サヨナラをあと、何回

冬から春の変化は風の中に一番に感じられる。そう思うんです。今日の風には春の暖かさが含まれていて、心躍るようでけどその中にある哀愁が感じられる愛おしさを含んだ風でした。忙しい日々の中で、時間に追われてしまう日々。そんな時にも少しの変化に、季節の移ろうにだけは敏感でいたいなって思います。

さて、ここからは僕の祖父の話。

前のブログで書いたように僕の祖父が2月8日この世から去って行きました。今頃はちょうどあの世とこの世の境目のところでウロウロとしているのか、それとも一直線に天国へとめがけて進んでいるのか。ただ、このように肉体として存在していないのは確かなこと。

僕と祖父はそこまで、お互いのことを知りません。僕の人生の中で会ったのは3回。時間にしてみれば24時間もなかったのかもしれません。

この祖父は僕の父の父親で、僕の祖母とは20代の始めの時、僕の父が4歳ぐらいの時に離婚しました。その後は何度か祖父が父を訪ねてきたこともあったようですが、ほとんど音信不通の状態に。

父が中学生の時に祖母は再婚。祖父も2番目の奥さんをもらってお互いがそれぞれの幸せな日々を送っていました。そんな幸せな生活に影をさしたのは祖父の方。2番目の奥さんが自分よりも年が若いにもかかわらず病気に。しかも余命も少ないような状態。

この奥さんがものすごくできた人で、”自分がいなくなった後の祖父が心配。どうにかして実の息子と仲良くなってはくれないだろうか。”と自分の病気があるにもかかわらず内緒で僕の母親に連絡を取ります。そこから血の繋がっていないこの女性二人がお互いに愛する血の繋がった、だけど疎遠になってしまった父子を繋げようと画策します。

寄せては返す波のように、近づいたと思えば離れ、離れすぎたと思えば近づく微妙な関係の父子。50年と離れた時間の長さは互いにその苦労や悲しみ、言い表せない思いや感情が絡みに絡まって解くのが難しかったのかもしれません。

そんな中、2番目の奥さんはこの世を旅立ちます。

この奥さんのおかげで出来た、父と祖父のパイプ。時に電話をかけてくるようになり、お互いの現状を知り、これからの未来を模索する二人。

2年前には元奥さんである僕の祖母も交えて僕たち家族が広島へ。その時に祖父が僕にくれたのが今使っているニコンのカメラなんです。

僕が写真を始めるきっかけになったのは僕の父の影響なんです。フィルムの一眼カメラが好きで家族で出かけるたびに沢山の写真を撮ってもらいました。その中で、自分も何かを撮りたいという思いが増して、父からフィルムカメラを譲り受けます。この時のカメラも実は祖父からだったんですよね。この時はミノルタでした。

実は祖父がカメラがものすごく大好きで、その血を受け継いだのか父も僕も同じようにその道をたどっていたんです。”祖母が言うには仕事よりもカメラだった。”というほどの熱狂ぶり。話によれば写真家になりたかったようで。けどその当時は写真で生きてける時代でもなく、趣味として我慢していたようです。

そんな夢を孫である僕が叶えたということは、祖父の中では嬉しかったのだと思います。ニコンの一番良いカメラを僕にくれたのですから。”これならばプロとしても、恥ずかしくないから。”と言葉を添えてくれました。

それからイギリスに帰った僕は時には写真を両親に送ってはそれを祖父が見て楽しむという関係はありましたが、その時が僕にとっての祖父との最後となったのです。

この続きは、また次回に。(整理立てて言葉にすることって、自分の感情と向き合ったり、相手や周りの人の思いが鮮明になりすぎて、時にものすごい感情の波に飲まれてしまって、一度では書けそうもないので、ちょっと休憩させてくださいね。)

 

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