ただいま、故郷 阿蘇

最近はドイツ語の勉強に毎日力を入れているんです。実は地域学校に申し込みをした時に、”では次回はクラス分けのテストをするから、そのときね。”と言われているからなんですね。クラスは6つのレベルに分かれていて、全くの初心者な僕は多分一番下かその一つ上。人によって授業料が無料か有料かがあって、僕は無料の対象には入らないので、ユリ君曰く少しはドイツ語理解できてるんだから少し上のクラスに入れるように頑張りなと言われて目下勉強中。言語を学ぶことは好きなので、苦ではないのいいことです。

ただ、言語って毎日、練習したり使ったりしていないといつの間にか消えてしまうものでもあるんですよね。ミニも昔は日本語を結構理解して、喋ってもいたんですが最近はどうも難しくなってきたみたい。大人になって覚えるほうが習得するのに時間はかかりますが、忘れていくのもゆっくりなのは得かなって。逆に子供は物凄い速さで言語を習得しますが、忘れるのもものすごく速いんですよね。

アメリカにいたときに普段は日本人の母親と喋る時以外は英語の4歳児の子供がいて、その子が家庭の理由で日本に三か月滞在することになったんですよね。日本滞在の間はもちろん、日本語だらけ。最初は戸惑ったようですが、底は適応能力の早い子供。すんなりと日本語をしゃべるようになったんだとか。そしてアメリカに帰って、アメリカ人の父親と再会。ただ、英語で話す父親の英語が最初は理解を出来なかったようなきょとん顔だったらしんです。もちろん、その後英語の環境に戻って喋れるようにはなったんですけど。

僕も日本に1ヶ月滞在していて、その間にドイツ語の勉強を怠ったのでまた最初から頑張ってやり直しています。基礎力が言語習得では大切ですからね。

そんな1ヶ月の滞在のほとんどは僕の故郷の阿蘇で過ごしました。阿蘇に帰ってくるのは2年半ぶり。その間に洪水があったり、阿蘇山が噴火したり、地震があったりと厄年のような阿蘇。いろいろなところに自然災害の爪痕がまだ残っていました。

それでも、自分の地元はいいものですよね。

僕は車の免許を持っていないので、阿蘇での移動手段は徒歩か、自転車。だけど、田舎の町で歩いている人なんて本当に少ないんですね。

阿蘇も色々な商業施設や、建物が建って僕が昔過ごした町の雰囲気は薄れてしまっていて何となく物悲しくなってしまいました。小学校に行ってみたら、もう使われていなくて雑草が山のように生えている中に廃墟のように建っていて。子供がいない学校と言うのはこんなにも悲しいものなのかと感じました。寄り道ぎみの通学路を歩くとすべてが小さくなっててびっくり。もちろん、道路が、家の塀が、ゲートボール場が小さくなったのではなくて、僕が大きく成長しすぎてしまっただけなんですけれどね。

自分の家の周辺を色々と歩いたのですが、何かが違う。僕の子供の頃の思い出の阿蘇とは違う所のように感じる、、、。人の心の中で思い出って美化されてしまいますしね。時代とともに人も物も、空気も変わってしまうのかなとおもって、自転車に乗って山のふもとへ。

そこで、突然に出会ってしまったんです。僕が子供のころを思い出させてくれる空気と、風景が。

昔ながらの横長の平屋の家、家の近くにある小さな畑。コンクリートではない石を積んだ川べり、農作業の人々がその日の取れた野菜を自宅用に泥つきのまま家に持って帰るその姿。どこかで燃えているであろう焚火の匂い。

しかも、道路で子供たちがサッカーをして遊んでいたんです。ゲームに夢中で外で遊ばなくなった21世紀の子供たちとは無縁のように、楽しそうにボールをけっていて。そのうちの一人の子が挨拶をしてきて、”ここだと車は来ないのかな?”と聞くと、”来るときもあるけど、その時は一時中断すればいいから。”との返答が。確かに、僕もそうやって遊んでいたなって。車どおりの少ない道が昔は遊び場だったなって。

景色が、そして空気が忘れ去った自分の思い出をこんなに喚起してくれるとは。あまりにもの懐かしさに目がしらが少しだけ熱くなったほど。

いつまでも、いつまでもこの景色が変わらずにいてくれたならと思わず願わずにはいられませんでした。

僕の知っている阿蘇がまだここにはあって、それにこうして出会えたことは本当に幸せな事でした。

 

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