なんでもない日、おめでとう!!

月曜日の朝は、雲が多くは見えますが所々に空の青さも見えているドイツ北西部です。ただ、時に突然に雨が降ってきたりと予断を許さない感じで外に出るタイミングがどうも取りにくい感じもあります。それでも、青空が少しでもあるというのは心への余裕が生まれますよね。

さて、今日のブログがどこから来たのかわかる人は、かなりのディズニーファンかと。これ、不思議の国のアリスからのセリフの一部なんですよね。帽子屋と、ウサギが、”なんでもない日、おめでとう。”ってお茶会をしている時ですね。誕生日なんて365日のうちで1日しかない。だったら、残りの364日の何でもない日をお祝いしたほうが楽しいじゃんってことらしいです。確かにね、逆転の発想って面白いですよね。

さて今回、僕がんなぜこのタイトルにしたかと言うと、それは先週の土曜日。いつもの時間よりも遅めに起き上がったのが朝の8時半。悪夢にうなされて決していい目覚めではなかったのですが、、、。隣を見るとベットは空。ユリ君はどうやら先に起きているようです。

顔を洗おうとバスルームに行くと、穏やかな太陽光線が摺りガラスの向こうから入ってきていてセントラルヒーティングのその部屋の中はほど良い温度。

”あー。なんて幸せなんだろう。”って思ったんですよね。何もなかったのに。本当に突然に。

そんな日ってありませんか?別に特別な事があるわけでもないし、何かもらったりしたわけでもないのに、”うわー。幸せだな、僕って。”って思う日が。僕は年に1-2日ぐらいあるかな、こんな日が。

そんな日って本当に何でも、どうでもいいことが”いいなー。”って思うんですよね。外の風景とか、朝ご飯の紅茶の香りだとか、シャワーの温度とか、観葉植物が水を吸って土が湿り気を帯びるとか、本当にいつも見てたり、触れたりしているものが嬉しかったり、幸せを感じたり。なんなんだろう、あの感覚は。だけど、そんな日は”人生って、素晴らしい!!”って叫びたくなるような衝動に駆られてしますんですよね。

そんな朝から始まったので、1日中ワクワク感に覆われていて、最近毎日のように来ている配達屋さんが今まで僕の事をユリ君と思っていたけど(ユリ君宛の荷物を僕がいつも受け取るので)、この日は僕宛の小包をユリ君が受け取って、”そっか、君がユリ君で、いつもの子がTakなんだね。”って納得して帰って行ったことや、昼に作った僕のスープが本当においしかったこと(ジャガイモ、タマネギ、インゲンをベースに水煮のトマト缶で煮たもの。)が何か特別なことに感じられて、その配達員さんや、スープをいとおしいなって思ってしまうほどに。

なんでこんな気持ちになるのかな?何かきっかけでもあったかなって考えたとき、そういえば、、、。

海外に住んでいる人ならわかると思うのですが、ユーチューブって本当に日本の情報を手に入れる時に便利ですよね。中には日本で放送されたものがほぼその1時間後には見れたりして。本当は著作権とかで駄目なんでしょうが、、、。観てしまいますよね。

その中で、”あなたへのおすすめ”みたいなのが出てくるでしょ?そこで見つけたもので、何気なく見たら、、、、。号泣したものがありました。もしかしたら、このユーチューブの影響かな?

そのテレビ番組とは今年の9月末で放送を終了した、テレビ東京制作の”世界!ニッポン行きたい人応援団”っていう番組なんです。

なんでも海外から日本に行きたい人をフェイスブック上で募集を募り、その中から選ばれた人が来日するというもの。僕が見たのは少し違って、ポーランドで開かれている日本祭りに遊びに来ていた女の子にインタビューをして、その子の日本の木造建築や文化に対する熱い思いにスタッフが感心して、日本旅行をプレゼントした形式でした。

この、13歳のポーランドの子の、あまりの喜びを素直にあらわす表情や身振り、純粋な気持ちがあまりにもストレートの僕の胸に突き刺さって、涙を出しながら見てました。

こんな気持ちの時あったな。この感情って大人になると心の奥深くに隠してしまうけど、もう一回掘り返さなきゃなって思いました。

たぶん、このテレビのタイトルと13歳ポーランド少女で検索すれば見れると思いますよ。

時に泣くことって大事ですよね。ハンカチを片手にご覧ください。

 

 

自分の生活に本当に必要なもの

今日の朝は深い霧でおおわれています。朝焼けの時は少し視界も良かったのですが、午前10時半の今は15m先は白い世界に。先ほど買い物にでかけたのですが、水分を多くまとった空気のためか肌に厳しい寒さを感じました。

でかける前に窓を開けて温度をチェックしたので、薄着ではなかったのですが顔や耳は少しジンジンとしてしまうくらいに。12月をもう少し出迎えるので、これもしょうがないのかも。大事なのはそれに対する防寒でしょうか。幸運にもユリ君のお母さんのおさがりの真っ赤な冬用のジャケットを去年もらったので、上半身は寒くないんですけどね。おさがり、、、。そういえばドイツにきてかなりのおさがりをもらったなって。ユリ君からも履けなくなったジーンズだったり、ユリ君の両親からは布団とか、手袋だとか。

人って状況に応じて変わるものなんだなってしみじみお思います。

僕が高校生の時は”自分のブランド”のようなものがあって。この人は、アールニューボールド、あの子は、APCとかね。それで、なるべくブランドが被らないようにしていた、十代の日々。僕はポールスミス、GUESS, PPFMだったかな。バイトもしていたし、家にお金を落とす必要もなかったのであの頃は値段が高くても買えていたんですよね。今から思えば、”何もそんなにもお金使わなくても。”と思う事なんですが。けど、そのほとんどを今でも着れるので、値段の分物持ちはいいのかもしれませね。

もちろん、今でもファッショナブルでいたいなとも思うし、自分で洋服を買うこともあります。だけど、ブランドだから買うという事が無くなったように思います。自分に似合う物、長く着れそうなものを、自分の納得いく値段で買う。そんな買い物の仕方かな。

ドイツに引っ越してきたのが8月の終わり。ダンボール10個に必要だと思えるものを詰めてここに送りましたが、いまだに未開封のまま。それには理由が。ユリ君の仕事場までここから今は車で40分ほど。それをユリ君は変えたいらしく、会社の近くの町に引っ越しを考えていると言われたんですね。その時の雰囲気から言うと”いい物件があればすぐに!!”というもので、すぐに引っ越すになるのならこのままはこの中に入れておいたほうがいいかな、と放置してたわけです。

けどこのユリ君の言う、”いい物件”と言うのがかなりハードルが高いようで、”ここは暖房効率が悪すぎる。””ここは、家賃が高すぎる。””ここは中心地から離れすぎている。”とで一向に決まる気配なし。

それで気が付いたんですけど、結局は自分の生活に本当に必要なものと言うのはあんまりないのかなという事。だって、あの10箱は引っ越しの際に断捨離をしてこれはこれからの生活にいるであろうなと思って持ってきたけれど、それから3か月。この箱を開けずに生活をしている自分がいる。なんかそう思うと、人間、身一つでどうにかなるもんだなって。

けど、何が必要不可欠かなって思うと、本、音楽、映画。もちろん、衣類や食料品などの生活必需品はいりますが、、、。だけど今の時代、音楽と映画やドラマはネットがあればいつでも見られますしね。といいつつ、今は本も電子書籍か、、、。けどやっぱり、一つだけと言ったら本になるのかな。

想像の世界に行ける本はやっぱり、捨てられないですよね。何か辛いことがあっても、本を読めば少しの間でも違う世界に意識が飛んでいけるし。本の物語や主人公から人生を疑似体験して学べることも多いしね。

そんなことを考えながら今朝の買い物に行った僕でした。霧の日は周りが見えないぶん、自分の考えにフォーカスが強く当たるようです。

ちなみに今は朝に日本の面影を朗読し、夕飯を作るときには江國香織著、東京タワーを一章、夕飯の後のくつろぎの時間に村上春樹のエッセイを数ページ読んで過ごしています。少しづつ読む、味わって読むというのが最近の僕の読書のお気に入りです。

ただいま、故郷 阿蘇

最近はドイツ語の勉強に毎日力を入れているんです。実は地域学校に申し込みをした時に、”では次回はクラス分けのテストをするから、そのときね。”と言われているからなんですね。クラスは6つのレベルに分かれていて、全くの初心者な僕は多分一番下かその一つ上。人によって授業料が無料か有料かがあって、僕は無料の対象には入らないので、ユリ君曰く少しはドイツ語理解できてるんだから少し上のクラスに入れるように頑張りなと言われて目下勉強中。言語を学ぶことは好きなので、苦ではないのいいことです。

ただ、言語って毎日、練習したり使ったりしていないといつの間にか消えてしまうものでもあるんですよね。ミニも昔は日本語を結構理解して、喋ってもいたんですが最近はどうも難しくなってきたみたい。大人になって覚えるほうが習得するのに時間はかかりますが、忘れていくのもゆっくりなのは得かなって。逆に子供は物凄い速さで言語を習得しますが、忘れるのもものすごく速いんですよね。

アメリカにいたときに普段は日本人の母親と喋る時以外は英語の4歳児の子供がいて、その子が家庭の理由で日本に三か月滞在することになったんですよね。日本滞在の間はもちろん、日本語だらけ。最初は戸惑ったようですが、底は適応能力の早い子供。すんなりと日本語をしゃべるようになったんだとか。そしてアメリカに帰って、アメリカ人の父親と再会。ただ、英語で話す父親の英語が最初は理解を出来なかったようなきょとん顔だったらしんです。もちろん、その後英語の環境に戻って喋れるようにはなったんですけど。

僕も日本に1ヶ月滞在していて、その間にドイツ語の勉強を怠ったのでまた最初から頑張ってやり直しています。基礎力が言語習得では大切ですからね。

そんな1ヶ月の滞在のほとんどは僕の故郷の阿蘇で過ごしました。阿蘇に帰ってくるのは2年半ぶり。その間に洪水があったり、阿蘇山が噴火したり、地震があったりと厄年のような阿蘇。いろいろなところに自然災害の爪痕がまだ残っていました。

それでも、自分の地元はいいものですよね。

僕は車の免許を持っていないので、阿蘇での移動手段は徒歩か、自転車。だけど、田舎の町で歩いている人なんて本当に少ないんですね。

阿蘇も色々な商業施設や、建物が建って僕が昔過ごした町の雰囲気は薄れてしまっていて何となく物悲しくなってしまいました。小学校に行ってみたら、もう使われていなくて雑草が山のように生えている中に廃墟のように建っていて。子供がいない学校と言うのはこんなにも悲しいものなのかと感じました。寄り道ぎみの通学路を歩くとすべてが小さくなっててびっくり。もちろん、道路が、家の塀が、ゲートボール場が小さくなったのではなくて、僕が大きく成長しすぎてしまっただけなんですけれどね。

自分の家の周辺を色々と歩いたのですが、何かが違う。僕の子供の頃の思い出の阿蘇とは違う所のように感じる、、、。人の心の中で思い出って美化されてしまいますしね。時代とともに人も物も、空気も変わってしまうのかなとおもって、自転車に乗って山のふもとへ。

そこで、突然に出会ってしまったんです。僕が子供のころを思い出させてくれる空気と、風景が。

昔ながらの横長の平屋の家、家の近くにある小さな畑。コンクリートではない石を積んだ川べり、農作業の人々がその日の取れた野菜を自宅用に泥つきのまま家に持って帰るその姿。どこかで燃えているであろう焚火の匂い。

しかも、道路で子供たちがサッカーをして遊んでいたんです。ゲームに夢中で外で遊ばなくなった21世紀の子供たちとは無縁のように、楽しそうにボールをけっていて。そのうちの一人の子が挨拶をしてきて、”ここだと車は来ないのかな?”と聞くと、”来るときもあるけど、その時は一時中断すればいいから。”との返答が。確かに、僕もそうやって遊んでいたなって。車どおりの少ない道が昔は遊び場だったなって。

景色が、そして空気が忘れ去った自分の思い出をこんなに喚起してくれるとは。あまりにもの懐かしさに目がしらが少しだけ熱くなったほど。

いつまでも、いつまでもこの景色が変わらずにいてくれたならと思わず願わずにはいられませんでした。

僕の知っている阿蘇がまだここにはあって、それにこうして出会えたことは本当に幸せな事でした。

 

冒険の旅

今日は穏やかに、せかされずに平和な朝を過ごしています。実は昨日は少しだけあわただしい朝だったんですよね。なので、ユリ君との両親との旅については明日へと。

実は昨日朝早く電車に乗って出かけてきたんです。しかも一人旅。

ユリ君におんぶにだっこな日々なので、それを逸脱するにもいい機会だし、ドイツ語を家族以外の人に喋れるとおもい、出かけてきましたよ。

場所はここ。

ハンブルク。前に訪れたこともあるので、何となくの土地勘もあるし、電車の乗り方も知っているので少しは安心なんですよね。朝9時過ぎの電車でまずは2時間ほどかけてブレーメンへ。そこで30分ほど乗り換えの電車をまって、電車に揺られて1時間。無事にハンブルクに到着。

さて、なぜハンブルクに来たかと言うと、テイクアウェーで働いていた時にいつも仲よくしていたお客さんがいて、ちょうどハンブルクの友達を尋ねにきているからその時に会える?とのメッセージをもらっていたんですよね。そうなんです。僕を尋ねてドイツに来た第1号!

特に何をするでもなく市内をうろうろと歩いて、少し遅めの昼ご飯。インテリアがかわいいカフェが軽食も出しているのでここで決まり。パスタがあったのですが、温かいのかどんなパスタなのかを知りたいと友達がいうので、ドイツ語で聞くと”お!!通じた。”それでちゃんと温かなペンネのパスタをオーダーできました。その後もまたお茶を頼んだ時にも問題なく会話を出来て、ほっと一息。とはいっても完璧なドイツ語の文章ではないんだろうけど、僕の知っている語彙の中から何となく文章にしてみて、それが通じたといういうコミュニケーションの基本は”伝えたい気持ちなんだな。”って改めて思い知らされました。

友達との結局そのカフェに2時間ほどいて、今まではお客さんと店員だったものがお互いの今までの生活を話してもっと近くになれたように思います。あまりにも話が弾みすぎて乗るはずだった電車を見逃してしまったほど。最後には素敵なお土産までいただいてありがたい。

”今度は、あなたの住む町に遊びに行くわね。”との約束をされて帰路につかれました。

僕もそこからまた3時間半ほどかけて、駅に着いたのがゆるの8時40分。プラットフォームを歩いていると先の方に見覚えある人影が。ユリ君がわざわざ迎えに来てくれたました。

本当に僕の人生は素敵な人々で囲まれているなって思えた、そんな1日でした。

 

人が変われば、習慣もまた

いつかは晴れるのでしょうが、ドイツ北西部は今日も嵐のような雰囲気。風が強く、時折はげしい雨が窓に当たるほど。先週末にせっかく窓を綺麗にしたのに、またやり直しになりそうです。

今日は金曜日。僕は朝から元教え子とスカイプをして人生話をしたり、筋肉増加を目指して運動したとやっていたらいつの間にかお昼過ぎ。時間が過ぎるのって早いですね。午後は、ドイツ語の勉強、水回りの掃除をして、その間に洗濯機を回そうかと。ドイツはイギリスと同じで部屋干しでも次の日には乾いているので雨の日でも選択ができるのでありがたい。

ユリ君との生活が始まって僕の生活パターンも大きく変わりました。

いつもブログで書いているように遅くても朝6時には起きて、就寝は遅くても10時。もちろん僕はそんなにも朝早く起きなくてもいいのですが、ユリ君と一緒に朝ごはんを食べて同じスタートを切りたいと思うので。あと、ちゃんとお見送りもしたいですしね。これは母親から譲り受けた習慣なんですが。

お酒の量がかなり減ったことも事実。もちろん、全く飲まなくなったというわけでもないですし、ユリ君が無理に飲ませないというのでもなくて、、自然に。ユリ君はどんなに誘っても、友達とバーに飲みに行っても一切お酒を飲まない、ある意味で頑固者。バーでもコーラか、水です。バーで水を頼むって、勇気あるなって僕としては思うんですよね、そんな時僕はお構いなくお酒を飲みますが、そんな姿を見ても文句も言われないし、むしろ奨励されたり。”かなり酔ったTak見てみたい。”言う感じで。昔だったら、食事と一緒にワインをなんて飲んでいたのですが、一緒にご飯を食べるユリ君が飲まないと飲んでもワイングラスの小さいものを一杯で終わり。僕の消化器官は喜んでいることでしょうね、

あとは圧倒的に野菜を食べる量が増えました。ユリ君の習慣で前菜はサラダというものがあって、僕も食事をするときにそれを取り入れたんです。昨日のサラダは人参3本ときゅうり1本。ヨーグルトとマスタードの爽やかなドレッシングを作ってかけました。

食べる量も少なくなったかも。やっぱり30代も半ばなので、あまりガツガツを食べても脂肪になるだけだし。もっと噛んで味わって食べようと言うことから時間をかけて食べるようにしています。また、誰かと一緒だと食べるスピードも自然とゆっくりになりますよね。

ドイツにきて、僕の体はかなりの幸福感を感じているのではないかなって思っているところです。

赤ずきんチャチャは人生のお手本だなー

薄く雲が空を覆っていて何となくスッキリとしないお天気です。心穏やかになれる天気と言えば、そうなんですが僕の心には少しこの天気が重いように思います。

最近どうもぐっすりと眠れてないんですよね。もちろん、健康優良児のように夜の9時半から10時には寝て、朝の6時には起きているんですけれどね。だけど、その眠りの内容が浅い眠りばっかりなんですよね。それで案の定、見る夢が悪夢でこの4-5日は起きたらその夢の感情を引きずっていて、”あー!いい朝だ!!”って気分で起きれないでいるんです。困った、困った。ちょっと、まくらでもかえたらちがうかもしれませんね。

そんな気分で今朝も目覚めて、朝の筋トレやら日記を書いていたら、メールが。これがね、また僕を少しだけがっかりさせるメールで。気分が急降下。別に大したことでもないようなことなんですが、人生の障害に弱い僕。頑張らなきゃなって、自分を奮い立たせてるところなんです。

そんな暗い雰囲気もまとって1日過ごしてももったいないし、自分もつらいので気分を晴らすものがないかと、探していたら、、、。見つけてしまいました。”赤ずきんチャチャ”って漫画、皆さん知っていますか?僕がね。いくつぐらいだろう、、、。小学生の高学年かな?妹が小学校の低学年でちょうど、漫画などに興味を持った頃で、その時に買っていたのがリボン。その中に赤ずきんチャチャは連載されていたんですよね。僕も、妹に借りて読んでいたんですが、少女漫画らしからぬギャグ漫画で抱腹絶倒。キャラクターもみんな個性的で愛らしくて、この漫画のとりこに。妹も好きだったようで、時に単行本をも買ってきてそれも僕は読ませてもらっていたんです。

その後、この漫画はアニメ化されて興味をもって見たんですが、僕のイメージしていたキャラクターの声と声優さんの声がかなりかけ離れてガッカリ。しかも、漫画ではないような変身シーンや、悪の大王を多を倒すなど原作とかなりかけ離れていたのにも驚きました。(調べてみたら、スポンサーのおもちゃ会社がそのころセーラームーンが流行っていて、何か変身用のおもちゃを一緒に売り出したいからと、このような物語変更がなされたのだとか。大人の事情なんですね。)

ということもあり、アニメ版をオンタイムではほとんど見たことがなかったのですが今回数話だけを見る機会が。これがね、僕の気分を盛り上げてくれました。

人生は、赤ずきんチャチャのようにいきるべし。って教わったような気がします。

気分を上げてくれたのは懐かしさもあってでしょうが、この登場人物がみんな普通じゃないんですよね。チャチャは見習い魔法使いで、世界一の魔法使いセラヴィー先生の弟子。魔法で、”花束”を出そうとしたら”鼻束”が出てきたり、火を出すバーナーを出そうとしたらバナナが出てきたりと、おちょこちょい。それでも日々楽しく、失敗にくじけることなく毎日を過ごしているし、オオカミ少年のリーヤは本当におバカ。時にオオカミに変わるもどちらかと犬のように見えて、怖さなくして可愛さ1000倍。魔女のドロシーは世界一の魔法使いになりたくて幼馴染のセラヴィーを倒そうと考えるもいつも厚化粧や、顔のしわなどについてセラヴィーからいじられて終わる始末。世界一の魔法使いセラヴィーでさえも、いつも小さな人形に腹話術で会話をするという”変態”気質もち。その他にも個性たっぷりのキャラクターがいて、笑えます。みんなどこかしら弱みがあるけど、それを自分で分かった上で、時にそれを使いながらも楽しく生きてる姿に人生の教訓を感じるんですよねー。(深く考えすぎかな,、、。)

ドイツに引っ越してきてから僕の生きていける能力があまりにも低くて、まるで子供。だからなのか、この赤ずきんチャチャの心境が身近に感じられるのかもしれません。

みなさんも、ちょっと元気がない時はこの漫画、おすすめです。

 

静かに揺られて

昨日と同じように雨模様のドイツ北西部。昨日にも増して時折、横殴りの強い雨が降ったりともの悲しい感じが立ち込めています。今日は窓を開けて、少しひんやりとしてはいるけれど新鮮な空気を部屋の中に充満させているところです。どうしても閉め切った部屋は空気がよどんでしまいますよね。

さて、ユリ君の両親の家に先週末訪れていたのはお父さんの誕生日のため。毎年、家族が集まってお祝いをするのですが今年は僕もその中に参加。ユリ君の兄弟と、その家族など総勢12人。ユリ君の家族は基本帝にドイツ側とデンマーク側に分かれていて、今回はデンマーク側の家族も。

デンマークってドイツの北部部分でつながっていて、昔のブログにも書きましたが世界で1番幸せな国ランキングにいつも1位2位の国なんですが、小さな国なんですよね。人口は600万人ほどなので、千葉県の総人口ぐらいでしょうか。首都はコペンハーゲンで、首都の人口は50万人ぐらいなので日本でいうと宇都宮市の人口ですね。

小さな国もあるし、周りにたくさんの国々が隣接しているので外国語教育が徹底しているんです。今回はデンマーク側からは3人が来たのですが、3人ともデンマーク語、ドイツ語、英語を何不自由なく話せるんですよね。会話は大体がドイツ語で行われるので、僕は知っている単語を会話の中から拾ってはそこから何をみんなが喋っているかを推測するのが精一杯。だけど、時にデンマークファミリーが英語で僕に質問とかもしてくれるんですが、ドイツ語から英語に何の躊躇もなく変わるんです。第2外国語を使う人ならばわかると思うんですが、突然に1つの言語から直ぐに次の言語に変わるときって難しかったりするんですが、それをも感じさせないんです。そんな姿が羨ましくて、、、。”何時かこんな風に僕もドイツがを上手くなってやる!!”って思いました。

そんなお父さんの誕生日会は夜遅くまで続き、お酒を飲まないユリ君は午前1時過ぎに、”もう寝たい。”というのでベッドに。僕も一緒にベッドにいきましたが、残りの人たちはその後1時間ほどパーティーを楽しんだようです。

土曜日の昼過ぎまでにはほとんどの家族が帰ってしまって、残ったのは僕とユリ君だけ。犬の散歩に行ったり、庭仕事を手伝ったり、読書をしながら日光浴をしたりと穏やかな時間を過ごしました。

お母さん大好きな末っ子のロミオ。やんちゃ坊主で、”遊んで、遊んで。”攻撃がかわいかったです。

そんな土曜日の夕方はデンマークとの国境に近い都市フレンスブルクへ、お父さん、お母さん、そして彼らの友達と僕ら2人の6人でワインの試飲会へ。試飲会、フレンスブルク郊外にワインの店を構える人が主宰をしていて、スパークリング1種、白2種、ロゼ1種、赤2種のラインナップ。それとともに軽い軽食も添えられます。お酒を飲まないユリ君にとってはつまらないイベントのように思えますが、ユリ君を釣るには格好の事が潜んでいたんです。それが試飲会場。

今回の試飲会は蒸気船で行われたんです。ユリ君、大学では海に関するエンジニアみたいなものを勉強していて、ボートとか帆船とか大好きなんですよね。”来年の夏はセイリングに行こうよ!”って言われてるんですが、僕はどうもね。。。。何がセイリングって豪華な感じがするじゃないですか。だけど、ユリ君が行きたいのは大型のボートで何十人の人がそれぞれ責任ある仕事を請け負って船を動かして航海をするというハードコアもの。山育ちの僕には未知なる世界過ぎて、、、。

なので、僕はワイン目的のほうが強かったのですが、蒸気船って素敵だなって思いました。音はもちろんするものの、何か懐かしさを覚える音でエンジン部分は石炭から発せられる熱で温かったし、蒸気が力となってエンジンを動かしている姿にも感動を覚えました。

また、船上からの景色も良かったんですよね。ちょうど黄昏時の波のない水面を滑るかのように動いていく船。右側はドイツで左側はデンマークというその不思議。また、穏やかな緑の丘が見え、その向こうには北欧ならではの色合いの家々。海岸沿いに建つ家々には明かりがともり、夕飯でも家族で食べているのでしょうか。行きかう小さな船や帆船も親し気で、船上には沢山の人がいるにもかかわらず自分の周りだけがとても穏やかで平和的な雰囲気で包まれて気分に。

住むならば山のほうがいいと思っていたけれど、穏やかな海辺というのも悪くはないかもなって思った自分がいました。

いつもしない体験をするって、自分に違った価値観や思いをくれるので大切なんですね。なんとなく年を取ってしまうとそれが億劫だったり、怖かったりするんですが。夏のセイリング、、、。考えてみようかな。

サヨナラを、今日。

ロンドンは朝の6時45分。今ミニの家のロフトの部屋にいて、このブログを書いているところです。このロフト、いつもならば窓から遠くの牧歌的な景色が見れたりするのですがグレーの薄い雲が辺り1面を覆っていて、気温もTシャツだけでは肌寒さを覚える温度。最近の話しでよくされるのも、”夏はもう、終わってしまったね。”というものばかり。イギリスやドイツはあとは9月の中旬などに突然に夏が戻ってきたかのような気候があるので、それが今年も起こらないかと期待するのみです。

日本はまだ夏の真っ盛りなのでしょうか?日本でいうと真夏というのは7月8月ですもんね。残暑が残ってみなさんまだ暑さの中で菅されているのだと思います。

そう思うと、世界のどこにいるのか、どこで育ったかで夏へのイメージも違うというのは面白いものです。日本の夏は7月8月。イギリスだと、6月も夏に入ります。そして、8月の終わりは秋というより晩秋の気配が。南半球では季節が逆ですから、今は真冬ってことなのかな?そう思うと”夏”って言葉を共有しているけれども、その概要は似たものでもディテールは人それぞれ違ってくるのかもしれませんね。

そんなロンドンの天気とも少しの間はお別れなんだなって思うと、これもまた愛おしいかなっても思うのです。

ブログの最初のほうを読んで、”なんで、ミニちゃんの家に早朝からいるの?”って思われた人もいるんじゃないでしょうか?実はね僕の前の家を出たんです、週末に。ミニとマーロン君に手伝ってもらって引越しをして、今日までここでお世話になっているというわけ。

じゃ、この次はどこに?って多分ほとんどの人がどこに行くのかはわかっていると思うのですが、、、、、。

ドイツに引っ越すことにしました。

イギリス生活が今月で丸11年。数年前までは、”イギリスが定住の地かな。”人生ってふとした出会いで変わっていくものなのですね。確かに、今思ってみるとイギリスに来たのもイギリスが物凄く好きだったから来たのではなくて、ミニちゃんと出会ったのがきっかけ。そして今は、イギリスは僕のアイデンティティーの重要な部分を占めているようにも思います。

日本、アメリカ、イギリス、そしてドイツ。僕にとっては4カ国目となる新拠点。向こうに行ったらドイツ語の勉強をして、一般生活を送れるくらいは喋れるようになりたいというのが今のところの目標です。

不安がないと言ったら嘘にはなるけれども、好奇心が大きい方が確か。アメリカで、イギリスで生活始めた頃のほとんど何もわからない、何をどのように伝えればいいのか、どのようなシステムで地域があるのかをわからずに、おどおどとなりながらも少しづつ馴染んで自分の立ち位置をまたゼロから作り上げていけるというのは面白いし、この年になってそのチャンスをもらえたっていうのは本当にありがたい。ただ時々出てくるんですよね、不安も。”36歳で今あるものからサヨナラをして、また頑張れるのか?”、”ユリ君との関係は、ずっとうまくいくのかな?”とか。

けど、起こってもいない未来を心配しても仕方ないですしね。一般論に負けずに、自分を信じて新しい人生を歩いていきたいと思います。

イギリス、今までありがとう。

気が付けば8月も

皆さんご無沙汰してました。一か月以上もブログを書かずにいましたが、戻ってきましたよ。

実は7月の初めごろからおなかを壊したりと体調がよくなくてブログを休んでいたのですが、その後もいろいろなことが僕の周りで起きていて今やっと落ち着いた時間を持てている状態です。

早いもので2017年ももう、8月ですね。と言うことは今年が終わるまでに5か月もないということなのですね。時間が過ぎるのってどうしてこんなにも早いのでしょうか。しなくてはいけないことは山のようにあったり、これがしたいなっておもっているのに、気が付くとほとんどが手つかずのままに何も現状と変わらないみたいなことが多くて、、、、。そんな自分やその現状に少しだけ落ち込んだりしてみたり。

さて、そんな日常を抜け出すためではないのですが今ちょっとロンドンを離れています。今いる僕の場所は夕方の雨に虹が浮かぶ場所。

素敵な景色でしょ。青空の中に見える虹も爽快な感じがして素敵だけど、夕暮れの虹って淡くてどこか少しだけもの悲しさみたいなものを含んでいて僕は好きだなって思います。

これ、ユリ君の家のベランダから見える景色なんですよね。この窓は東側にあって朝は晴れていれば眩しい朝日や朝焼けが見えて1日の始まりにこの窓に立って思いっきり深呼吸をして太陽を全身に浴びて1日を始めるのがここ最近の日課になっています。

ドイツでの休暇がちょうど今2週間たったところで、自分の時間をたっぷりと自分のためにとれてその中で自分がしなきゃいけないこと、したいとおもっていることを積み木を重ねていくようにこなしていくのは楽しいなと感じてもいます。

自分だけの時間をだれにも邪魔されずに取れるのは幸せだなって実感できている今回の休暇です。

36歳で思うこと

昨日ブログを書いた後、日本に住んでいる母に電話をしました。

子供の頃までは誕生日というと授業中の僕の生まれた午前11時ごろになるのをウキウキしながら待っていて、その時になると心の中で、”うわー。10歳に今なったんだ。”って叫んだり。その後は家に帰って待っている誕生日ケーキやプレゼント。まるで6月20日は僕が世界の中心に回っているような錯覚を覚えていました。だから、誕生日の日は心躍るようなウキウキ感が大きかったんでしょうね。

36回目の誕生日。素直に、自分の人生を振り返ってみて、”こんなにいい人生を歩いてこれたのは、母が産んでくれたおかげだな。”って思って感謝を伝えるために朝方の日本に電話を。

僕の生まれた時の状況を聞いてみたり、子育ての大変さなんかを自分の母親から聞くのは新鮮でした。

陣痛が始まったけど、なかなか出てこなくて陣痛の合間に母親はウトウトしてしまうほどの長さ。あまりに時間がかかるので陣痛促進剤打たれるもそのせいでうまく調子が合わず苦しむ母。そして今もそうなんですが生まれる前から肩幅が広くてどうも産道で肩が引っかかって出てこれなくなってしまい、やっと生まれた僕は泣きもしない、仮死産。その後何も音を発さないのでお医者さんに叩かれてやっと泣いた僕。途中で酸欠状態になったためなのか、母親の前に現れた赤ちゃんの僕はしわくちゃで、真っ青のそれは、”かわいい”とは程遠い見た目だったのだそうです。

その後、もしかしたら酸素不足から脳に障害が起きている可能性もあるからとお医者さんに言われ、数件の病院で検査。これって初めての子供の子育てでも大変なのに、母にとっては追加のストレスだったんだろうなって。結果、問題なしで落ち着くのですが、、、。

次に現れたのが苺状血管腫。これ、赤ちゃんの時にできるもので、毛細血管の異常な増殖によって体に赤いあざのようなボコボコのマークが出てくるんです。僕はちょうど左の胸の腕に出てきて最初は小さかったそうなのですが、どんどん大きくなって色もどす黒い赤に。今でもよく見るとうっすら赤みを帯びているのですが、僕の2歳ぐらいの上半身裸の写真とかは虐待されて内出血をしてるのではないかというような大きな赤黒いマークがあってちょっと痛々しいほど。それも6才頃には今の薄さに。

6才になった時は川崎病を発病し、入院生活を送りました。僕は最初こそ怖かったのですが、そのうちに小児科病棟にも慣れて就寝前のおしぼり配りの係や、寝る前の放送をしたり楽しい思い出の方が多かったんですよね。漫画の上手な中学校のお兄ちゃんや、同い年の子供たち。みんな何でもなくあそこにいて生活していたのですがそれぞれに何かの病気と闘っていたんでしょうね。

そんなお気楽な僕とは裏腹に、川崎病って心臓に問題が起こることが多くて時には突然に心筋梗塞で死亡することもあるのだそう。また治っても長いあいだ病院に通って定期的に心臓に異常がないのか脈はちゃんと均等化などを調べなきゃいけない大きな病気だったのです。そのときの治療でその頃は保険適応外の注射(1回数万円)を五回ほど打って心臓の後遺症が残らないようにと決断した両親の気持ちを考えると心が張り裂けそうです。親心子知らずってぴったりだなって。

その後の定期的な検診で何も心臓に異常も見つからず、最後の健診のときは”マラソン選手にもなれる心臓だよ。”とお墨付きをもらって、そのお大病もせずに今に至ります。

36歳になって初めて、誕生日って自分を祝うことよりも産んでもらったこと、育ててもらったことに感謝をする日なんだなんって遅いながらも気がつかされた1日となりました。

36歳の初めての日、いいスタートが切れたようです。