帰ってもいいよと背中を押されているようで

金曜日はドイツ語の授業がないので、穏やかな午後の時間を過ごしています。ユリ君もいないので早く起きる必要はなかったのですが、7時には起きて軽く朝ごはん。その後、晴れ間が見えてきたので走りにいくことの。前回は北海まで走りに行って戻ってきたのですが、ちょっと計算をミスしたのか目標の10kmに届かなかったのです。あと1.2km増やすにはどうしたらいいのかな?と考えて地図を見ながら、緑の芝生の堤防の上で走る距離を延ばすことに。

今日は雲と空がよいバランスで暑くなく、しかも北海からの潮の香りがフワっと広がって、黄色に変わってきた小麦畑の中を吹き抜けていっていました。本当に幸せを感じられるランニングコース。気持ちがいいですよー。僕は山育ちなので、潮風に吹かれて走るのは何となく心浮き立ってしまうんですよね。なぜかな?

シャワーを浴びて、ドイツ語の勉強をしているとニュージーランドで新しい生活を始めている友達から電話が。もともとロンドンで出会って、今は僕はドイツ、そして彼女は一時日本に住んだ後に、ニュージーランドへ。お互いに新天地の国で四苦八苦ありながらも、生活の新鮮味、文化の違いの面白さ、自分の成長の確認をして楽しく生きているよねとお互いに褒めあう会話となりました。新しい国に住むと今までに”当たり前”と思っていたことが当たり前ではなくなったり、簡単にできていたことが困難になったりすることが多いんですよね。そこで心折れることも多いので、できた時にはちゃんと自分を褒めるということが大事なんですよね。

僕の海外生活もあとすこしで15年。いろいろとありましたが、今いる自分の立ち位置、ライフスタイルは本当にいいものだと自負しています。

けどね、時に帰りたくなる時もあるんですよね。それは、常に帰りたいと思うのでなく、全く予期せぬ時に突然に望郷の念に駆られるんです。本当に一瞬で、だから身構えることもできなくて、一気に目に涙が溜まってしまうそんな感じ。どうでしょう、海外に住んだことがある人はこんな経験ありませんか?

例えば、夕暮れの空が僕の子供時代の記憶の空の色と同じだった時とか、雨が降る前に薫るコンクリートの匂いだとか。時をさかのぼって一気に自分が日本で過ごした子供時代へとタイムスリップしてしまうんですよね。

さて、今回はあるものが、この望郷の念をかきたててくれたんですね。いそれはある曲で、今まで聞いたこともなかったんだけど、、、、。もうね、歌詞ですぐにノックアウト。あとから、あとから涙が出てくるんですよね。

その歌というのが、中島みゆきさんの「ホームにて」という曲なんです。

ここに歌詞の載せるというわけにはいかないので、ぜひ探してみてください。もう。奥深い。

アメリカ生活のはじめ、イギリス生活のはじめのころに感じた心の痛みというのか、心の叫びが蘇ってきて、”そうだよね。あの時つらかったよね。帰ろうと思えば帰れたけど、一生懸命に歯をくいしばって、感情の渦に流されないように踏ん張って今のここまで耐えてきたんだもんね。”と自分を褒めてあげたくなりました。

これを読んでいる人には新しい環境で、辛く苦しんでいる人もいることでしょう。けどね、自分が壊れそうになりそう、崩れてしまいそう、そんな時はそこから逃げればいいのです。逃げることは恥ずかしいことではなく、それは自己防衛なのですから。そして、自分を待っている故郷がいつでもあります。

自分を支えてくれる一曲にまた出会えました。

 

夢から得る経験値

水曜日の静かな夜を迎えているドイツ北西部。夏至も終わって毎日の日照時間が当時迄短くなるわけですが、今午後10時15分。空はまだ青く、西の空はもう少しで日の入りのようで青を混ぜたオレンジ色をしています。そう、ヨーロッパの夏は夜遅くまで明るいんです。言葉で書くと何ともないっかもしれないけれど、日本の人はこの明るさには正直びっくりすると思います、寝れないくらいに明るいので。

ユリ君の出張も中場。今日はセミナーが主催する夜のショーに出かけるのだとか。このセミナー、昼間はもちろん勉強会なのですが夕方から観光船で川下りとか、今日のようにショーの観劇だとか催し物も多いんですね。仕事だけじゃないので、それも楽しそう。

僕は学校から帰ってドイツ語の勉強をして、筋トレ、庭の植物に水やりをして夕食に。今日はひとりでチーズフォンデュ。え!!夏に!!って思われそうですが。実は今日の学校帰りに食料品を買いにスーパーに行ったら、チーズフォンデュのパックが10円で売られていたんです。そう、10円。もともと在庫が多いか何かで安売りになっていたんですよね、それの中の数個が明日賞味期限が切れるので10円ほどの値段で売られていたというわけ。これで夕飯は決まり。

ただ家に帰ってもチーズフォンデュセットが見つからない。仕方がないのでコンロを弱火にしてコンロ脇で一人でチーズフォンデュを楽しみました。

その後、グレーズアナトミーを見て今このブログを書いていて、買い上げたらベットへと行く予定です。

寝ることで思い出したのが、昨日の夢。朝4時ごろの夢。僕は夢を毎日のように見るのですが、なんとなく現実味を帯びた悪夢っていうのが多いんですよね。けど、悪いことでもなくて人生を疑似体験できるから悪くないかもなって最近は思えます。

昨日の夢も興味深かったんですよね。上手く説明できるかわからないのですが。

僕は夢の中である建物の中にいます。天井が高くて、全体的には暗いんですよね。黒いのの壁で証明もあまりなくて、スポットライトのような明かりが何個かあり、かなり近代的な仕様の建物。その部屋というか、ホールには10-15人の人がいて中には子供も。その子供は男の子で、ここは空気の循環が地下の装置で入れ替えになっているので汚染された空気は入ってこないんだよ、よというのです。そう、どうやら僕たちは空気が汚染させた、または空気を介して感染する病気が存在する世界にいるようでその空気に触れると杉生に死ぬわけではないのですが、いずれは死んでしまうというもの。そして僕たちはうまく生き延びて、この部屋へとたどり着いたとうわけ。

ホールは数か所の扉がありますが完全に扉が閉じられ、光も入ってこないほどの密閉具合。

すると、とんとんとドアをたたく音。そこでよみがえる記憶。そうだ、僕たちは自分たちの仲間をおいて、先にここへと向かってきたんだ。あれは仲間たちでここへと入りたがっているんだ。そして彼らはどうやらそのウィルスに感染したようで、体に赤いぶつぶつができているという叫び声がするんです。このまま彼らが中に入ってくれば僕たちは確実に観戦して死を迎える。

皆が自分の近くの扉へと近寄ってドアノブをしっかりと引き開けれないようにします。もちろん僕も。

ドアのノブをしっかりと持ちながらある考えが。このホールには食べ物も何もない、だとすると僕たちはいずれ飢えで死んでしまう、または地下の空気清浄機が何らかの異変を起こしたらここの空気もウィルスが入り込んで死んでしまう。つまりは僕たちは死ぬ運命であり、それが遅いか早いかの問題でしかないのだ。そう思うと、ふっと気持ちが軽くなって、今まで自分の仲間だった人が外にいてそれを妨害している自分が小さく思えて。そしてドアを開けることにするんです。

そこには体のあちこちに小さな赤い斑点をつけた自分の仲間が。そこからは死の恐怖はなくて、バーカウンターに座って今まで思っていたことや、誤解していたことを話してお互いを分かり合う、そこで僕の夢は覚めました。

面白いでしょ。確かに自分を主観的でしか見れないと、自分に害を加えるものは見方でも悪と決めつけてしまいそうですが、少し客観的に自分を見て、またその周りの状況を見るとそこには違った答えがあるということ。

夢は本当に僕に色々な経験をさせてくれるし、いろいろなことを気づかせてくれて重宝してます。

さて、今夜はいったいどんな夢を見るのかな?

 

どうしても泣かせる気なのか

イギリスは熱波が来るので気を付けてください!ってニュースが流れているらしいのに、飛行機で1時間もないドイツ北西部は寒い。けど今週の週間予報を見てみると週末にかけて晴れの天気で、しかも気温も20度に届く模様で、夏の再来を心待ちにしている僕としては嬉しい限り。

昨日はユリ君が出張で家を空けた初日で、ひとりで眠るのが何となく奇妙で、なかなかぬ無理につけませんでした。行ってしまえば、ただの怖がりなんですけどね。誰かの隣で寝るのが当たり前になると、急にベッドの面積がサハラ砂漠のように感じて困ってしまうのですが。

けどユリ君がいない分できることも多いのも事実。最近とれていなかった自分だけの時間を存分に楽しんでいます。帰って、ストレッチ運動や筋トレをしたり、寝る時間も9時半でなくて1時間遅い10時半にして、寝る前には本を20分ほど読んでその世界観の中で眠りについたり。一人もいいなって思えることもありますね。

ただ、食生活はよくないなって思うんですよね。食べて、「おいしいね。」って言ってくれる人がいるからこそ作り甲斐もあるし、栄養面でも考えるわけですが。これがひとり身になると余りものでいいやってなってしまう。今日の昼食も食パン2枚に、オレンジと紅茶。それではいけないなと思って夕飯はたっぷりと野菜をとりました。パクチョイ、マッシュルーム、ズッキーニの炒め物と、茹でたジャガイモにこの地方の特産である塩漬けの魚を食べました。白ワインとおともに。

そう、あといつもと違うことが見るテレビの番組。テレビって書いたけれども、アマゾンプライムの中の番組なんです。ずっと前にも書いていると思うんだけど僕がイギリスにいる頃からずっと見ているアメリカドラマがあるんですよね。来年からシーズン15の放送も決まったご長寿番組 Grey’s Anatomy 。シーズン11までをイギリスで見ていて、最近ドイツのアマゾンプライムに番組が入っていることに気がついて、”いつか見なきゃ!!”|って思っていたんです。

アメリカ西海岸のシアトルにある病院を舞台にしたドラマ。アメリカのコメディーはあんまり好きそうではないユリ君にとって医療ドラマは好きだろうなと思うのですが、問題が。僕がシーズン11まで見ているということ。また最初から見てもいいんですけれどね。ユリ君はその長さに、”うーん。見ない。”というのでそのままだったんです。そして、とうとうその時が。

シーズン12を見始めて、、、、あれ一体何が起きてるんだっけ????ってなってシーズン11の最終話から見て、その後続けて2話見ちゃいました。

もうね、完敗。負けました、、、、。この2つ前位のシーズンから1つ1つのエピソードのクオリティーが高くて、いつも感情移入して泣かされていたんです。今回は大丈夫だと思って臨んだのですがまたしても泣かされてしまいました。ここまで感情移入できるドラマもそうない気がするのですが。それとも、年とともに涙腺が弱くなっているのかな?

 

日本語版の予告がありました。これ見てびっくり、またまたいろいろな事件が起きそうな予感です。この予告よりも、若干落ち着いたトーンでドラマは進み、大人になった人が感慨深く見る番組かなって僕は思うのですが。もし機会があれば、ぜひ見てくださいね。ハンカチかティッシュが必須です!!

 

 

ちょっと期待しすぎたかな

またしても、月曜日。週末はどうしてこんなにも早く過ぎてしまうのでしょうね?皆さんがいいスタートダッシュを切れていたらいいのですが。月曜日の過ごし方って大事ですよね。これから続く5日間を左右するのは月曜日の在り方が重要だなって。

僕の月曜日の始まりは、、、。悪くないかな。実は今日からまた1週間ユリ君が出張。これが最後の出張なのでもう少しの我慢ですが、普段ふたりの生活が当たり前の中にあって、突然そこからユリ君がいなくなるのは正直さみしい。ただ、ひとりで過ごせる時間が増えるということに喜んでいる自分がいるもの事実なのですが。

天気は週末から愚図ついていて、曇りが多い日が多いです。だけど僕が今日の朝に駅まで歩いていくときには晴れ間がきれいだったので、良しとおもうのですが。あとは気温がもう少しだけ上がってほしいというのが切なる願いかな。今が14度で、曇り空と合わせるとまるで秋の終わりのような感じ。秋にはその哀愁があるのに、その哀愁がないものだから僕はどうしても、このような天気は苦手です。

最近なぜか、魔女に縁があるんですよね。なぜだろ。2週間前まで、魔女なんて考えてもいなかったのに最近は魔女についての事をよく考えてしまっているんですよね。しかもそういう時に限って、魔女に関連するものが次々と現れて。たとえばアマゾンで本を探していたら、本の一覧の中に”魔女の12ヶ月”とう本が出てきて、その内容が面白そうで近く日本からくる友達に頼んだり。ユーチューブを見てたら、右側のおすすめの映像で、魔女の宅急便の原作者の角野栄子さんのインタビュー映像が出てきて、その中で魔女の宅急便の原作の読み聞かせの部分があって、その言葉の柔らかさと、物語を喚起させる文章の瞬発力、そしてハーモニー心が震えて、ブックオフで注文してしまったほど。なんなのだろう、この魔女ブームは?

やっぱり、魔女で有名なドイツに住んでいると魔女の影響が強くなるんでしょうか?

けど、魔女の生活って面白そうですよね。大体において町の外れや、森の中に住んでいて黒猫と一緒に住んでいる。森の産物や薬草で薬を作っていたり、かなりの自由人。もしかしたらそのような姿に僕はあこがれを抱いているのかもしれませんね。僕の妹は小さな時に魔女の宅急便のキキになりたくて、飛ぶ練習をしていました。だから何となく、魔女は妹のものだと思っていたのですが、僕にもその憧れはあったようです。

どうなんでしょう。僕は自分が同性愛者だからかはわかりませんが、小さなころから憧れるのが男性も、女性も、どっちもあったんですよね。性別にとらわれずに、面白そうな人間に物凄く興味があったんです。たとえば、6歳ごろの時には昭和天皇が好きでした。その不思議な天皇という存在に面白みを感じていたようで、亡くなった時にはテレビでその葬列を見て泣いたり、政治家の土井たか子さんがカッコいいなと思ったり。チェンジマンという戦隊ものがテレビであっていた時は、男役のブルーペガサスと、女役のホワイトマーメイドのどっちにもなりたかったり。

それだからか大人になっても憧れる人間は男性だけじゃなくて、女性も多いんですよね。そのひとりがサンドラブロック。もう、ずっと好きなんです。

その彼女の最新作が劇場で公開されて、これは見なきゃ!!と息を荒くしていたのですが、僕はロンドンにはもう住んでいないんですよね。住んでいたら同じくサンドラ好きのKちゃんと一緒に映画館で見ているはず!!ただここはドイツの北西部の小さな町。しかもドイツってアメリカ映画もほとんどドイツ語に吹き替えにしちゃうんですね。悲しいことに。字幕というのがほとんどないよう。ただ調べてみたら僕の前に住んでいる街にある映画館で日曜日に1本だけ英語の映画を英語で上映するシステムがあって、今回はそれがサンドラ主演のオーシャンズ8だったんです。

ユリ君が誕生日プレゼントの一環として連れて行ってくれました。やさしいユリ君。いつもは僕たちの起床時間は5時45分。8時間、睡眠時間を取りたいユリ君は午後9時半にベットに。もちろん、ぼくもそうなんですが。ただ、映画は午後8時15分スタートで、今住んでる町から35kmも離れているんですね。ということは帰り着くのが夜の11時過ぎ。それでもいいよという優しさ。

ジョージクルーニーが主演であったオーシャンズ11,12,13のフランチャイズで今回は女性だけのキャスト。他のオーシャンズのように、大怪盗がメイン。

しかも、僕のもう一人の好きな女優であるケートブランシェットも!!この映画の製作が始まったころからずっとアップデートをチェックしたりしていたのです。

うーーーん。期待をかけすぎてしまったのかな、、、、。ちょっと期待外れだったというのが正直な感想。確かに8人の女性がかっこよく描かれているし、衣装やセットもよくできている。ただ、もう少しコメディー的なところを期待した自分がいました。シリアスな映画としてはエンターテイメント色が強い、だけど笑いがふんだんに散りばめられてるというのでなくシニカルなユーモアがほんの少しという感じかと。あと、最後の種明かしがオーシャンズ11の時のように”あーーー!!”っていうのが弱かったなって。

悪い映画ではないんですけどね、期待をしすぎた自分がいけないなって。けど、サンドラブロックも、ケートブランシェットも素敵でした。

 

ちなみに前の記事で書いた僕の手作りキャンドルホルダーは火を灯すとこんな感じです。

 

 

なりました、37歳。

皆さんお元気ですか?僕は元気に過ごしています。昨日、無事に37歳を迎えることができました。自分でいうのも何ですが、本当に素敵な1日となりました。

誕生日を迎える喜びが段々と30代を迎えると薄れていっているなって感じていたんですよね。もちろん、ロンドンで仕事をしていた時も一緒に働いている人がケーキをくれたりプレゼントをくれたりと、ありがたいことを感じる事はあったのです、もちろん。ただ、子供のころのようなワクワク感って大人になるにつれて薄くなっていっているなって感じていたんです。

それが今年は、違ったんですよね。なぜだか。

ドイツで迎える初めての誕生日だったからかもしれませんね。

今年の僕の誕生日は水曜日だったので学校に行く時間の5時45分に起床。いつもはこの時間にユリ君も起きるのですが、この日は15分前に起きたユリ君。台所で物音がして覗いて見ると週末に僕たちがよく食べるブロッヒェンをオーブンで温めて、目玉焼きを作っていました。かわいらしい。

食卓に座ると誕生日のカードが。少し癖のあるユリ君の文字。そして食卓の真ん中には何かが。それは、、、。

 

八重咲のピンクのバラの鉢植え。80cnくらいの高さがあるもの。赤いバラの花ことばが”愛”なので、ユリ君がよくヴァレンタインに贈ってくれるんですよね。だからバラとなれば赤を贈ってくるなら赤だろうなって思ったらピンク。”ピンクって意外だねー。”というと”これはも赤のうち!!”との返答が。同性愛者のマークである三角形もピンクだから、僕たちにはぴったりだなって。この週末にでも少し大きめの鉢を買って外に植えることに。

電車の中もなんか雰囲気が違う気が。まずは空の色が。灰色の雲がうっすらと広がっていて、だけど青空も所々に見え、朝の太陽のオレンジいろが混ざった不思議な色合い。しかもハッキリした色でなくて、水に溶かしたぼんやりとした色合い。それをほとんど誰もいない車内の中で見れる幸せ。

携帯のフェイスブックには誕生日おめでとうのメッセージが。いつもだったら、”皆、誕生日のメッセージありがとう!!”って1つのメッセージで終わることがあるのですが、今年は1人1人に個人的なメッセージを送ろうと決めて返信を。そうすると本当にいろいろな国で様々な出来事で出会った人がメッセージをくれてるなって。素直に思っている気持ちを、自分のことを思ってくれる人に1年に1回伝えるのもいいなって思います。

学校でもサプライズが。僕は自分の誕生日のことは話していなかったのですが、隣のGちゃんが結構前に言った僕の誕生日を覚えていたようで、2回目の休憩の後に先生に、”今日はTakの誕生ブナの。”と言うと先生が、”じゃ、お誕生日の歌を歌いましょう。”で大合唱が。まずは英語で、その後ドイツ語、そしてその後は先生の案で自分の国の言葉でとなり、アラビア語、ポルトガル語、エジプトのお誕生日の歌、ロシア語バージョンのお誕生日おめでとうソングが続きました。

本当に本当に、素晴らしい僕の先生とクラスメート。

家に帰ってその感謝の気持ちをとブルーベリーマフィンをもって今日みんなに配ってきました。

母からも、夜遅いはずの日本から電話が。

誕生日って、やっぱり悪くないですね。自分のお祝いというか、年を重ねて今は自分を支えてくれる、素直に僕の誕生日を喜んでくれる人々が周りにいることに感謝をする日だなって深く思いました。また新しい1年が素晴らしいものになりそうです。

思い出を閉じ込めてみました

月曜日から雨雲が覆う天気で何となく心静かな日々だったのですが、今日火曜日は午後から太陽が出て朝方の雨でぬれたパティオの植物たちも嬉しそうに風にそよいでいます。もうすぐ太陽の出ている時間が1番長い夏至の日もやってくるから、こうでないとね。そして僕の誕生日も明日に。37歳になるんですね。30代も後半戦へと入るわけですが、いつまでたっても子供な性格でユリ君に、”何歳?”って聞かれるほどの行動ぶり。そこは永遠の少年ピーターパンと同じでいようと開き直っているんですが。誕生日を迎えるということは、このブログの年数もまた増えるというわけです。

ブログを始めたのが29歳の誕生日からなんですよね。30歳になるまであと1年。何か新しいことを始めようとおもって書き始めたブログ。8年間書き続けているんです。その中でいろいろな人に出会えて。本当に良かったなって思います。実際にはまだ会ったことはないのだけれどブログからフェイスブックやインスタグラムの友達になって、アップデートがあるたびにメッセージを書く人もいてネットの中でのつながりも素敵だなって思っています。もちろん、本当は顔と顔を合わせて話してみたいんですけれどね。それは時が着次第、おいおい。ドイツ遊びに来てくれる分は拒みませんので。

さて、今日はちょっと新しいブログのカテゴリーを広げようかなと思って。カリスマ主夫ってカテゴリーを作ってみました。

最近ね、エコのユリ君のせいか、物を無駄にせずに何かに使えないか?みたいなことを考えることがあって。けど、そこは芸術家の端くれ、想像力をもって何かを作りたい衝動に駆られているんです。

最初に目を付けたのがこれ。

これね、プリンが入っている容器なんですね。ヨーロッパではよく見かけるんです、このガラス容器に入っているムースやプリン。プラスチックだったら捨ててしまうけれども、ガラスだから何か使えそうと思って捨てずにとってあるのですが、結局気が付くとその数だけが増えている状態に。ムースを作ってまた使えばいいのだけれども、そんなにムースやプリンは作らないし、食器にするには小さすぎる。これが2つ重なったくらいならいい大きさなのにな、、、、、。

そっか!!

閃いてしまったんです。これで作れるものがあると。

容器の一つに貝殻と小さな玩具のクリスタルの粒を入れます。この貝殻はこの前ユリ君と海岸を散歩していた時にあまりにもシンプルな色合いと、縞模様がそれぞれに濃さが違って面白いと思って拾ったもの。”何に使うの?”って言われながらも、”何かに使えそうだから。”と答えともいえない返答をして集めた6枚のうちの3枚。そしてこの玩具のクリスタルは引っ越しの作業中にスワロブスキーの箱が出てきて中に小さな巾着が。開けてみるとこれが入っていたんです。ユリ君曰く元カレがプレゼントで誰かにスワロブスキーの商品を買ってそのおまけでついてきたのだとか。光に当たるとものすごく綺麗だったので、ぼくが捨てずにとっておいたんです。そのクリスタルも入れて。

この貝殻とクリスタルが1段目で、2段目はガラスをそのままのせて接着剤でつなげたら完成。

あとは上の段にティーキャンドルを入れれば、キャンドルホルダーになるんですね。僕はいくつかロウソク立てを持ってはいるのですが、外用のがなかったんですよね。なので、これで外用のが2つできました。自分たちの思い出も詰め込んだキャンドルホルダー。いいアイデアだと思いませんか?

我が家の新しい仲間

ドイツ語のコースは月曜から木曜日なので、木曜の午後を迎えた僕は一足早く週末モード。ただ木曜日の午後は、学校から帰ってくると疲れがどっと出るんですよね。家に帰ってから昼ご飯を食べて、このブログを書いているんだけど脳みそが半睡している感じが。外は生暖かさで時折雨が降る感じ。日本の梅雨とおもえばいいかな。

今日は帰る時にスーパーに寄ってきたんですね。駅から歩いて数分のところにお店が15件位入っている小さなショッピングモールがあるんですよね。その中の1件がかなり広いスーパーで、たぶん残りの14件ぐらいのお店よりも大きいんじゃないかな。

そこは食品の値段も安くて、見切り品のも多めでユリ君と僕は気に入っているんですよね。ただ、家からはちょっと遠い。なので、僕が学校から帰ってくるときに途中でここによって夕飯の食材を買うのが週数回の僕の行動パターンになっています。

そしてここ、植物を売っているんですよね。といっても花屋さんがあるわけでもなくて、野菜売り場の一角にバラバラっておかれてるんですよね。室内用の観葉植物も、外用の花も一緒に置かれていて、ちょっとどうでもいい感じに扱われているんですよね。それだからかいつも安く売られている植物たち。元の値段も安いのに、それからまた値下げで1ユーロで売られていたり。

僕の今住んでいる家は室内の植物が結構多くて。しかも僕が挿し木にして育っている植物たちもあって、ユリ君から”もう植物はいらない。”って言われているんですよね。ただ、外のエリアにはほとんど植物がない。なので、そこがねらい目だなと思っていたのですがなかなかユリ君からOKサインが出なくて、、、。

だけどね、見つけてしまったんです。アジサイを。10cm鉢でそこまで大きなサイズではないのですが、一鉢3ユーロ。安い!しかも色合いが淡くて綺麗。僕は6月の梅雨生まれということもあってこの季節にアジサイに愛着があるんですよね。それを見つけたのが火曜日で。ユリ君に話をしたんです、”買いたいよー!!これは大きくなるし、目隠しにもなるからいいよ、花の咲いている期間も長いし。大きくなるとかなりな大きさにもなるよ!!”っていってウェブで見つけてきた日本のアジサイだらけの綺麗な写真を見せると、”ふーん。”といって少しは興味を持った模様。

”明日買ってくるね!!”っていって僕、今日買ってきました。

ね。かわいい色合いでしょ。深い青と、薄いピンクを備えた白色のアジサイ。明日か週末にでも植えようかな。そして長く大きく育ってくれることを祈ってます。

会話の練習から

水曜日。今週も真ん中まで来ましたね。どうですか?いい1週間になってますか?日本は梅雨の時期なのかな、、、。アジサイの花や葉っぱに雨露が落ちて、空気が湿り気を帯びながら薫る時期ですね。僕はこの時期が誕生日なので、梅雨が嫌いではないんですけど。

ドイツやイギリスは逆にこの時期は晴れ間が多く、夏って認識があるんですよね。ちょうど僕の誕生日は夏至のその日か、1日前なので太陽が朝起きてから眠るまでずっとある素敵な時期。夏至の日に北ヨーロッパでは小さなお祭りもあるようですね。7、8月とまだ夏は続くのですが、夏至を境に日照時間は短くなっていく。そんなちょっとした寂しさを心に残して祝われる祭りって、気になりますよね。

今日はあのZ君と会話のパートナーでした。そう、娘さんと離れ離れになっているZ君。会話もお題があるんですよね。これは9月に受けるテストの概要にのっとって行われるんですが、今日は、”近所の人を誘ってパーティーを開きます。以下の5つの点を入れて会話をしてください。1食べ物、飲み物 2いつパーティーをするのか 3会計はどうするのか 4パーティーですること 例 子供用のゲーム、音楽 5だれが何の準備をするのか

この5点を踏まえて、お互いが同じくらい喋るのがベスト。自分の意見だけでなく、相手があまりしゃべらないようだったら質問をして答えを導いてあげたりするのも大事なんですね。なにか演技のクラスの即興見たいでしょ。

これパートナーが誰かによって盛り上がったり、盛り下がったりするんですが、Z君とは前に一緒になったことがあって今回もうまくいきました。

ただね、その内容がこの前の事件の後だからなにかずっしりと感じるもので。

最初のZ君が、”僕は料理が苦手だから、Takが料理をしてきてね。”って話を振られたので、”わかった。じゃ日本料理を作るよ。お酒とかのドリンクは任せてもいい?”と会話がスタートして、途中で、子供の話が出てきてZ君が、”日本の音楽も持ってきてね。娘に聞かせたいから。”って話とか、”-空想上僕に子供がいる仮定になっていてー 僕の子供とTakの子供がお互いを知って仲良くなるのはいいことだよね。日本料理も、日本の音楽も聴けて娘は嬉しいと思うよ。”って本当に今からパーティーが始まるんじゃないかってぐらい嬉しそうにZ君が話すんですよね。僕も、”そうだね。絶対楽しいね。”って返しながらもちょっと胸が締め付けられる思いでした。早く一緒に住めるといいなって本当に思いました。

僕は親でないので、子供を持つ幸せやその責任の大きさなどはわからないのですが、親になるって何かが変わっていくんだろうなって思います。僕も妹が母となるときに、今までとは違った雰囲気というか気配をもって妹を見て驚きました。

その大事な子供が遠くへ行ってしまったり、会えないというのは心臓を貫かれるよりも辛いことなのかもしれませんね。それでも元気に、笑顔のZ君に脱帽です。

 

言葉って使いよう

昨日の記事で書いたZ君、今日は何事もなかったかのように登校してきました。みんな一安心。アラビア語圏の人たちはZ君が入ってくるなり、”サラムタック”と声をかけます。病気だった人にかける言葉らしいですよ。僕も真似していったけど、22歳の子が笑ってました。本当に良かった。

さて夏のようだった先週。これはこのまま夏が滞在しそうだなって思って、昨日の献立を冷やし中華にしようと思ったんですね。それが週末から寒さが増して、本当に寒い。今日も最高気温は15度。太陽も雲の後ろだし、海風もあって体感温度はもっと低いと思うんですよね。なので、昨日の冷やし中華はちょっと季節違いに。

冷やし中華、ユリ君にも好評でした。ただ、日本のようにそれ用の麺もソースもないんですよね。けど発見しちゃったんです。中華めんになるものを。ドイツやイギリスのスーパーで驚くのはたぶんパスタの種類。特にドイツは多い気がします。その中で、ものすごく細くて短いスープ用のパスタがあるんですよね。これで1回スープを作って、だけど全部食べることができなくて次の日に残しておいたんです。そしたらパスタが水分を結構吸っててそれが中華麺にょうな触感。そう。そこでこの冷やし中華を作ろうというアイディアが生まれたんですね。

あとはトマト、キュウリ。ハムを切って、卵は薄焼き卵を作ればOK、ただ、ユリ君の味覚にもっと寄せなきゃなという思いがあったのでモッツァレラチーズをダイスにして入れることに。ただ問題はソース。

醤油、オリーブオイル、ごま油と入れて何かが違う、、、、。どんな味だったかなって記憶をたどって、もしかしたら酸味があったよなと思って酢をいれたら本当においしいソースができ、そんな自分にほれぼれ。

味もよかったのですが、もう少しソースを多く作っておけばよかったのと反省。ちょっと薄味でした。次回頑張ります。今日はね、寒いからタイ料理のマサマンカレーにしようと思ってます。

最近、引っ越した当時は毎日のように知らない人に挨拶されていたんですが、最近なかったんですよね。多分毎日のように同じ時間帯に歩いているので見慣れてしまったんだなって思ってたんですよね。そしたら、今日は自転車が後ろから追い越してきて、”モイーン。”って12歳くらいの子が恥ずかしそうに、だけど笑顔で走り抜けていきました。僕も笑顔で”モイン”を返すことができていい気分。

やっぱり挨拶っていいですよね。ただの通りすがりの人でも、親近感が出るから。確かにロンドンに住んでいた時は挨拶なんてほとんど皆無でしたが、ドイツの田舎町に住み始めてからは挨拶が増えました。この町でも。街中ではだれにでも挨拶はしないのですが、例えば走り行くコースは畑の真ん中をひたすら走るそんなコース。というものの犬の散歩や自転車で走る人を良く見かけるんです。なので、そこでは通りすがりの人にはみんな挨拶をしているようにしてます。

いい場所に引っ越してきたなって本当に思えます。

 

心臓発作も怖いけど

皆さん、月曜日ですね。週末はゆっくりと休むことができましたか?ストレスがまだ溜まっているということはありませんか?自分に優しくしてあげてくださいね。だって、自分以外のことをわかってくれる、理解してくれる人はほかにいないのですから。自分自身が、自分自身を否定してしまっては、生きていくのが楽しくないですもんね。

さて、今日のブログのタイトル。ちょっと意味深でしょ。実はね、今日、僕のドイツ語クラスでちょっとした事件があったんです。

僕のドイツ語クラスは朝8時から昼の12時15分まで、中に休憩が2回あって行われるんですね。生徒の数は15-18人ぐらいで、ほとんどの人がアラビア語圏の人々。その中でも今、内乱のシリアから人がその多くを占めます。そしてその人たちはドイツに来て2年半ぐらい。僕もクラスメートの彼らからシリアのことやイスラム教宇あ中東の文化をいろいろと教えてもらってます。

生徒の年齢もバラバラ。下は22歳で上は60歳。家族と一緒にドイツにいる人もいれば、親兄弟、時には奥さん子供はまだ母国という人もいるんですね。

今日もいつものように授業が始まりました。9時半に1回目の休憩。それからリスニングの問題をして、今度は会話の練習に。会話の練習はいつも同じ人にならないように2つで1つの絵になるパズルを箱の中から1つ引いて、絵柄が合う人とペアを組むんですね。

先生が持って回る箱から1枚ひいて、僕のカードは数字の10。誰が今日のペアかなと思ってみていると、突然、クラスメートが先生を呼びます。彼はシリア出身でドイツ語が上手なんですよね、クラスのリーダー的な感じでもあるんです。”先生、Zがちょっと調子が悪いみたいなんです。”確かにM君が苦しそうな感じ。

Z君は僕と同い年ぐらいか、もう少し上ぐらいなのかな?だから30代後半から40代半ばでしょうか。小柄で、勉強も一生懸命にするタイプ。何回か会話のパートナーになったことがあって、昔はサッカーをしていたとか、子供と奥さんでドイツにいるっていうことを聞いていたんですよね。

確かに今はイスラム教人たちはラマダンの間なので日中は、水と食事をとらない。なので時に気分がすぐれないことがあるんです。窓側にいたのでちょっと立ち眩みでもするのかなと隣のカジキスタンの女性と話していると、、、。Z君が立ち上がって教室の外へ出ようとします。ただここで気になったのがZ君は胸、しかも心臓のところにあったんです。これはどうやらただの気分悪いではなさそうだと皆が思いました。そしてZ君の仲良しのクラスメートが後を追います。先生も後を追い、どうやら息が苦しくてできなさそう。苦しそうな息遣いが廊下から聞こえてきます。ここですぐに先生は救急車を呼びます。たぶん、内心は焦っているのでしょうが、落ち着いてどこで、何が起きているかを伝える先生。Z君はどうやら立っているのも苦しいようでクラスメートが椅子を運んでベッドにして寝かせるも、Z君の状態はよくはならず、悪化していきます。苦しそうなうめき声。そこで何もできない僕たち。

すると先生が僕に、”Rさんのところに行って知らせてきて。”Rさんはこの学校のコースの管理をしている人で、同じ建物の2階オフィスがあるんですよね。階段を駆け下りる僕、けどやっぱりどこかであわてているんですよね。Rさんの事務所だと思ったら、1階間違ってて再び走って2階迄おり、事務所のドアをノック。ただ返答がない。ドアノブをまわすと動いたので、そのまま開けると誰かと話し合いの真っ最中。けど、しょうがないので、”すいません”と断って入って、”M君が、心臓発作ぽいんです。”っていうと、”救急車を呼べばいいの?”というのと同時に受話器を持っているRさん。”救急車は先生が電話をしました。”ここで僕は何を言えばいいのかわからなくなって、けどその緊急性に気が付いてくれたようで、”分かったわ。”と一緒に駆けつけてくれました。

その後、Z君は救急隊の処置を廊下で受けることに。僕たちは教室に帰って、座っていたんですが僕は廊下にすぐのところに座っていたのでZ君の苦しみに悶える声がずっと聞こえていたんですね。

z君はその後救急車で運ばれ、通訳係をしたリーダー的存在の人も教室に戻ってきて、Z君がどうゆう状況かを話してくれたんですが。

幸運にも心臓発作などではないとのこと。

では何か、、、?その理由がある意味。心臓発作よりも怖いなって思ったんです。

どうやら息が苦しくなっているときにZ君が言っていたのが娘さんのは名前だったらしいのです。僕が覚えている限りでは幼稚園に通う年ごろ。それで、何の理由があってかはわからないのですが、Z君はいま奥さんと、そして愛娘と離れて住んでいるようなんです。そのことがストレスになっていた模様で。

多分そのようなことや、慣れないドイツ生活もあっていっぱいいっぱいになっていたんでしょうね。いつも学校に遅れることもなく、礼儀も正しく、Z君。彼は日々少しづつ追い込まれていたんでしょうね、精神的に。

つまりあの苦しみの声は、肉体的な痛みではなく、精神の喚きだったってことですよね。今でもその声が僕は思い出せるのですが、拷問を受けている人が発するような声なんですね。

精神の傷や痛みって人間の表面上に現れるものではないでしょ?どちらかというと少しずつ少しずつ心のうちに隠してしまうもの。子供のころは泣いたり叫んだりしてそれを外に出していたけれど、大人になるとそれさえもしなくなってします。そして、ますます中に押し込めてしまう。これって怖いなって。だっていつかは抱えきれなくなって、爆発してしまうから。今日のZ君のように。

授業が、Z君の連絡先も知らないし、明日来るかもわからないので、心配だなって思いながら駅へと向かって帰っていると、遠くから自転車が来ているのが見えます。よく見るとZ君。救急車で運ばれて2時間ぐらいしかたっていないのに、自転車?通り過ぎざまに、”大丈夫なの?”って聞くと左手の点滴あとか何かとマークを見せながら、”大丈夫”っていって走りすぎていきました。その自転車のスピードの軽やかさ、そしてZ君の顔には笑顔が。

やっぱり吐き出すことって大事ですね。だから、皆さんも思いっきり泣いて、泣いて、泣いて、明日を迎えましょう。ちょっとだけ、気持ちが軽くなるはずです。