日本を旅して、堺と言う町

ブログを書いた後にもう一つの学校へと足を延ばして、説明を聞いてきました。こちらもそのひとつ前の学校との関連施設で、ここ数年はシリアなどの中東からの難民が多いから、手続きにも時間がかかるし、ウェエイティングリストからの空きが出次第との事。近年、移民の受け入れに積極的なドイツの現状の様です。なので、僕の登録は昨日の朝に訪れた学校ですることに。今日の朝もオフィスが始まる8時を少し過ぎたところで訪れて手続きを終えてきました。昨日、対応してくれた人が丁寧に教えてくれて無事に完了。後は4週間以内に行政からの返事が来て、うまくいけばテストを受けて自分に合ったコースに入れる段取りに。なので、それまではドイツ語の自主勉強を頑張ろうと思っています。

さて、話を日本での帰国に戻しますね。お待たせしました。

今回の旅、アムステルダムから関西国際空港までは10時間ほどのフライト。一人でいると何をするにも荷物の心配もあるし、喋る相手もいないから余計に長く感じてしまうんですが、今回はユリ君が隣にいるのでその時間の長さを感じることなく大阪に着いたと言った感じ。これは、ありがたい。ルフトハンザ航空だったのですが、食べ物もワインもおいしくて、映画もかなりの本数があり、ひたすら映画鑑賞をしてました。

関西空港に着いたのが朝の8時ごろ。という事はヨーロッパはちょうど真夜中。ここで眠ってしまっては時差ボケにやられるし、ホテルは午後の3時まではチェックインもできないので、少し眠い頭を奮い立たせて外に出歩くことに。

都会と人込みを得意としないユリ君。けど、少しは大都会の雰囲気も見てもいいかもと旅を始める前に行っていたので一路、大阪へ予定した僕。難波の近くでお好み焼きや、たこ焼きを食べて道頓堀のネオンをみて、難波パークスと言う商業施設と公園が融合したような建物でも回ればいいかな、って思っていたのですが。ネオンがきれいなのは日没後か、、、。これじゃ時間的に余ってしまう、、、。ほかに行くところはと調べていると僕たちの泊まる泉佐野市と難波の間にある都市を発見。それが堺市。

なぜ堺市?って後で聞かれたんですが、一番の理由は大仙陵古墳。この名前でピンときましたか?社会の教科書で載っていた日本で一番大きな古墳ですね。実は大阪の繁華街で何をするかって考えたときにお好み焼きなどの食べ物は簡単に思いついたんですが、ユリ君がしたいことって買い物でもないので、あんまり難波では楽しめないかもと思い、それなら日本のピラミッドともいうべき古墳を見たほうが面白いかと思って堺にしたんです。

ネットで調べてみると堺市が古墳群を含めて最近観光に力を入れているようで、いろいろな情報が手にできました。”古墳は見ても大きすぎて全景が見えないよな、、、。”と思っていたら、堺市の市庁舎の21階の展望スペースが無料で一般開放されていることを知り、まずはそこに。360度の展望台からは古墳は見えるし、関西空港や遠くは神戸のあたりも見えそうなくらいのパノラマ。

ユリ君がトイレに行っている間に展示品を見ていると、”素敵なカメラですね。”と声をかける人が。どうやら、ここでボランティアガイドをしているおじさんの様。カメラの事から話が弾み、堺市の歴史と発展、また窓から見える景色からわかる堺市の規模の移り変わりを教えてもらいました。

特に興味深かったのは堺が商業都市として栄えた背景と、その堺商人のバイタリティーの強さ。

もともとは貿易港でもなかった堺。これが戦争によって日本が東西と別れてしまった時があり、その時に中国との玄関口にあたる神戸の港は西側に。では、東野人たちはどうすればいいのかとなり、開かれたのが堺。ここから中国、そして奄美大島や種子島のほうへも自ら進んでいく堺の商人。堺を特に活気づけたのが、銃。みなさんも社会の授業で習いましたよね?ポルトガル人によって種子島にもたらされた火縄銃。さてこの銃、その形などをまねして日本の各地で作ることはできたんです、ただ問題は硝煙。これがない事には弾がうてない。残念ながら最初の時期は日本でそれを生産することができなかった。堺の商人はそこに目を付けて、海外で硝煙を買い付けては火縄銃とセットで販売をした。これなら頼んですぐに武器として使えますからね。なのでこんなこともあり堺は商業都市として栄えることになったのだとか。

このように、この市庁舎をはじめ仁徳陵古墳の前や、博物館にボンティアの観光ガイドの人が数名いるんです。この人たちが気さくに、”ガイドしましょうか?”って声をかけてくれるんです。しかも無料。中には資料のファイルも持っている人がいるので、古墳がどのようにできたのか、この古墳の歴史や秘密も教えてもらえますよ。後面白いのが、ボランティアの人の中には自論の考察を述べてくれる人もいるので面白いです。”一般的にはこういわれているんだけどね、僕はねそれは違うと思うんだよね。だって、この時代は、、、、、。”ま、あくまでも僕の考えなんだけどね。”と熱心に教えてくれてもう、たのしい。

最終的には、市庁舎でひとり、古墳の前でひとり、博物館でひとりの計3人のガイドさんのお世話になりました。このガイドさんたちのおかげで堺と言う街の面白さも知れたし、その歴史も感じられました。もし機会があったら、ぜひガイドを頼んでみるといいですよ。

あとね、堺市が素敵だなって思うのが入場料の安さ。

市庁舎や古墳は無料だし、古墳の出土品も模型や、火縄銃を展示している堺市博物館は常時展示物だけなら100円。ね、100円でガイドさんが詳しく30分ぐらいは説明してくれるんですよ。そしてその近くにある日本庭園。ここが素晴らしかったこと。

ユリ君に日本庭園を見せたいなと思っていたんです。

日本の中でどこが綺麗かなと調べてみると、島根県にある足立美術館の日本庭園が綺麗だという事を発見。確かに写真を見るとものすごく広くて、きれい。旅の後半は出雲神社に行くし、その道中で立ち寄れるかなと思っていたのですが、あとでスケジュールを組んだ時にどうしてもここに立ち寄るのが難しく断念。なので、その代わりとなる日本庭園は何かと考えていたんです。

足立美術館は入館料も2300円と結構な値段。けど、この堺市の大仙公園日本庭園は入園料は200円。

だけど、ちゃんと考えられて作られているのがわかる素敵な作りだったんです。

正面には大きな池とそこには橋が架けられ、気分は平安貴族。右手を見れば、池に流れ込む小川。その小川の流れは時に遅く、時に早く、まるで自然界にある川を凝縮したかの様。その周りには沢山の木々があり、ここが都会であるという事忘れさせてくれる穏やかさが。

10月の半ばとも会ってまだ、夏の花々は終わり菊の展覧会には早い季節だったので人影もまばらで、まるで自分たち2人だけの貸し切りの日本庭園。いったん水の流れの上流まで行き、今度は大きな池の反対側へ。ここには池に流れる滝や、堺市と昔は密接なかかわりがあったであろう中国的な建物があり、ここからの景色がまた、素敵な事。いつもは写真を撮らないユリ君もここでは数枚とっていました。

日本庭園って本当に美しいですよね。四季ぞれぞれに楽しめて、その時間の移ろいを楽しむ面白さがそこにはあるように思います。

あまりにも堺市の魅力に取りつかれて気が付くとホテルのチェックインの午後3時はとうに過ぎており、難波に行くこともなく堺の素敵な思い出だけを胸に、ホテルへと。

”なんて素敵な旅の始まりだろうね。”と二人で話しながら、いつの間にかに眠りについた僕達2人なのでした。

 

 

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