時が悲しいな。”とか、”自分の庭に植えるならこの木かな。”とか。あとはどの家に住みたいかをいろいろな角度で考えて甲乙をつけてます。すると25分の徒歩が苦痛じゃないんですよね。

ロンドンの生活ではそんな穏やかな時間を持ってなかったなって今になって思います。地点Aから地点Bまで一心不乱に早足で進んでその道程を十分に楽しんでいなかったなって。

一見無駄と思える待ち時間とか、移動時間にこそ目を凝らすと意外な発見や面白いことが隠れていたりするので是非、探してみてくださいね。

 

春が来た、現在完了形こそがぴったり

春がドイツにも来たようです。今回は本当に。土曜日に晴れ間が午前中に覗いていたのでユリ君の走りに行くことに。一歩外に出ると、今までとは違った空気が漂っていました。谷化の本で読んだことがあるフレーズ、”空気が甘い。”っていう物があって、本当のその表現がぴったり。

空気が甘くて、太陽の光は穏やか、というか全体を包み込んでいる暖かさに変わったんですよね。太陽の光のビーム的な暖かさではなくて、流れている感じ。これに気がつけて、ビックリ。Spring has comeって表現が英語ではあるんですが、本当にその通りの表現がぴったり。

has come の現在完了形と言う事は、ある物事がいつの間にか、ある点ではなくて流れの中で変わったと言う事を表しますよね。現在の地点から見て過去のどこと特定することなく、何かが変わった、起きた時に使えるものですね。どうなのかな、日本語にはこのニュアンスが無駄に言葉を足さずに表せるのかな、、、。誰か知っていたら教えてください。

この現座完了形が本当にぴったりだったんですよね。朝起きて、外に出たら春になっていた。まるで物語の始まりみたいでしょ?しかもその春は僕が気が付かないときにスッきて、目覚めてともにそこにいたという訳ですから。走りながらそんなことを考えてました。

走る時って僕は音楽を聴かずに走るので結構考えることが多いんですよね。本当に雑念の塊なので、色々な事を考えるのですが。その中には歌を歌うって言うことも含まれます。ハミングしたりとか、人がいないときには少し大きな声でも歌います。またその選曲がびっくりだったり.”よし、この歌を歌おう!”って思って歌い始めると言うよりかは気が付いたら歌ってた感じで、時にはその曲が何の歌かもわからなかったり。そして途中である程度歌って、”あー。90年代後半にいたあのグループの曲か!”ってなることが。ジャンルも幅広くて、線路は続くよなどの童謡から山口百恵さんの秋桜だったり、僕の青春時代のTKメドレーだったり。そんな歌も歌ったりするんですが、けどやっぱり考え事をしながら走ることの方が多いかも。しかも考えるのは大体において中盤当たり。後半は最後のスピードダッシュを1.5km程するので、考えるどころじゃないからなんですけど。

けど。本当に色々な事を考えられていい時間ですよ。悩み事とかも、”なんで悩んでいるのかな?”って考えて走っていたりして、車に潰されたトカゲとか見たら、”あー。このトカゲが車に轢かれるときの思いに比べれば、僕の悩みって小さいな。”とか、色々なものを見ることによって意外な解決策が出てくるもので。

どうです、春ですし。日本は桜もきれいな季節、走り始めてみませんか?その時には音楽を聴かないことをお勧めします。そして、走り始めてみて何が自分の頭の中に去来するのか、結構面白いゲームになると思いますよ。ちなみに、走っているとかなり体温が上がるので、ジャージの長袖ジャージはお勧めできません。けど、ユリ君はこの格好をやめないんですけどね

 

まさかそんなに落ちてくるとは

寒さも緩んできたら、それとともに天気は下り坂。ちょっと、雲もが多いグレーの天気がドイツ北西部を覆っています。朝は台所で書き物をするのですが、そこからの景色が今日は少しだけ濡れた感じでその雰囲気がわびしいけれども、その落ち着いた感じが心地よくもあって。なんだろう、ヨーロッパの穏やかさをよく表した風景なんですよね。言葉で言うと情景がうまく伝わらないだろうけど。

そんな朝を過ごしたのですが、いろいろと今日はすることが多くて。母とのスカイプを終わり、今やっとブログを書いているのですが、アパートの水回りの掃除、モップ掛け、アイロンがけ、洗濯ものをたたむのと、ドイツ語学習、英語の勉強をするので時間をきっちり決めてやっていこうかなって。けどね、今夜は夕飯の準備がそこまでかからないのでいいかなって。

実は昨日、チャーハンを残ったミンチ肉でしようと思ったんですよね。けどそれとサラダだけって物足りないなって思って、野菜だけのシチューを作ろうと試みた僕。シチューの元のような素敵なものはここドイツにはないのでレシピを見て小麦粉を火の通った野菜にまぶしたりしながら作っていたわけです。塩コショウで味を調えてパウダー状の調味料で味をもう少し加えようと入れようとすると何も出てこない。あれ?っと思ってみたら固まっているんですよね。確かにこれはよくあること。いつもトントントンと叩くと少しだけその塊が砕けてパラパラぐらいで出てくるので、今回もそのやり方をしてみたら、出てこない。ちょっと強めにバンバンと叩いたら、、、、これが間違い。瓶の中の3分の1の調味料があと少ししか味付けの要らないシチューに綺麗にダイブ!!慌ててすくってみようとしましたがどんどん溶けていく調味料。恐ろしくも味見をすると、辛い。塩辛い。牛乳だと思い入れて混ぜ混ぜ、辛い。水もだと思い投入、まだ辛い。そうしていくうちに増えていくシチューの量。明らかに10人分以上もある量が目の前に、、、。だけど、まだもう少しだけ味が濃すぎる。

”シチュー取りやめ!”って方向転換。頭の古回転でこれを上手く使ってできる料理はと考え、すぐにマカロニを茹でてザルにあげ水気を軽く切ってオーブン皿に。そこに先ほどのシチューっぽいものを流しいれてオーブンで焼くこと20分。今夜の夕食完成。味は意外とおいしくて、終わりよければすべてよしかなと。

なので、昨日のチャーハン様に炊いたお米もあり、また昨日だけでは使いきれなかったシチューもどきもまだあるのでそれで夕飯にしようかなと。

けど、こんなことってありません?料理に限らず人生でも。こんなつもりじゃなかったのに、意外な事が起きて、うわーこれはダメだ。って思っていたことが後から考えれば、”あー、あれがあったからこそ、今のこの成功があるんだよな。”とか。

例えば、僕の場合はミニちゃんとの出会い。

ミニちゃんとは日本であったんですよね。アメリカから帰ってきて、またアメリカの大学に復学したいという思いを胸に留学資金を稼いでいたんです。その仕事として何をしようかと思った時に英会話の先生の試験があって。某大手の英会話学校だったんですが、書類審査、面接を通って、2次の面接が自分が先生として授業をするみたいなもので、それまでにも教えていたことがあったので問題なくやって、それなりの手ごたえもあったんですね。そして通知の手紙が。不採用だったんですよね。納得がいかずに電話をしたら、”判断基準は教えられない。何の理由があって落としたのかも言えない。”の一点張り。どうでしょ、不採用の通知にわざわざ電話を入れたりするそのアメリカ人的な感覚が嫌われたのかな、、、。まさしく、想像と違った未来が待っていて、その後大手の洋服店で働き始めたんです。それで1年間くらい働いていて、どうも合わないなって思って地元に帰ろうってした時にミニとあったんですよね。英語の先生だったか多分その環境が楽しくて地元に帰ろうとは思わなかっただろうし、英会話の学校で違う人と知り合っていたかもしれない。だから、あの時うからなかったのはこのためか。って思ってるんです。だってミニと出会わなければ僕がイギリスに住むことは絶対になかったわけですから。

ミニから別れを告げられた時も、最初はびっくりでした。ケンカらしいケンカもしたことないし、まさに青天の霹靂。その数か月前にはある映画を見て、”あー。やっぱりミニが大好きなんだな。本当に身にを愛してるんだな、僕。”って再確認していたのでなおさら。その時はフリーになりたてで仕事らしい仕事もなく、”これでは生きていけない!”と日本食のレストランで働き始めたんですよね。そして、そこで僕は将来的に長期にわたり僕を使ってくれる写真のクライアントに出会うことになるんです。

だから、一見悪そうなことでも見方を変えたり、ちょっと時間をおいてみると、”そんなに悪いことではなかったな。”って思えるものだなって。だから、もし今あなたが苦しい中にいても、どこかにそれから始まる幸せの糸口あると思うので、探してみてはどうでしょう?

 

 

僕らの未来

寒さも和らいできて、氷点を下がることなく2度。暖かい。はずんんだけど何となくマイナス9度の時の邦画家の中が温かかったように思うのは僕だけ?外の凍った運河の様子も今日のほうが冷たさが伝わってくるのは僕だけ?そんなことをインスタグラムであげて、その後は走りに行ってきました。そして納得。うんうん。やっぱりあったかい。風も吹いてけど軽く汗をかく位の温度があるもんね、今日は。予報だと週末は最高気温がなんと10度までも上がるとの事。楽しみです。

さて、昨日のゲイカップルの養子縁組のブログを書いていろいろと考えるところが多くて。今のゲイ事情っていうのでしょうか。

僕は長らく日本に住んでいないので、日本の事はそこまでわからないのですが、ヨーロッパはゲイであっることはもう当たり前感があって、”僕ゲイです。”っていうカミングアウトでなくて、”僕の彼氏がね。”みたいな日常の会話で、”あ、彼はゲイなんだね。”ってわかるのが一般的。確かに異性愛の人が、”僕は女性が好きなんです!!”って公言されてもしょうがないですしね。カミングアウトがこのような形でなくなっていくと言う事はいい事だなって思います。

後は圧倒的に同性愛の芸能人が増えたことですよね。スポーツ選手も含めて。そしてその人たちが家庭を築いているというのもいいなって。90年ごろって、ゲイは独り身で寂しく死んでいく、それならば死ぬ前に遊び倒せ!パーティー三昧!!みたいな感じがあったけどそれも変わってきたという事ですね。ドラマや映画でもゲイのキャラクターが多くいるし、本当に日常化しているこの21世紀。

そんな時代を10代で過ごすゲイの子って何を感じて生きていくんだろうなって、ふと考えてしまいました。だって、ヨーロッパだと同性婚も出来ると国が多い、と言う事は”将来的には素敵なパートナーと一緒に住んで、養子を2人ぐらいもって幸せな家庭を築いていきたいな。”って夢を持つ子もいるわけだろうし。実に興味深い。

僕が10代の時は日本の田舎で育ったこともあり、ゲイの人に会うなんて皆無で。ゲイのものと言えば海外の映画や小説で、そこに自分を重ねてみたところが大きかったように思います。あの頃の話はどれもハッピーエンドではなかったんですけどね。病死とか、自殺とかのエンディングが多かったな。それもあって、僕が高校を卒業した後にアメリカに行ったんですよね。自分の仲間がいる土地に住もうって意気込んで。結果それは成功を奏して、今い至るわけなのですが。

だけど10代と言い、アメリカにいる時と言い、自分が結婚をするんなんて思ってもいなかったんですよね。結婚=異性愛者の方程式しかなかったから。だから、自分の将来に好きな人の生活は想像してたけど、いつかは1人なんだろうなって思いもあったのは事実。

それが数年後にイギリスにわたって僕はミニとシビルパートナーシップ(同性婚とほぼ同等のもの)を結ぶわけなのですが。これも、なんとなく突如をして決まった感じが。ワーキングホリデーのビザが切れてじゃ、イギリスに残ってミニと一緒にいるには学生に戻るしかないのかと考えていた時に、ミニが”これからもずーっと好きなんだし。シビルパートナーシップを申請しようよ。”と言われて、そっかそう手もあったのか。と気が付いたくらいに僕の中に誰かと法の下で一緒になるという考えすらなかったんですよね。

日本はまだ社会に出て自分のセクシャリティーを公にするのは難しいし、同性のパートナーの権利なども認められていないところが多いのが現実ですよね。けどもしかしたらあと10年後には今のヨーロッパの現状が日本にも訪れているかもしれませんね。

時代って変わっていくものですね。その時代の転換期に自分がいて、それを体験できるって本当に幸せだなって思います。

 

走った後にシャワーを浴びて

穏やかな花曇りの朝を迎えたドイツ北西部。晴れてる時に行くしかないと思って走りに行ってきました。朝9時半の外気温は寒く、帽子をかぶりながら半分凍った未舗装の道を運河に沿って走ります。仕事が始まって少し過ぎた時間この時間に外で歩いたり走っている人たちは心の余裕が多いのか、笑顔で挨拶をしてくれる人が多いんですよね。見た目が明らかなアジア人の異分子の僕に挨拶をしてくれるのなんてありがたい。これで僕の1日の気分も上がるので、自分はなんて単純なんだろうって思ったり。

帰ってきて熱いシャワーを浴びたところでふっと一息。この安堵感が走る醍醐味でもあるように思うのは僕だけではないはず。

水滴を落としながらタオルで体を乾かしていきます。僕の拭き方はどうも大雑把で80%の仕上がりの様。僕の掃除と同じなんです。だけど足はちゃんと拭くんです。足の指の間まできっちり。多分これはアメリアでの生活が影響しているのかなって。

僕がアメリカで英語を勉強していた時に、大学付属の語学学校で勉強をしていたんですよね。その時に住んでいたのがホーマンホールという大学の寮。2人部屋でハイミー君と言う僕より1歳下の18歳だけどもっと年上に見えるラテン系のフットボールの選手と相部屋だったんです。運動う選手にありがちな騒ぎ立てるタイプでなくて、穏やかでしかも頭がいい子で。今ごろ何をしているのかな?と、話がそれてしまいましたが、寮ではシャワーとトイレが共有だったんですね。各階にシャワー室とトイレがあって、便器4個、シャワー6個の空間。各階にたぶん20-25人ぐらいが住んでいたのかな?シャワーはタイル張りで個室になっているのですが、ある友達に”シャワーの時はサンダルのようなものを履いて浴びたがいいよ。床はあんまりきれいではないし、水虫をもらったりするだろうから。”僕はその助言道理にシャワーをサンダル履きであびて、その後は濡れた足をきっちり拭いてシャワー室を出るという習慣がついたんですよね。

おかげさまで今も水虫知らず。水虫と言えば、英語でなんて言うか知っていますか?

Athlete’s footって呼ばれるんですよ。アスリートの足。なんか魅力的な響きですよね。これもアメリカでのなんですが、そのころ付き合っていた彼氏とその友達が話していて最近アスリートフットなんだよね。って言っているのを聞いて。”そっか、かなり走り込んだり、スポーツしたりして土踏まずがかなりあるってことなんだろうな。”っていう誤解をもって解釈していて、元彼に、”僕の足はどう?アスリートフットじゃない?”って走るのが得意だった僕は誇らしげに見せたのですが、”一瞥して”いや、違うよ。”って即否定。そんなちゃんと見てもいないのに僕の足が運動向きでないって下されたような気になってガッカリしていたんです。その後、”どうしたらあうりーとふっとを手に入れれるかな?”と言う僕の問いに怪訝な顔で、”なんで?欲しいの?普通は誰も欲しがらないよそんなもの。”っていう後にシャワーで写ったりするという話を聞いて水虫とアスリートフットがイコールで僕の中で繋がったのでした。その後は二人で大笑い。

こうやってふと、昔過ごした日々の思い出が蘇ってきてふと微笑んでしまいます。

 

心が溶けそう、プンピパー君

インスタグラムを始めてから携帯のカメラで写真を撮るという行為が最近増えたんですよね。僕が最近まで使っていた携帯は写真のクオリティーも悪いので殆ど使ったことがなかったので鵜sが、ユリ君からおさがりでもらったこのケータイは、写真家泣かせのハイクオリティーで、ビックリ。いろいろな機能もあるなって使いながら感じていたのですが、昨日ついに発見してしまったんです。シャッタースピードとか、ISOとかマニュアルで変えて好きなように撮れるという事を!!写真について詳しくない方は、この単語を聞いても???って感じでしょうが、”マニュアルでも撮影できるんだ。カメラと本と一緒だなー。”って感心してしまいました。こうなるとね、写真をプロに頼もうって時代でもなくなりますよね。

インスタグラムの写真はすべてケータイで撮った写真しか上げないのですが、このブログであげる写真はすべてカメラで撮ったものです。そこは少しだけ差別化を。携帯のカメラも色々な機能があって面白いのですが、やっぱり持ち運びは重いけどカメラで撮って自分の好きはソフトウェアーで編集した写真が一番好きだなって思います。

好きなものって人それぞれ違いますしね。もう30数年間生きてきて自分の好きなものはこんなものだなって朧げな輪郭があるんですが。皆さんもそうじゃないですか?

けどそれが時に、”あー。こんなものも好きなんだな。”って思える時があって。それがね、一昨日もらったバレンタインのプレゼントの中にあったんです。

この手のひらサイズの熊の置物。これが本当にかわいくて仕方がないんですよね。なんなんだろうこの感情はって位にこの置物に愛情を感じています。けどね、これがお店に売ってあっても僕は買っていないと思うんですよね。”かわいね。”だけど、終わっていそう。

と言う事はこれが好きな人から送られたことにこの感情を帰依するのかと、考えてもいたわけです。けど、ユリ君からもらった初めてのプレゼントではないし、自分がずっと欲しがっていたものでもない。けど愛おしく感じるんですよね。”そうそう。これが僕の生活に必要だったんだよね。”みたいな。けどその必要性は、パソコンとか携帯とかの必要性ではなくて、つい見ていると微笑んでしまいたくなるような必要性。

それで考えてみたんですけど、もう一つそなものがあったなって。これはミニがくれたものなのですが、本のしおり。確か何年も前にミニが誕生日のプレゼントとしてくれたんです。黄緑の小さなカエルの頭には金色の小さな王冠が乗っていて、カエルの下腹部のところからシルバーの平らな棒が伸びていてこれを本に挟むんですね、するとカエルが本の上にちょこんと乗っている状態になるんですね。想像できます?この王冠があまりにも使って取れてしまってそのたびに瞬間接着剤でつけてるんですが。これも見るたびに笑顔になるんですよね。だけどこのカエルのしおりも絶対に自分では買わない。

底がポイントなのかな?自分では買うことは絶対ないけれど、好きな人や自分のお気に入りの人が贈ってくれて、”あ。こんな感じのものが実は僕好きなんだ。”ってそこで気が付けることが。それまではこの熊にしろ、カエルにしろ欲しいものとして心の中にもないので貰って、この存在が意外と自分に必要だなって気が付いてその存在が想像を超えた喜びをもたらすことになるんだろうかと。

何はともあれ、この熊がかわいくて仕方ないこの数日間です。名前は何にしようかなって思ったりしてるんですが、”プンピパー”にしようかなって。これね、僕がよく言葉にならないときに発する音なんですが、最近はよくユリ君も使うんですよね。

ハイブリッドの人間に会う

クロヒョウと人間のハイブリッドっに出会ったことありますか?。僕、あっちゃいました。全体的はクロヒョウのフォルムで、顔つきがどことなく人間の雰囲気を少しクロヒョウに取り込んだ感じかな。だけどその目は人間の目でした。何となく吸い込まれてしまいそうな目で。世話をしている女性の人が触ってもいいというので恐る恐る手を出すと、猫の様に頭を僕の体に摺り寄せてきて、かわいらしんですよね。その女性に、どうやら気に入られたみたいね。”と言われて満足する僕。そのハイブリッド君とその女性を残して数メートルほど歩くと、背後に人の気配が。振り返ると2mほどの身長の人物が。あのハイブリッド君、ヒョウのような格好にも、人間の格好にもなれるようなんですね。”電話番号教えて欲しい。”と携帯を差し出してきました。

これ、昨日見た夢なんですけどね。なんか面白いでしょ。

その後、僕はそこを後にして先に進むのですが、レンガを敷き詰めた5m先が突然なくなっているんです。そのレンガの道は15mほどの向こうからはまたその奥に続いているのに、、、。その15mの間が、、、。道の終わっているところまで歩いていくと、そこからは20mほど下に街が見ます。車が走っていたり、人が日向ぼっこをしていたり。高所恐怖症の僕はそこで体が固まっているのですが、どうにかして向こう側に行かなければならい、、、、。するとどこからか声が。”思いっきり走って飛べばいいんだよ。”声のほうを見ると体付きの良い髪を剃り上げた男性がサングラスをかけて立っています。僕が高いところが苦手なことが分かったようで、”弱虫だな。高いとこから飛び降りるのは踊ることなんだよ。”と言われ社交ダンスの様に両手を持たれたと思ったら、そのまま何もない空中へと引きずり出されました。

”リズムが大事なんだよ。”といわれ数字をカウントするその男性。20m先の地面はまだはるか遠く。なぜかと言うと落ちる速度が物凄く遅いんですよね。水中をゆっくりと沈んでいく感じかな。それに縦に落ちているというよりかは、大きな円を描いている雰囲気。螺旋階段みたいに。その落ちていく間も僕たち二人は踊り続けます。

そしてその踊りの途中で目が覚めました。

不思議な夢ですよね。怖い夢ではなかったので、起きた後に叫んだりとかはなかったのですが、不思議な気持ちが体中に残っていてその後また眠りに落ちるのが難しかったです。

そんなその日の夢とか、1日の出来事をブログのほかにもう1つ書き記すところがあるんですよね。

僕のブログを長年にわたって読んでくれている人はご存知ですよね。日記です。日記を書くのはブログを書くよりも少し前、イギリスにきて1年過ぎたあたりからちゃんと書くようになったから、ちょうど10年かな。ちゃんと書き始めたころからPaperchaseというステーショナリー屋さんのオリジナルの日記を買っているのですが、今年はこれに。

日記をつけるのが女性が多いのか、最近は花柄とか、かわいいデザインのものが多くて、、、。買うときに迷ったんですけど、オランダの画家.デ’・ヘームのような暗い背景になまめかしいまでの花の感じが何となく面白いかなと思って購入。どうやら一冊一冊花の模様の使われ方が違うようで、僕はこの赤、黄色、紫の花それぞれが自己主張の強いものに。

今年になって朝起きてその前の日について書くんですけど、書く内容が変わって来たなって思います。昔は寝る前に帰ってきてその日の出来事をただ書いている感じだったけど、今は何をしたかよりも何をおもっているかとか内面的な事を書くことが多いなって。書きながらよく思うんですけど、日記を書くことってセラピーだなって。

書くことによって嫌な事やつらいことを思い返して、それを言葉にして書く。すると、言葉にすると”あれ、そんなに悩むような事でもないのかも。”って思えることが多くあるんですよね。もし悩んで眠れないような人がいるなら、日記を書くことお勧めしますよ。

 

本はよく噛んで味わいましょう

金曜日ですね。ユリ君は、今日は残業都築だった時の時間を有効利用してお休みを取っています。こんなところがドイツはすごいなって思います。残業をお金に換算してもらうのか、ほかの日に当てて平日を休みにするとか。良く出来たシステムです。僕と言えば少しだけ、緊張気味。実はついに地域の学校のドイツ語講座のレベル分け試験に招待されているからなんです。あと4時間もなく、テスト。けど、特に最後にテストに向けてやれることもないし、楽しんできます。ユリ君がついてこようかというのですが、なんでも頼ってばかりはいけないので一人で行ってきます。レベルは6つに分かれていて、下から2番目、よければ下から3番目のクラスには入れればいいかなというのが僕の目標。頑張ってきますね。

引っ越しについては色々と動きが。土曜日に見に行く田舎のアパートは時間の設定も決まって、あとは見に行くだけ。問題は駅までの距離と、インターネットの遅さ。そんな中、ユリ君から新しいアパートの情報が。新しく建てられたアパートで、駅からは歩いて30分ほどだけど、スーパーなどは歩いて5分。床暖房完備で、エレベーター付きといい環境。ただ、値段が少し高かったので聞いてみると、暖房費などの電気量が新しく優秀なアパートは抑えられるから、そこまで問題ではないとの事。それで、これも不動産やを通さずにプライベートでの交渉なので今日の夕方、見学に行けることに。今朝の朝まで喜んでいたのですが、ユリ君の気にするインターネットの速度を調べたら、周りのところは全部早いインターネットなのに、ここ周辺の20mだけポッカ入り穴が開いたように高速インターネットが通っていないという事実が。人生上手くいかないものですね。笑

皆さん読書は好きですか?僕は活字中毒と言っていいほど、何かを読んでいないと落ち着かいといほど。今も4冊の本を並行して読んでいます。4冊同時に?って思われる人もいると思いますが意外とごっちゃにはならないものですよ。もちろんすべて違ったジャンルのものだからだとは思いますが。一つは紀行文、一つは小説、一つはライフスタイルについてで、最後は詩集。どれも1日に割く時間はそれぞれ15分ぐらい。

最後に出した詩集なんですが、これが素敵なんですよ。ミニから2年前にクリスマスプレゼントでもらったものなのですが、中に366の詩が入っていて、それぞれに日付が売ってあるんですね。なので、1月12日はこの詩。それとその詩人やその詩についての短い文章も添えられているんです。今までそこまで詩に特に英語の詩に興味を持ったことはなかったんですが、読み始めると言葉数が少ないぶん、自分の頭の中での想像力をフル活動させなくちゃいけないのも面白い。あとは、この本を編集した人がその季節に合ったものを選んでいるので、詩的な季節感を味わえながら眠りにつけるのも幸せも。

昔は本を読むときに、早く読もう。なるべく多くの本をって気持ちで読んでいたように思います。ただね、それをやめました。もちろん、僕は速読の技術も持っていなしそんなに速く読むのが得というわけでもないのだけれど、今はゆっくりと噛みしめるように本を読んでいます。例えば小説は夕飯を作ってシチューを煮込んでいる時間だけ読むとか、デンマークのライフスタイルを書いた本はユリ君がゲームをしているときに読むというように。

じっくり読んでいくと不思議なものでその著者の書き方みたいなものが見えてきて面白かったりします。この人はこんなにも一つの物事から物事を飛躍させることが出来るんだなとか、時間配列ごとに物事を書くのでなくてそれをばらして組みなおすとこんな不思議な感覚に陥るんだなとか、この本は男性目線で書かれているけれども本当に言いたいのは女性から見た視線や思いなんだなとか。これがゆっくりと読むといろいろなことが見えてきて面白いし、その作者の人生哲学が散りばめられているようで、それに気づくのもまた楽しみであるように思います。

どうですか、皆さん始めてみませんか?本を読むのではなくてじっくりと時間をかけてかみ砕いて味わうという読書を。

カモとガチョウの日

気が付けば2018年もすぐそこまでに迫っているのでね。師走と言われる今月は皆さんも、忘年会、クリスマス、大掃除などの新年へと向けた準備でお忙しいのではないでしょうか?また数日間ブログを書かないでいたのですが、じつはちょっとユリ君の両親の家に行って早めの家族ディナー会があったのでその間お休みしてました。

また、日常生活に戻ってやっとブログを書いていると言った状況です。

日常の生活に戻って、朝6時15分の起床をしているわけですが、どうやら頭の目覚めは肉体的な目覚めよりも少し遅いようで、、、、。昨日の朝に少しアップテンポの音楽を聴いて早朝のストレッチ代わりの躍っていて、歌詞の中にDOWNっていう所で弾みよく左手を下げたら僕の左頬に命中、、、。朝と夜にしかかけない眼鏡で距離感が狂ったのか、頭が眠っていたのかわかりませんが自分で自分を殴ったことにまず驚いて一瞬の放心状態。床に落ちた眼鏡を拾ったら、どうも左の頬がいたい。鏡を見たら少しだけ切り傷に、、、。親指の爪でやってしまったみたいです。36歳。人生学ぶものは多いですね、いまだに。

話を先週末に戻します。

いつもブログを読んでいる方たちはお分かりの様に、ユリ君は兄弟が多いんですよね。ユリ君を合わせて6人兄弟。ただし、上の4人はお父さん、お母さんがひとつ前の結婚の時にできた子供なので、ユリ君はこの4人とは仲がいいものの年齢差もあるし、一緒に住んではいなかったんです。100%血がつながって、一緒に住んでいたのは下の妹のみ。なので、家族が集まるクリスマスの時期は何かとスケジュールを考えるのが難しいんです。特にその兄弟たちが結婚してパートナーができると。

大体は今年はクリスマスを片方の家で、次の日をもう片方の家でというのを毎回入れ替えながらしているようですが、僕は日本人でクリスマスに家族で集まるという習慣もないし、お正月に日本に帰るのはとても遠いので、ミニの時もユリ君の時も彼らの親のところで過ごすので何も問題はないのですが。

そんなちょっと複雑な家族環境にあってか、ユリ君の両親の家では毎年、2回クリスマスのディナー会が開かれます。1つはクリスマスの日に、そしてもう1つはクリスマスの数週間前の週末に。その日はカモとガチョウを食べるので、”カモ、ガチョウの日”と呼ばれています。

今年はみんなの都合で12月の最初の2週にこのカモの日を実施することができず、クリスマスの1週間まえの週末に。

デンマークから2家族、ユリの両親、ドイツにいるユリの2家族、そして僕たちの総勢14名。もちろん、家族で食べるご飯なので座って、一緒に食べます。

見ての通り、かなりギチギチなんですけれどね。けど、このテーブルやいす、それに照明も素敵だと思いませんか?この家にいると落ち着きます。

料理はネギのビシソワーズで始まり、メインはガチョウのオーブン焼きと、グリルされたカモとキノコを合わせ絶品で、付け合わせにビートルートの細かくなった煮物、青野菜のクリームソース和え、ジャガイモをボール状にして茹でたダンプリングが。

去年、初参戦した僕はこれが2度目。回数を重ねるたびに仲良くなっていく感じが増して、自分の子の家族に少しづつ溶け込んでいくんだなって思います。家族で行ったホリデーとか、それぞれの人の仕事や近況なんかが語られ前よりも少しだけその人の事を詳しくなっている自分がいる。これって地味だけど、幸せな事ですよね。

そういえば、ユリ君の家に行って一度も”お客さん”扱いされたことないなって思います。日本だと、”何が食べたい?”とか、”もう少し、何かを持ってきましょうか・”なんて聞かれることが多いけど、この家でそんなことはないかも。もちろん、”何をご飯の時には飲みたい?”とかは聞かれるけど、必要以上に気を使って心配されたことはないかも。だから、居心地がいいのかもしれませんね。

今回も屋根裏から椅子を運んだり、食べたも食器を片付けたり、外の鳥のえさ場にエサを足したりとお手伝いしてきました。

そう、そしてまた僕たちは今週末にはユリ君の両親の元に戻って、クリスマスを過ごします。今回は人数も減ってクリスマスイブのディナーは6人だけ。それはそれで、また楽しいものになりそうです。