何も手につかなくなる

ドイツ北西部が灰色の雲で覆われていて秋に気配。だからか、少し心も穏やかな気分。朝6時前の空は暗め。ちょっと数週間前にはあった太陽の光というか、そのぞんざいを感じられたのに今は全く。一日一日気が付かないうちに時は進んでいるんですね。朝早く起きるとこのことに気が付けるから好き。

昨日読み終えた小説があまりにも衝撃的で、なんとなく今も地上5cm上を漂っている感じ。最近力強い小説に出合いすぎていて、その後は見事に脱力感。どうしよう。ってほどに。前のブログでも書いたと思うのですが、柳広司さんの新世界で、原爆投下直後のたたみかけるような状況描写にかなりノックアウトされたんですよね。今回はねその時のノックアウトとはまた違った衝撃。

僕の好きな作家のひとりでもある、江国香織さんの作品。

江国さんとの出会いは本当に長い。僕が高校生のころ、修学旅行の宿を無断で抜け出して立ち寄った本屋さんで買ったのが、きらきらひかる。それ以来、そのほとんどの本を読んでいます。彼女の本の好きなところはどの主人公も少し浮世離れしているのに、本の中ではまるでそれが当たり前のように突拍子もないことも江国さんの文章だとすんなり飲み込めるところ。

昨日読み終わったのは左岸という2008年にだされたもの。ということは10年前か。

実は一回図書館で借りて読んだことがあったんですよね。日本に一時帰国をしたときに。この小説結構な長さ。長編によくある1ページが2段になっている本があるでしょ?これもそれ。それで565ページもあるんです。だから前回借りた時は途中で日本に帰らなきゃいけなくなって全部読めなかったし、あまり入り込めなかった。多分それは僕がまだミニちゃんと別れる前だったし、人生とはすべてがキラキラと輝く真夏の海のようなものだと思っていたからなのかも。

人生というものはそんなにも楽しい時間が多いわけではないし、幸せを感じていても同じ日々が続くと何も変わってはいないのに不幸に感じたりするそんな厄介なものだなって、いろいろな経験をして理解して。それがあって、この小説を読んだら、恐ろしいほどに主人公の茉莉の感情がページをめくるごとに、物語を読み進めていくごとに自分の心に入り込んできてどうしようもない、そんな感情のもてあそび。

茉莉という一人の女性が子供のころから50代までにわたる半生が書かれているんだけど、なんだろう。幸せと不幸せのウェハースを食べているような感覚。だからどんな感情を自分が味わっているのだか想像がつかない感じかな。

秋の晴れた日の午後に、突然に感じる冬の気配。肺の中まで息を吸い込むと途端に涙が出てくるあと感情に、この小説は似ています。あの時っていったい自分が何を感じて泣いているのだかわからないでしょ?涙ぐんでる自分がおかしくて笑ってるんだけど感傷的な気持ちもあって上手に笑うこともできない。そんな気分にさせてくれる素敵な小説でした。

あと数日は僕はこの気分の中で生きていきそうです。

 

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