心が溶けそう、プンピパー君

インスタグラムを始めてから携帯のカメラで写真を撮るという行為が最近増えたんですよね。僕が最近まで使っていた携帯は写真のクオリティーも悪いので殆ど使ったことがなかったので鵜sが、ユリ君からおさがりでもらったこのケータイは、写真家泣かせのハイクオリティーで、ビックリ。いろいろな機能もあるなって使いながら感じていたのですが、昨日ついに発見してしまったんです。シャッタースピードとか、ISOとかマニュアルで変えて好きなように撮れるという事を!!写真について詳しくない方は、この単語を聞いても???って感じでしょうが、”マニュアルでも撮影できるんだ。カメラと本と一緒だなー。”って感心してしまいました。こうなるとね、写真をプロに頼もうって時代でもなくなりますよね。

インスタグラムの写真はすべてケータイで撮った写真しか上げないのですが、このブログであげる写真はすべてカメラで撮ったものです。そこは少しだけ差別化を。携帯のカメラも色々な機能があって面白いのですが、やっぱり持ち運びは重いけどカメラで撮って自分の好きはソフトウェアーで編集した写真が一番好きだなって思います。

好きなものって人それぞれ違いますしね。もう30数年間生きてきて自分の好きなものはこんなものだなって朧げな輪郭があるんですが。皆さんもそうじゃないですか?

けどそれが時に、”あー。こんなものも好きなんだな。”って思える時があって。それがね、一昨日もらったバレンタインのプレゼントの中にあったんです。

この手のひらサイズの熊の置物。これが本当にかわいくて仕方がないんですよね。なんなんだろうこの感情はって位にこの置物に愛情を感じています。けどね、これがお店に売ってあっても僕は買っていないと思うんですよね。”かわいね。”だけど、終わっていそう。

と言う事はこれが好きな人から送られたことにこの感情を帰依するのかと、考えてもいたわけです。けど、ユリ君からもらった初めてのプレゼントではないし、自分がずっと欲しがっていたものでもない。けど愛おしく感じるんですよね。”そうそう。これが僕の生活に必要だったんだよね。”みたいな。けどその必要性は、パソコンとか携帯とかの必要性ではなくて、つい見ていると微笑んでしまいたくなるような必要性。

それで考えてみたんですけど、もう一つそなものがあったなって。これはミニがくれたものなのですが、本のしおり。確か何年も前にミニが誕生日のプレゼントとしてくれたんです。黄緑の小さなカエルの頭には金色の小さな王冠が乗っていて、カエルの下腹部のところからシルバーの平らな棒が伸びていてこれを本に挟むんですね、するとカエルが本の上にちょこんと乗っている状態になるんですね。想像できます?この王冠があまりにも使って取れてしまってそのたびに瞬間接着剤でつけてるんですが。これも見るたびに笑顔になるんですよね。だけどこのカエルのしおりも絶対に自分では買わない。

底がポイントなのかな?自分では買うことは絶対ないけれど、好きな人や自分のお気に入りの人が贈ってくれて、”あ。こんな感じのものが実は僕好きなんだ。”ってそこで気が付けることが。それまではこの熊にしろ、カエルにしろ欲しいものとして心の中にもないので貰って、この存在が意外と自分に必要だなって気が付いてその存在が想像を超えた喜びをもたらすことになるんだろうかと。

何はともあれ、この熊がかわいくて仕方ないこの数日間です。名前は何にしようかなって思ったりしてるんですが、”プンピパー”にしようかなって。これね、僕がよく言葉にならないときに発する音なんですが、最近はよくユリ君も使うんですよね。

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