今あるもの、今ないもの。

皆さんは素敵な週末を送っていらっしゃいますか? ドイツ北西部は昨日は朝、起きたときから晴天に恵まれユリ君と、”これは走りに行かなきゃね。”と即決。空気は少し寒いのですが、走り始めると体もあったまってくるので問題なし。ただ、途中でユリ君は調子が悪かったので歩きに変え、僕は1人で長いコースを行くことに。冷たい空気が温まった体を通り抜ける感じとか、太陽が肌にあたる感じの良さが冬場のランニングの楽しみかと。雨の多いこの時期は地面が乾いていることが少ないので、途中泥だらけの道もありタイムを短縮するというよりは走ることを楽しむという事にフォーカスをもっていった方が面白いかと考えているところです。

さて、アメリカは今週は感謝祭の週末ですね。僕もアメリカにいたときは友達の家や、友達の両親の家に呼ばれてこのホリデーを楽しみました。ハロウィンよりも、クリスマスよりもアメリカで好きなホリデーは感謝祭でしたね。パンプキンやピカンのパイ。大きな七面鳥。11月の終わりという晩秋にあるのもいいですよね。冬が本格化する最後の秋の色どりがある季節にあるこの感謝祭は僕の中で特別な意味を持ちます。

そんな感謝祭の前後に賑わうのがブラックフライデー。もともとアメリカだけだったように思いますが、最近は感謝祭に関係のないヨーロッパでもこのセールは定着しています。それどころか、ブラックフライデーの後の月曜日はサイバーマンデーというセールもあるほど。

ネットでお買い物が好きなユリ君も今週の初めごろから良いものが、欲しいものが安くならないかチェックし続けていて、今の時点でかなりの買い物をしてしまったようです。コンピューターのソフトウェアや、携帯とか、洗濯機、ミニピザがテーブルの上で作れるオーブンセットだとか。(ピザセット以外は生活に必要なものだから、いいとは思うんですけどね。)

僕は家に飾る用の素敵なアートポスターを数枚30%オフで購入したのと、ユリ君のコンピュータの椅子の半分の金額を早めの誕生日のプレゼントして献上。それだけです。

けど、ネットが普及して本当に便利な時代になりましたよね。お店に行かなくても商品を頼めるし、世界中の人と繋がることも簡単になったし。

けど、その便利性の中で僕たちは何かを失ってしまったのでしょうか?どうなんでしょうね。なくしたものの中に、”あー。何て素晴らしいものをなくしてしまったんだ。”って時間がかなり経って気づくものもありますよね。僕たちが得た利便性の裏で、何が今消えていこうとしていくのかを考えてみると面白いかもしれませんね。

前に書いたブログで最近読んでいる本のことについて少しだけ触れた事、覚えていますか?日本では小泉八雲の名前で知られるラフかディオ・ハーンが1890年代に日本に初めて訪れた時のことを綴った”新編 日本の面影”です。この本を毎日少しづつ朗読してるんですね。

映画や音楽を観たり、聞いたりして涙が出てくることってあるでしょ?何かが自分の琴線に触れて、なぜだかわからないけど涙を流してしまうことが。今までもこの本の文章は綺麗だなって思っていてだからこそ、音読をしていたのですが。昨日読んだところは、いつの間にか目に涙が溜まってしまって、読んでいる自分がびっくりしたほど。そんな感動を少しだけ皆さんにおすそ分けしようかと思います。

これは2章目の”盆踊り”というタイトルのもので出雲を目指して太平洋側から日本海側に4日間かけて人力車で中国山地を越えるときに立ち寄った村でのお話。訳をなさっている池田雅之さんの美しい訳も素直に頭の中に情景が浮かんでくる素晴らしさ。ちょっとだけ、その美しさをここに書かせてもらいます。

これはハーン氏が伯耆の国、上市のある宿に泊まった時の下りです。

”そのこぢんまりした宿は、外から見ると、風雨にさらされて古びたような感があったが、中は快適であった。(中略)この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造形に対するすぐれた美的感覚を表していないものは、何ひとつとしてない。花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。(中略)これまで立ち寄った小さな田舎の村々と変わらず、この村の人たちも、私にじつに親切にしてくれた。これほどの親切や好意は想像もできないし、言葉にもできないほどである。それは、ほかの国ではまず味わえないだろうし、日本国内でも、奥地でしか味わえないものである。彼らの素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらしいものではない。彼らの善意は、まったく意識したものではない。そのどちらも、心から素直にあふれ出てきたものなのである。(中略)宿の老主人は、私を風呂場に案内すると、まるで私が子供だといわんばかりに、私の背中を流しましょうと言ってきかない。女将さんの方は、ご飯に卵、野菜にデザートといったご馳走を用意してくれた。そして、私が満足できたかどうかを気の毒なほどに気遣うのである。私は夕飯を二人前はゆうに平らげたというのに、女将さんは、たいしたおもてなしができなくて申し訳ありません、と何度も何度も詫びるのであった。”

日本人の昔からのおもてなしの心や、美意識がよく伝わってきますよね。また、彼が日本人ではないからこそ気が付くことも多い。そんな古き良き日本がこの本にはぎゅっと詰まっています。もしかしたら100年前も昔に僕たちがなくしてしまった何かが、文字として残っているかもしれませんね。

 

 

 

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