変わるもの、その中に生きるもの

あれ、雨の予報だったのに。なぜか、太陽が顔を出している。こんなことなら昨日、洗濯も、買い物にも行かなくてよかったじゃんって思うのですが。けど、昨日は本当に気持ちの良い冬の空で、あれはあれでよかったなって。

温度も低かったのですがダウンジャケットを着ていたので、帰り道は少し暑く感じるほど。冷たい空気は肺に気持ちいいし、キラキラ光る太陽の光は肌に気持ちいいしで、往復40分の道のりもあっという間でした。

そうそう、最近は学校もないし、寒いので出かけるのが億劫だったので見知らぬ人に挨拶されることが少なかったのですが、スーパーからの帰りが学校の帰り時間と重なって、ハローって挨拶されました。

良く挨拶をしてくれるのは小さな子供が多いのですが、今回はローティーンか12歳ぐらいかな?一人で自転車に乗っていて、結構体も大きい感じの子で。アラブ系なのかな?褐色の肌の子で、向かい側から来ていたんですよね。するとすれ違いざまに、にっこり笑って挨拶されました。反抗期の雰囲気も、恥ずかしがる雰囲気もなく、素直な笑顔とあいさつで、こんな純粋な子もいるんだなってかわいく思えました。

いいですね。こうやって見ず知らずの人から挨拶されるのも。

僕の子供のころはかなり挨拶魔だったなって思います。東京とか大阪などの大都市で子供時代を過ごすと、知らない人に挨拶したら気味悪がられるでしょうが人口1万人の町では挨拶はしないとダメだったんですよね。「挨拶運動」というものがあったりで、登校中に出会う人には元気に挨拶をしましょうというのが鉄則でした。それだから、今でも阿蘇に帰ると知らない人でも挨拶します。向こうはびっくりしているときがあったりしますが、おじいちゃんおばあちゃん世代はこの突然の挨拶にも受け答えが早い。「あら、車も使わずにえらいわね。」、「あなたはどこの家の子かい?」と様々な変化球の答えが返ってくるのは面白いなって。

けど、これって育ったところで変わってきますよ。これはもちろん時代を含めて。

何か最近思うことがあって、家族だからって見て着た景色は違うなっていう事。もちろん、一緒に時間を過ごしてきた時間は似たような経験をしているのでしょうが、それでも家族の中でも価値観は1人1人違うので同じ時間を過ごしてもちょっとは変わってくるわけで。

けど今回は、僕の祖父母と親が子供だった頃の時代について。もちろん、子供のころに聞かせられた話が合って、そこから想像はできるわけですよね。そっか、こんな感じだったんだろうなって。けど、そこにはどうしても自分の子供時代のイメージから湧いてきた想像でしかないので僕の価値観から生まれる想像図でしかなくて。

けど、本当はそこに時代背景とか、政治の状況、経済状況も加味されたり、その頃の子供への教育方針も違っているわけですよね。僕の祖父母は戦争中に学校に行っていて貧しさと辛抱の中で育って、僕の父母は経済高度成長期に教育を受けて、勢いがある日本で育ってきて。僕が小学校の時にバブルがはじけたので、僕はなんとなく暗い日本社会の中で育ったわけで。

そんなことを考えると、映画を見るのが面白いなって。特にジブリとかのアニメはいいですよね。僕の子供時代は「耳をすませば」が代弁してくれて、母や父の子供時代は「コクリコ坂から」がちょうどいいころ。祖父母のころは「火垂るの墓」。この時代に子供時代を僕の家族が過ごしたんだなって思うと少しだけ、今まで僕が持っていた家族の子供時代の想像図が変わってきて興味深いんですよね。

そんなこともあって、最近昔の日本の姿を見るのが好きなんです。例えば、100年前の日本。

たった、100年前ですよ。それなのにその町の姿は全くをもって別物。驚くくらいに。だって東京なのに高い建物なんてないんです。ほとんどの人が着物を普段着で着て、道に車はほとんど走っていなくて路面電車と徒歩の人が多数。荷車なんてのもよく映ってます。全く別世界の日本。こんなに風景は変わってしまうのだなって、映像をもって見ると感じます。

あと好きなのが、60年代の日本の典型的な家の1日を映した映像。これが、僕の両親が子供時代の風景なのかと思うと本当に興味深い。そしてこの中には、僕の子供時代も見たことがある物が出てくるのも楽しんですよね。

この二つどちらもユーチューブで見れるので探してみてくださいね。

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