入院とその記憶

ドイツ北西部は先週末から本来のドイツの夏の温度に戻りました。今日も最高気温は20度。ね、寒いでしょ。日本に住む母から今日、手中お見舞いが届きまして、日本は暑いようですね。しかもまだ8月半ば。残暑があまり厳しくないことを祈ります。

昨日は週末に作れなかった手巻きずしを夕飯に。祖母がお盆でケアホームから帰ってきているということもありテレビ電話をしてたのですが、ついついご飯を炊いていることを忘れてちょっと長めに、、、。ちょっとというか10分ほどオーバーしました、調理時間。そうなんです。僕、炊飯器持っていないのでコンロで鍋に入れてお米を炊いているんです。最初は難しいかなと思っていたのですが、このやり方でも美味しくできますよ。

沸騰したら弱火にして20分。その後、10分蒸らせば出来上がり。寿司酢を作って巻きすで巻いて、お皿いっぱいの手巻きずしが完成。それを遠目から見るユリ君。ひとつ前のブログに書いたようにユリ君はそんなにお寿司が好きでないので、、、。ただ、週末様に買った具材があるので使わないわけにはいかないのです。

サイドでサラダを作って、”スープもいる?もしかしたらお寿司食べれないかもしれないから。”と聞くと、”もしお寿司が食べれないなら、僕はパンを食べるから大丈夫。”とのなんともヨーロッパ人な回答をくれたユリ君。

カリフォルニアロールを恐々と口に入れて、なかなか噛もうとしない。もしかしたら海苔の感触かな?なんて見てたのですが、心配しなくてもその後は全部完食。多分自ら寿司を食べたいと発言はないにしろ、これからの夕飯のメニューで出しても文句は言われなさそうです。

さてさて、日本の家族が今、少しだけ、大変。

というのも妹の娘、僕の姪が入院をしているからなんです。何日か高熱が出て、首の耳の裏の辺りに膨らみができたらしくて、病院に行って診察を受けたら川崎病だったんだそうです。

川崎病、赤ちゃんがなることが多いのですが、時に小学生の低学年でもなるんだそうで、姪は8歳という遅い感染。実はこの病気、僕も幼稚園の年長さんの時になって入院したことがあるんですよね。なんでもいまだに原因不明で、もしかしたら遺伝もあるのかななんて今回の姪を見て思ったりもしました。

僕の時よりも少し症状が重いようで、大変そうなのですが今は薬品が聞いていて落ち着いているよう。ただ、不整脈や動脈瘤が気がかりなところ、これからもう少しの間は気が抜けないところです。

僕は5歳ぐらいだったのかな。最初の覚えているのはお母さんに緊急外来で日赤病院に行き、そこですぐに入院をしなくてはいけないことを言われたこと。一人で病院にいるのは嫌だなって思って泣いたこと、日赤の毛布が柔らかかったこと。

子供ってなれるもので、その後は川崎病の症状で唇が乾燥してひび割れて痛かったのと、夜中に点滴の針がずれて痛かったのが辛い思い出で、あとは楽しいことばっかだった記憶しかないんですよね。

優しい看護婦さんが聴診器を貸してくれた事。多分もう使わなくなったもので、それをぶら下げて病院を歩いていたら他の科の先生に呼び止められて、どうして聴診器を子供が持っているのか問いただされた時はびっくりしましたが後で看護婦さんが、’あの先生は意地悪だから気にしないでね。”と言って優しかったり、小児科病棟の就寝時間のアナウンスと、温かなおしぼり配り担当になったこと。お風呂にいつも入れないので子供たちはこれで顔や腕などを拭くんですね。結構な子供たちが、しかも赤ちゃんからティーンの子までいて面白かったし、その中に中学生か高校生のお兄ちゃんがいて物凄く絵が上手で、その一枚をくれたこと。その絵は今も僕の家のアルバムの中に貼ってあるんですよ。

あの時は何も考えていなかったけれど、みんなが何かしらの病であそこにいなくてはいけなかったわけで。どうなのだろう。今もあの子供たちはみんな元気になって僕のように大きな大人になったのかな?

僕の姪にとってもこの川崎病を乗り切って、’あの時はこんな楽しい思い出があったな。’って過去振り返ると思えるような入院生活になってほしいなと思うばかりです。

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