たまには自分のために

実は昨日の夕方からユリ君がいなくて、ひとりの夜だったんですね。なんでも金曜日にトレーニングがあるらしく、その場所が朝から言っているのでは間に合わないからというので、前日からの泊りがけ。一人の僕はこれぞとばかりにジブリナイトを決行。ユリ君、シュレックとかアイスエイジとか好きなのでジブリを進めて見せてるのですが、食いつきが悪いので、、、。

こんな時に思う存分見ようと、多分ユリ君はあまり興味がないであろう「耳をすませば」をみて、自分の子供時代の風景がまさにそこにあるので懐かしくなりました。多分今の子供たちは目にしない、あの生活感。主人公の雫が本が好きなところも共感できるんですよね。図書カード、ケータイのない日常、集合団地のドアの閉まり方、コンクリートのブロック塀、外で飼われている犬。この映画が好きなのは、多分僕がじぶんの学生時代に一瞬にして戻れるところと、夢を追っているその姿が純真に素敵だなって思えるところかな。そういえば、僕世代の人たちがこの映画がテレビで再放送されるたびに映画を見るとかなり失望をするってニュース記事をどこかで読んだな。これはこの作品に失望するんじゃなくて、自分自身に失望をしてしまうらしいんです。この映画が公開された当時に中高生だった人たち、公開が95年で僕は雫より一つ下の中2、だから今の30代後半位の人かな。なんでも、学生時代の自分を思い出して、あの頃持っていた夢とか、淡い恋の気持ちを思い出し、いま丸現実とのギャップに失望するというもの。

僕は幸か不幸か自分の好きなように生きてきたので、自分の今まで歩んできた人生をこの映画を見ても失望することはないのですが。ただ、まだこの時と同じ気持ちが僕の中にあるんだなっていうのは感じます。それは歩く言えば成長できてなくて、夢見がちということなんですけどね。こればっかりはしょうがない。雫の頭の中のように、僕の中でも物語が湧いては消えて、湧いては消える。毎日の生活の中に、おとぎ話が各得ているんじゃないかと心をウキウキさせるところとか。もうね、この年になっても成長できない僕。これも世間でいう中2病なのかな。

その後、何を見ようと考えて、いったん「おもひでぽろぽろ」を見ようと思ったのですが、この映画も「耳をすませば」も現実的な世界がベースでしょ、そうするとなんとなくお互いの印象が薄くなっちゃうなって。三色すみれ風呂も、プーマの運動靴も、ひょっこりひょうたん島の歌も混ぜ混ぜになっちゃうのは屋だなって。

なので、「ゲド戦記」をチョイス。ファンタジーの世界だし、ジブリにあってこの映画はちょっと不気味感が強いので。最初見た時はあんまり好きになれなかったんですよね。話がぶつぶつ途切れる感じがあるし、他のジブリ作品が物語の中から何かを感じ取ってほしいみたいなものがあるのに、この映画は結構それを言葉で伝えてくれるストレートさに苦手意識が働いたのかなって。また、箸休めみたいなつい笑ってしまう場面がないのも他のジブリ作品とは違うかなって。みんなが真面目過ぎるっていうのかな。

けど、今回はその伝えてくる言葉を真摯に受け止めてこの映画を見ようと思ったんですね。この作品が伝えたい言葉。多分この作品って、生きていく上では辛いけれど、じゃその世界で生きるならどうすれば生き抜くとはを言いたい気がします。そうするとこの登場人物はみんな現代に生きる人々と同じなんだなって。現実逃避で薬物に逃げ込む人、自分の中にある影の部分を認めれずに怯える人、迎え来る終わりの存在を受け入れられずに抗う人、バランスの崩れた中でその均等を保つ方法を探す人、労働力としてしかその存在意義を認められない人。この世界の縮図があの映画にあるのだと思うと、見ていて面白いなって。

ただ怖いですよね。黒い眼の穴になってしまったアレンとか、クモの姿がね。心をえぐられる気持ちになってしまうのは、もしかしたらそんな暗闇が僕の中に潜んでいるからかもしれませんね。

大人になってみるジブリって、子供のころとは違った思いで見られてお勧めですよ。

 

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