僕のドイツ語練習法

寒い、寒い。今日の朝起きた温度は1度。冬が本格化してきたようです。今日は、木曜日なんでいつもならばアパートの掃き掃除、拭き掃除と、水回りのクリーニングの日なんですが昨日のうちに終わらせてしまったので、今日はする必要なし。けど、それには訳が。

実はブラックフライデーのセールの時にユリ君が結構な買い物をしたんですが、その中のひとつに洗濯機が。今日はこれが届く日なんですね。それで、予定では午前10時から午後2時の間の配達。洗濯機の置き場は建物の地下にあるので、そこまで配達の人を誘導して、古い洗濯機を持っていってもらうまでが今日の僕に課せられたタスク。そうなんです。ドイツ語での対応なんですね。一応、こんな風に言おうとは決めているのですが、上手くいくのかな。それについては明日にでもご報告できるかと。

さてさて、そんな僕のドイツ生活。少しづつ色々な事が日常化してきて、すべての事にオドオドとしなくなってきました。慣れって面白いものですね。道路を横切ることとか、スーパーでの買い物とか、宅配の人との対応とかが普通に出来るようになってきて、そんな自分を誇らしく思ったりもします。

さて、そんな僕の最近の僕のドイツ語は少しづつ上達をしてきています。昔ならば、ユリ君が見ているドイツ語の動画の音声が、まるでどこが終わりで始まりなのか、どちらかというと念仏のように取り留めなく聞こえてていたものが、一つ一つの単語として聞こえてくるなと言う気づきがありました。もちろん、その内容が何なのかはわからないんですけどね。

言語習得の時に、”一気に喋れるようになる。”と言う事は僕が思うにないように思います。少しづつでも毎日、その言語を使って、たくさんの失敗をしながら少しづつステップアップしていくときに伝えれないことに悔しくなったり、時に成長していく自分を褒めてあげながら前に進んでいくそんなプロセスです。だから、自分自身と見つめあう事も多いし、また習っている言語の国に住んでいるとどれだけ自分一人の力では生きていけないのか、赤の他人のちょっとした優しさが本当に身に染みてくるんですよね。だから、僕は新しい言語や新しい国に住むのが好きなんだなって思います。

そんな僕の気に入っているドイツ語の勉強法が、アニメをドイツ語で見ることなんですよね。アニメって大体において20分くらいだし、子供向けのものが多いのでストーリーが複雑でもないので頭が混乱することも少ないのでうってつけだなって。

そこで選んだのが、”タンタンの冒険”。ベルギーのエルジェによって描かれたもともとは漫画で、1929年に子供向け新聞に掲載されたのが始まりだとか。僕が見ているのは90年代に作られたもので、色合いとストーリーもシンプルだけど、スタイリッシュなんですよね。

それを20分間見て、ベッドルームに行くのが最近の僕の日課です。そう考えるとまるで寝る前の子供に本を読んでやるみたいな行為でもあるよな。もちろん、喋っていることのすべては解らないので絵を見たり、声のトーンでその人の感情を察したりと20分の間でも僕の頭は大忙し。それに、よく使われるフレーズもあるので、そういうのは耳に残ります。例えば今だと、”助けてー!!”ってとか、”キャプテン!!”とか、“行こう!!”とかですね。

愛犬もかわいいし、タンタンもどことなく自由に生きていて、僕と似てるなって思うからこの番組にも親近感が持てるのもいいのかもしれませんね。

日本にもたぶん、ネットフリックスってあるでしょ?僕はそこで見つけて、そこだと番組によっては音声を違った言葉に変えれるので他の言語を習っている人にもおすすめです。

自分の生活に本当に必要なもの

今日の朝は深い霧でおおわれています。朝焼けの時は少し視界も良かったのですが、午前10時半の今は15m先は白い世界に。先ほど買い物にでかけたのですが、水分を多くまとった空気のためか肌に厳しい寒さを感じました。

でかける前に窓を開けて温度をチェックしたので、薄着ではなかったのですが顔や耳は少しジンジンとしてしまうくらいに。12月をもう少し出迎えるので、これもしょうがないのかも。大事なのはそれに対する防寒でしょうか。幸運にもユリ君のお母さんのおさがりの真っ赤な冬用のジャケットを去年もらったので、上半身は寒くないんですけどね。おさがり、、、。そういえばドイツにきてかなりのおさがりをもらったなって。ユリ君からも履けなくなったジーンズだったり、ユリ君の両親からは布団とか、手袋だとか。

人って状況に応じて変わるものなんだなってしみじみお思います。

僕が高校生の時は”自分のブランド”のようなものがあって。この人は、アールニューボールド、あの子は、APCとかね。それで、なるべくブランドが被らないようにしていた、十代の日々。僕はポールスミス、GUESS, PPFMだったかな。バイトもしていたし、家にお金を落とす必要もなかったのであの頃は値段が高くても買えていたんですよね。今から思えば、”何もそんなにもお金使わなくても。”と思う事なんですが。けど、そのほとんどを今でも着れるので、値段の分物持ちはいいのかもしれませね。

もちろん、今でもファッショナブルでいたいなとも思うし、自分で洋服を買うこともあります。だけど、ブランドだから買うという事が無くなったように思います。自分に似合う物、長く着れそうなものを、自分の納得いく値段で買う。そんな買い物の仕方かな。

ドイツに引っ越してきたのが8月の終わり。ダンボール10個に必要だと思えるものを詰めてここに送りましたが、いまだに未開封のまま。それには理由が。ユリ君の仕事場までここから今は車で40分ほど。それをユリ君は変えたいらしく、会社の近くの町に引っ越しを考えていると言われたんですね。その時の雰囲気から言うと”いい物件があればすぐに!!”というもので、すぐに引っ越すになるのならこのままはこの中に入れておいたほうがいいかな、と放置してたわけです。

けどこのユリ君の言う、”いい物件”と言うのがかなりハードルが高いようで、”ここは暖房効率が悪すぎる。””ここは、家賃が高すぎる。””ここは中心地から離れすぎている。”とで一向に決まる気配なし。

それで気が付いたんですけど、結局は自分の生活に本当に必要なものと言うのはあんまりないのかなという事。だって、あの10箱は引っ越しの際に断捨離をしてこれはこれからの生活にいるであろうなと思って持ってきたけれど、それから3か月。この箱を開けずに生活をしている自分がいる。なんかそう思うと、人間、身一つでどうにかなるもんだなって。

けど、何が必要不可欠かなって思うと、本、音楽、映画。もちろん、衣類や食料品などの生活必需品はいりますが、、、。だけど今の時代、音楽と映画やドラマはネットがあればいつでも見られますしね。といいつつ、今は本も電子書籍か、、、。けどやっぱり、一つだけと言ったら本になるのかな。

想像の世界に行ける本はやっぱり、捨てられないですよね。何か辛いことがあっても、本を読めば少しの間でも違う世界に意識が飛んでいけるし。本の物語や主人公から人生を疑似体験して学べることも多いしね。

そんなことを考えながら今朝の買い物に行った僕でした。霧の日は周りが見えないぶん、自分の考えにフォーカスが強く当たるようです。

ちなみに今は朝に日本の面影を朗読し、夕飯を作るときには江國香織著、東京タワーを一章、夕飯の後のくつろぎの時間に村上春樹のエッセイを数ページ読んで過ごしています。少しづつ読む、味わって読むというのが最近の僕の読書のお気に入りです。

今回の旅の一枚を決めるなら

昨日の夜はまるで小学生の低学年のような就寝時間でした。午後8時45分。最近の子供は夜にベッドに行く時間が遅いのでしょうか?日本に帰った時に小学4年生の甥の学校の生活記録のようなものがあって、”夜10時までに就寝したら、マルを付ける。”ってあってビックリ。しかも、それをもあまり守られていない甥にもびっくりしたんですが、、、。ヨーロッパは基本的に子供は早く寝るようにしつけをされるので、この様に子供が遅くまで起きているのは信じられないんですよね。”悪い親。”のレッテルを貼られてしまうほどに。アジアは少し違うのかな?

そんな愚痴はともかく。なぜ、8時45分だったのか。実はユリ君がハンブルクで会議に出席をしなくてはならず、朝6時9分の電車に乗らないと10時の会議に間に合わない。そうなると、朝起きる時間は5時15分。それでもって、眠りの浅いユリ君はきっちりと8時間半以上は眠りたい。という事での8時45分だったわけです。僕も一人で起きていてもつまらないし、ユリ君の眠りを邪魔もしたくないので一緒に眠りました。

なので今日は朝の5時過ぎから1日を開始。朝のうちに色々な事を終えられてこれも時には良いのかっておもちゃいました。

さて、長らくの僕の日本帰省時の旅日記を読んでいただいて、ありがとうございました。今回の旅に関するブログ記事は今回が最後です。長々と申し訳ないのですが、あともうひとつだけお付き合いください。

旅の時ってどうしても荷物が邪魔になりますよね。ホテルで預かってもらったりとか、宅急便で送ったりとかしたりしても、それでも荷物になる。特に僕はカメラを持ち歩くのでそれだけで重くて。カメラもレンズも重くて、片手にずっしりと感じるほどなんですね。今、気になって量ったら2kgを少し超えてました。

写真を撮るタイミングって対象物にもよるのですが、”あ!今、この光!!”って思ってカバンからカメラを出して、セッティングを合わせてってしている間にベストンタイミングって消えていたりするもので。なので、基本的にどちらかの手に持ちながら歩いています。もちろん肩からのストラップもかけていますが、ぶら下がってるだけという事はほとんどないですね。これは保険みたいなものだから。

確かに重いし、急な坂と岩場は慎重にならなくてはいけないのだけれども、これも筋トレだなって思って自分言い聞かせてます。

今回の旅は一ヶ月ほどで、撮った写真は450枚ほど。という事は1日に15枚ですね。その中から自分の好きな写真だけを編集するので、それに残るのは100枚ぐらいでしょうか。ほとんどが最初は、”うん。なんとなくいいな。”っていう物でそこからどのようにこの写真を料理していこうかと考え、時にはものすごくいい雰囲気の写真になったり、またその逆にあまりぱっとしないときもあります。

例えばこの写真、最初はパッとしなかったんですが暗さを前面に押し出したら紅葉の色が一気に冴えたんですよね。モノトーンとカラーの混ざりあいなのも面白いなと思って気に入りました。

ただ中には、コンピューターにアップロードした時から、”うわ!!いいのが撮れた!!”っていうのがあるんですよね。けど、こんな感情に出会えるのは本当に何十回に一回ぐらいの割合で。だから、今回の旅でそんな一枚を手に入れることができて本当にうれしかったんです。

それがこの一枚。

殆ど加工せずにこの発色が出たことと、この浮世絵的な枝ぶりがいいなって。奥行きの在り方も好きだし、手前のピンク、中央の赤と黄、そして奥の薄いみどりが幹の苔むす黒さとコントラストをはしていて、僕は本当に好きな一枚です。

人によって好き嫌いがありますから、”え、そう?”って思われるかもしれないのですが、今回の僕のベストはこれだなって思います。

 

晩秋のくじゅう山

朝の9時前だというのにリビングに差し込んでくる光の量は少なく、薄暗い。こんな時に冬がもうまじかに迫っているんだなと感じられずにはいられません。今まで、部屋の明かりなんていらなかったのにね。自然光が好きな僕としては少しだけ残念。外の天候も風が強く、雨が横殴りに降っていて今日は穏やかに家の中で過ごしたほうがよさそうですね。

晩秋って言葉がありますよね。文字のごとく秋の晩、終わりという意味ですが、この言葉ってどうしてこうも哀愁を感じるんでしょうね。

そういえば高校生の頃にビデオ屋さんに晩秋って映画があったよなと思って調べてみたら、89年制作のアメリカ映画で、スピルバーグが監督をした作品。両親の介護をするために帰郷した仕事日筋の男と、その両親の物語だそうです。多分僕はこの映画見ていないと思うんですよね。けど、面白かったのが原題”DAD“(親父)。これは絶対に邦題のほうが雰囲気がありますよね。晩秋が人生の終わりを表したりをもするから、この晩秋と言う言葉にもの悲しさを感じてしまうのでしょうか。

確かにこの時期に山を彩る紅葉も、葉の最後の変身ですもんね。温度差があればあるほど色が変わる、その自然の美。

そんな紅葉を実は少しだけ今回の日本滞在で見ることができたんです。幸運にも。

10月の終わり、僕とユリ君は僕の故郷である阿蘇のいました。特に何をするわけでなく、散歩に行ったり、僕の子供のころのアルバムを見たりと、ゆったりとした時間を過ごしていたんですね。そんな時にトレッキング好きのユリ君のことを知っていた父が、”くじゅうに登らないか?”と誘ってくれました。もちろん、承諾。

くじゅう連山は阿蘇からも近く、隣の大分県にある山々です。九州本土ではここの中岳山頂が一番高く標高が1791m。天気も上々で、母に3人分のおにぎりを昼ごはんとして作ってもらって出発。

標高の高いくじゅうの山では10月の終わりにもかからわず木の葉が色づき始めていました。ただ、登山をするにしては半袖で問題ない気温でもありました。

最初はコンクリートの登りで、”これは嫌だね。”ってユリ君と話していたのですが、途中からコンクリートもなくなって土と岩の道に。標高が上がるにつれて景色も開けてきます。

ね、あちらこちらにオレンジや赤、黄色の色が。手前のもう葉がない低木とのコントラストも素敵ですよね。そして、登山道はだんだんと厳しさを増していきます。

 

そうそう。途中で僕たち3人ではなく、ひとり仲間が加わりました。フィンランドの女性。なんでも日本を3週間一人旅。この時は旅の終わりで、あと数日後にはフィンランドに戻るとの事。せっかくだからとその後下山するまで一緒に行動をする事に。登山をしてると挨拶をすることが多いので、時に物凄く仲良くなれたりしますよね。今回も、そんな例のひとつ。

真ん中にいるのは僕の父です。60歳過ぎとは思えない体力で、僕たちの一番前にたって歩いてくれました。後ろを見てもらえれば分かるように、この時は雲が多くなって来ていたんですよね。本当に山の天気とは変わりやすいものです。フィンランドのか彼女は軽装でしょ?登山をするつもりではなかったのだけど、天気も良かったし急に登りたくなったのだとか。カモシカのように跳ねるように岩の道を登っていきます。

雲が近くにあるとものすごく幻想的な景色になりますよね。幸運なことに雲がすべてを覆うことはなく、中岳に着いた時にはまだ景色がよくここで昼食をとることに。やっぱり、おにぎり。これが最高ですよね。僕の一番好きな具は梅干しです。

くじゅうは連山なので一つ登って終わりと言うわけではなく、隣の山、そしてまた隣と行くことができるんですよね。調べてみるとどうやら10個。そんなにもいけないので今回は2つだけに。それでもかなりの距離を歩きました。

まだ残り8。次回の日本への帰国の際にはユリ君の両親をも誘って再度挑戦しようかと思っています。トレッキングって本当に面白いですよね。

 

今あるもの、今ないもの。

皆さんは素敵な週末を送っていらっしゃいますか? ドイツ北西部は昨日は朝、起きたときから晴天に恵まれユリ君と、”これは走りに行かなきゃね。”と即決。空気は少し寒いのですが、走り始めると体もあったまってくるので問題なし。ただ、途中でユリ君は調子が悪かったので歩きに変え、僕は1人で長いコースを行くことに。冷たい空気が温まった体を通り抜ける感じとか、太陽が肌にあたる感じの良さが冬場のランニングの楽しみかと。雨の多いこの時期は地面が乾いていることが少ないので、途中泥だらけの道もありタイムを短縮するというよりは走ることを楽しむという事にフォーカスをもっていった方が面白いかと考えているところです。

さて、アメリカは今週は感謝祭の週末ですね。僕もアメリカにいたときは友達の家や、友達の両親の家に呼ばれてこのホリデーを楽しみました。ハロウィンよりも、クリスマスよりもアメリカで好きなホリデーは感謝祭でしたね。パンプキンやピカンのパイ。大きな七面鳥。11月の終わりという晩秋にあるのもいいですよね。冬が本格化する最後の秋の色どりがある季節にあるこの感謝祭は僕の中で特別な意味を持ちます。

そんな感謝祭の前後に賑わうのがブラックフライデー。もともとアメリカだけだったように思いますが、最近は感謝祭に関係のないヨーロッパでもこのセールは定着しています。それどころか、ブラックフライデーの後の月曜日はサイバーマンデーというセールもあるほど。

ネットでお買い物が好きなユリ君も今週の初めごろから良いものが、欲しいものが安くならないかチェックし続けていて、今の時点でかなりの買い物をしてしまったようです。コンピューターのソフトウェアや、携帯とか、洗濯機、ミニピザがテーブルの上で作れるオーブンセットだとか。(ピザセット以外は生活に必要なものだから、いいとは思うんですけどね。)

僕は家に飾る用の素敵なアートポスターを数枚30%オフで購入したのと、ユリ君のコンピュータの椅子の半分の金額を早めの誕生日のプレゼントして献上。それだけです。

けど、ネットが普及して本当に便利な時代になりましたよね。お店に行かなくても商品を頼めるし、世界中の人と繋がることも簡単になったし。

けど、その便利性の中で僕たちは何かを失ってしまったのでしょうか?どうなんでしょうね。なくしたものの中に、”あー。何て素晴らしいものをなくしてしまったんだ。”って時間がかなり経って気づくものもありますよね。僕たちが得た利便性の裏で、何が今消えていこうとしていくのかを考えてみると面白いかもしれませんね。

前に書いたブログで最近読んでいる本のことについて少しだけ触れた事、覚えていますか?日本では小泉八雲の名前で知られるラフかディオ・ハーンが1890年代に日本に初めて訪れた時のことを綴った”新編 日本の面影”です。この本を毎日少しづつ朗読してるんですね。

映画や音楽を観たり、聞いたりして涙が出てくることってあるでしょ?何かが自分の琴線に触れて、なぜだかわからないけど涙を流してしまうことが。今までもこの本の文章は綺麗だなって思っていてだからこそ、音読をしていたのですが。昨日読んだところは、いつの間にか目に涙が溜まってしまって、読んでいる自分がびっくりしたほど。そんな感動を少しだけ皆さんにおすそ分けしようかと思います。

これは2章目の”盆踊り”というタイトルのもので出雲を目指して太平洋側から日本海側に4日間かけて人力車で中国山地を越えるときに立ち寄った村でのお話。訳をなさっている池田雅之さんの美しい訳も素直に頭の中に情景が浮かんでくる素晴らしさ。ちょっとだけ、その美しさをここに書かせてもらいます。

これはハーン氏が伯耆の国、上市のある宿に泊まった時の下りです。

”そのこぢんまりした宿は、外から見ると、風雨にさらされて古びたような感があったが、中は快適であった。(中略)この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造形に対するすぐれた美的感覚を表していないものは、何ひとつとしてない。花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。(中略)これまで立ち寄った小さな田舎の村々と変わらず、この村の人たちも、私にじつに親切にしてくれた。これほどの親切や好意は想像もできないし、言葉にもできないほどである。それは、ほかの国ではまず味わえないだろうし、日本国内でも、奥地でしか味わえないものである。彼らの素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらしいものではない。彼らの善意は、まったく意識したものではない。そのどちらも、心から素直にあふれ出てきたものなのである。(中略)宿の老主人は、私を風呂場に案内すると、まるで私が子供だといわんばかりに、私の背中を流しましょうと言ってきかない。女将さんの方は、ご飯に卵、野菜にデザートといったご馳走を用意してくれた。そして、私が満足できたかどうかを気の毒なほどに気遣うのである。私は夕飯を二人前はゆうに平らげたというのに、女将さんは、たいしたおもてなしができなくて申し訳ありません、と何度も何度も詫びるのであった。”

日本人の昔からのおもてなしの心や、美意識がよく伝わってきますよね。また、彼が日本人ではないからこそ気が付くことも多い。そんな古き良き日本がこの本にはぎゅっと詰まっています。もしかしたら100年前も昔に僕たちがなくしてしまった何かが、文字として残っているかもしれませんね。

 

 

 

ただいま、故郷 阿蘇

最近はドイツ語の勉強に毎日力を入れているんです。実は地域学校に申し込みをした時に、”では次回はクラス分けのテストをするから、そのときね。”と言われているからなんですね。クラスは6つのレベルに分かれていて、全くの初心者な僕は多分一番下かその一つ上。人によって授業料が無料か有料かがあって、僕は無料の対象には入らないので、ユリ君曰く少しはドイツ語理解できてるんだから少し上のクラスに入れるように頑張りなと言われて目下勉強中。言語を学ぶことは好きなので、苦ではないのいいことです。

ただ、言語って毎日、練習したり使ったりしていないといつの間にか消えてしまうものでもあるんですよね。ミニも昔は日本語を結構理解して、喋ってもいたんですが最近はどうも難しくなってきたみたい。大人になって覚えるほうが習得するのに時間はかかりますが、忘れていくのもゆっくりなのは得かなって。逆に子供は物凄い速さで言語を習得しますが、忘れるのもものすごく速いんですよね。

アメリカにいたときに普段は日本人の母親と喋る時以外は英語の4歳児の子供がいて、その子が家庭の理由で日本に三か月滞在することになったんですよね。日本滞在の間はもちろん、日本語だらけ。最初は戸惑ったようですが、底は適応能力の早い子供。すんなりと日本語をしゃべるようになったんだとか。そしてアメリカに帰って、アメリカ人の父親と再会。ただ、英語で話す父親の英語が最初は理解を出来なかったようなきょとん顔だったらしんです。もちろん、その後英語の環境に戻って喋れるようにはなったんですけど。

僕も日本に1ヶ月滞在していて、その間にドイツ語の勉強を怠ったのでまた最初から頑張ってやり直しています。基礎力が言語習得では大切ですからね。

そんな1ヶ月の滞在のほとんどは僕の故郷の阿蘇で過ごしました。阿蘇に帰ってくるのは2年半ぶり。その間に洪水があったり、阿蘇山が噴火したり、地震があったりと厄年のような阿蘇。いろいろなところに自然災害の爪痕がまだ残っていました。

それでも、自分の地元はいいものですよね。

僕は車の免許を持っていないので、阿蘇での移動手段は徒歩か、自転車。だけど、田舎の町で歩いている人なんて本当に少ないんですね。

阿蘇も色々な商業施設や、建物が建って僕が昔過ごした町の雰囲気は薄れてしまっていて何となく物悲しくなってしまいました。小学校に行ってみたら、もう使われていなくて雑草が山のように生えている中に廃墟のように建っていて。子供がいない学校と言うのはこんなにも悲しいものなのかと感じました。寄り道ぎみの通学路を歩くとすべてが小さくなっててびっくり。もちろん、道路が、家の塀が、ゲートボール場が小さくなったのではなくて、僕が大きく成長しすぎてしまっただけなんですけれどね。

自分の家の周辺を色々と歩いたのですが、何かが違う。僕の子供の頃の思い出の阿蘇とは違う所のように感じる、、、。人の心の中で思い出って美化されてしまいますしね。時代とともに人も物も、空気も変わってしまうのかなとおもって、自転車に乗って山のふもとへ。

そこで、突然に出会ってしまったんです。僕が子供のころを思い出させてくれる空気と、風景が。

昔ながらの横長の平屋の家、家の近くにある小さな畑。コンクリートではない石を積んだ川べり、農作業の人々がその日の取れた野菜を自宅用に泥つきのまま家に持って帰るその姿。どこかで燃えているであろう焚火の匂い。

しかも、道路で子供たちがサッカーをして遊んでいたんです。ゲームに夢中で外で遊ばなくなった21世紀の子供たちとは無縁のように、楽しそうにボールをけっていて。そのうちの一人の子が挨拶をしてきて、”ここだと車は来ないのかな?”と聞くと、”来るときもあるけど、その時は一時中断すればいいから。”との返答が。確かに、僕もそうやって遊んでいたなって。車どおりの少ない道が昔は遊び場だったなって。

景色が、そして空気が忘れ去った自分の思い出をこんなに喚起してくれるとは。あまりにもの懐かしさに目がしらが少しだけ熱くなったほど。

いつまでも、いつまでもこの景色が変わらずにいてくれたならと思わず願わずにはいられませんでした。

僕の知っている阿蘇がまだここにはあって、それにこうして出会えたことは本当に幸せな事でした。

 

旅の楽しみのひとつ、宿

今日は朝から忙しく動いていました。いつも通り6時15分に起きてユリ君と朝ごはんを食べて、7時前に仕事に出かけるユリ君を見送った後は床の掃き掃除と、拭き掃除。

日本って大掃除と言ったら大みそかの日でしょ?ヨーロッパは日にちは決まっていないのですが、春の訪れの時に大掃除をします。新しい年を迎える時のほうがきれいな環境でいいじゃんって異本育ちの僕は思っていたのですが、最近は確かに春にしたくなるのわかるかもとも思うんです。

いつもブウログで書いている通り、冬のドイツやイギリスは暗い、暗い。朝焼けが今は8時過ぎで太陽が昇ったのかなと思えるのが9時過ぎ、この太陽も夕方の4時過ぎにはいなくなるので。そしてその間も薄暗い曇りの空。それに、ドイツやイギリスって間接照明のほうが多いんですよね。なので、ほこりや汚れが目立たないという事が多くて。時に晴れた日があったりすると、”うわ!!いつの間にこんなに汚くなっていたんだろ!!”って驚かされてしまいます。

だから、日差しが長く晴れた日が続く春のはじめになると冬の間に見えなかったほこりや塵が突然に目につき始めて、大掃除へと至るわけなんですね。おもしろい。

その国の文化、季節の移ろい方、気候によって考え方も、価値観も習慣も変わってくるというのは興味深い事です。

その1つに家などの建築も上げられますよね。今回は建築や、それを彩るもののお話。

島根県の出雲大社を訪れたときに宿泊したのが、明治10年に出雲大社を参拝する人のために始まった竹野屋。ここ、竹内まりあさんの実家としても知られる旅館ですよね。本館のこの木造建築は昭和4年に建てられたのだとか。僕の祖母とほとんど同い年なんですね。

この雰囲気が素敵だと思いませんか?まるで千と千尋の神隠しの世界を彷彿させるなと思ったのが第一印象。日本の旅館にユリ君を泊まらせたい、せっかくなら素敵なところにしたいと少しお値段は張りましたが、ここに泊まることに。ちなみにこの写真に写っている男性、個々の従業員さんで働いて数週間目でしかも昔ドイツに住んでいて、ドイツ語を喋れり人だったんです。礼儀正しくて、好青年でした。

僕たちの泊まった部屋はシンプルな和室。ここにはトイレとユニットバスもあります。けどね、旅館にきたので大浴場でお風呂に入りたいじゃないですか。そんなにも大きくはないのですが、3回(夕飯前、寝る前、朝)大体において一人貸し切り状態でした。この部屋は新館で一番値段の安いお部屋です。それでも、十分。夕飯と朝ごはんもついてきますしね。

昔ながらの旅館は細微にも色々と手が込んでいるのが魅力じゃないですか?欄間とか、障子の模様だとか。特にエントランスの部分は物凄く美しくて、15分ぐらい見物してました。

こんなお花とか書だとかがダウンライトで照らされているのっていいですよね。ここが特別な空間になる気がして。

確かに安くはないけれど、これだけのおもてなしと、おいしい食事に、旅館自体が持つ雰囲気を考えれば高くないなと思います。この旅館の中を流れている空気が外とは違った穏やかなもので、その異次元的な体験をするだけでもその値段を払う価値があるかと思いますよ。

さて、次のお宿は熊野古道で泊まった古民家。

ね。こちらも趣深いでしょ。オーナーが自分の手で改装したこの古民家は手作りの温かさが存分に感じられます。しかもね。細部にもこだわっていらっしゃるんですよ。

玄関のたたきには黒い玉砂利が引いてあります。こんな小さなな事が嬉しいんですよね。

寝室。ただの畳の間とも見えますが、照明器具が明治大正を思わせるデザインだったり、左側の仕切りや右側のベッドサイドランプが凝っていると思いませんか?

あと、少し前まではあった障子の擦りガラスの紋様・懐かしさもありますが、これって素敵なデザインと思いませんか?だってモミジがその向こう側にある色で黄色になったり、赤になったり、緑になったりと季節を感じさせてくれるようになっているのだから。

日本建築の美をも堪能できた今回の日本帰省でした。

国が譲られた浜辺を求めて 出雲

一昨日まで今日は晴れの予想が出ていたのですが、残念ながらまた雨と暗い雲の1日となりそうです。イギリスもそうですが、ドイツも天気を予想するのが難しいみたいですね。明日はちなみに晴れの予報なので走りに行こうかなと思っています。

走れない日は家で筋トレやストレッチをするようにしています。機械を持っていないので殆どが自重トレーニング。ヨガのマットをしいてそこで腕立てや腹筋などをしたり、少しは体が柔くならないかとストレッチをしたり。僕の、子供のころから本当に体が硬くて、、、。年齢を重ねてくると色々なところが痛みを伴ったり思うように動かなかったりしますよね。転ばぬ先の杖で、今から基礎体力をつけておこうかと。

日本の武道で良く使われる心技体。精神、技、体力を鍛える。この年になって、この言葉の美しさと、そのバランスの難しさを感じています。若い時は勢いだけでどうにかなりますものね。そんな、精神を鍛えてくれそうな場所にも今回の旅で行ってきました。

和歌山県の熊野古道での一泊二日トレッキングを終えて、次に向かったのは島根県の出雲大社。

近年では縁結びの神様として人気があり、若い女性の観光客を魅了している場所ですよね。僕が興味をひかれたのは少し前に僕が日本の神話に興味を持っていて、その時に登場するのがこの出雲の国。

日本の始まりって神話では世界は最初、形をも持たない混とんとしたところ。その状況は長い事続きますが、ある時に天と地に分かれそこに最初の神様となる人物が現れます。その人自体は特に何をもするわけではないのですが、その後いろいろな神があらわれて世界は天界は高天原、地上は葦原の中つ国、冥界は黄泉の国と分けられます。神が増えるにつき高天原は活気を帯びてきますが、地上の中つ国は海があるだけ。そこである二人の神様を地上に送り、島を作ることに。これが日本の始まりですね。最初に作ったところがよく言われるのは淡路島。そして、四国、隠岐、九州を作りその後数個の島を作って最後に本州の番になります。地上が生まれると、その地に根差した神さまなども生まれます。ですが基本的に懇意本を納めていたのは天界の高天原の神様。しかし、いろいろな出来事を経てその主権をこの中つ国の神様に譲る事になるのです。それを“国譲り”と言うのですが、それが行われた場所こそ、出雲大社から徒歩で15分で歩いて行ける稲佐の浜の沖合だそう。

ね、面白いでしょ。神話には想像力ゆたかなお話が多くて好きなんですよね。神学はもちろん、哲学にも科学にも通じているようなところがあって興味を掻き立てられます。だから、どんな場所か見てみたいなと言うのがあったんですね。

紀伊田辺からは途中で新大阪と岡山で乗り換えをして島根に電車で向かいました。朝の8時過ぎに出て着いたのは午後3時ごろだったかな。特急やくもの乗車時間が長かったので、、、。だけど、中国山地を越えて、右側に川の流れを見ながら行くのはとても素敵でした。昔ながらの農家の家々や、野生のイノシシの親子も車窓から見ることができました。

これが国譲りが行われたと言われる稲佐の浜ですね。素敵な風景でしょ。あと毎年10月には日本国中の神様がこの浜に海から上陸して出雲大社に集まるのだとか。だから10月は別名を神無月っていうでしょ?あれはすべての神様がいつものところを離れて出雲に行ってしまっているからなんです。ただ、出雲は他のところは逆で神さまだらけなわけで、なのでここでは10月は神在月と言うそうですよ。面白いですね。

出雲大社は僕は好きでした。確かに神社の周りは観光化されて、お土産屋さんだとかが多くありましたが統一性があり、出雲大社の敷地内は本当に落ち着いた雰囲気でそれが心地よかったですね。

ただ、一番惹かれたのはその周りの環境だったかなとも思います。少し道を外れるとそこには、ここに住み人々の生活が感じられて、そして神への信仰や敬いがその生活を美しく混ざり合っているバランス。そこに一番の魅力を感じました・

出雲大社から歩いて数分のところににある、住宅地の奥にある小さなお社。地元の人が朝早くから綺麗に掃除をなさっていました。

昔ながらの門構え。なんて美しんでしょうね。こんな門構、今では見なくなりましたよね。見るとしたら、郷土博物館の中とかじゃないです?それが今もなお生活の一部として機能しているというのは素敵な事です。

出雲への道のりは長いものでしたが、そこで触れたものは大きくて遠回りしてよかったなとおもえました。皆さんもどうぞ、いかれてみてください。

時代を超えて人を招く道 熊野古道

大人になってからかそうなのかもしれないですけど、期待をしているとその期待があまりにも大きくて、”思ったよりは、、、。”ってことがありませんか?

僕がこの感覚にとらわれるのは、映画が多いように思います。かなり前から。”みたいな。見たいな。観たいな。”と待ち焦がれていて、いざ見てみると、”。。。。”言葉にもならない思いが。それが問題なのが、決して悪い出来ではないという事。自分に合っていないものだったら、”つまらない。”で終わらせれるんだけど、嫌いではないんだけど思ったほどの期待値に届かなかった。この時のガッカリ感は大きくないですか?これに入る映画は僕の中ではアバターとブロークバックマウンテン。

折角に熊野古道の第2日目を今から書こうとしているのに、否定的な物言いから始めていいのだろうかとも思うのですが。

この中辺路の僕たちの最終目的地は、熊野本宮大社だったんです。八咫烏(やたがらす)ってご存知ですか?日本神話に出てくる神武天皇の道案内をした3本足のカラスですね。このカラスが熊野神社のシンボルでもあって、サッカー日本代表のユニフォームにも描かれていますよね。あまりにも残念な事ばっかり最初に書いてもつまらないので、僕たちの道中のお話に。ただ、この上の文章の事を頭に入れておいてくださいね。

さて2日目。前日に郷土料理をたべ、古民家に泊まって朝ごはんは早めの6時半。そして7時には、ハイキングスタート。この日は前の日よりも距離が長くて23kmほど。昨日の雨はやんではいますが、天気予報によれば正午過ぎから崩れる可能性が。なら、いそがねばと朝の涼しい空気の中を歩く僕たち二人。

熊野古道、道はいつでも山道と言うわけでもないんですよ。途中に舗装道路を歩くこともあります。けど、交通量も少なくて出会った車なんて2-3台でしょうか。この道は地元の何か用のある人しか使わないようで、ほとんどの車は谷の下の幹線道路を通っているようです。なので、何となく舗装道路だけどもの悲しさも感じるんですよね。

最初は視界が開けないのですが、途中でものすごく眺めがよくなります。自分がどれだけ山深くに来ているのか、そしてどれだけの標高を上がったのかが見れて気持ちがいいですよ。ね、かなりの上り坂でしょ。

 

 

ユリ君は舗装道路が最初続いていたので少しだけ不安そうに、”このままずっと最後まで舗装なの?それは嫌だな。昨日みたいな森の中を歩きたいよ。”とこぼします。確証はなかったのですが、世界遺産にもなった熊野古道。これからすっと舗装なわけはない。”大丈夫だよ。すぐにまた森の道になるから。”となだめて先を。

すると、また森の道へと行くように立札が。僕も一安心。

確かにユリ君、森の中のほうが彼の雰囲気にあってるなって思います。お酒もコーヒーさえも飲まずに主な飲み物が水と言うユリ君は何となく森の妖精的な雰囲気があるなって。妖精と同居していると思うと、何となく楽しいですね。

そんな妖精さんと山を登り、またくだり、水の脇を歩いたり、清らかな川を越えたりと昨日にも負けないような運動量を使うコース。ただ今回は下りがかなり多くて僕たちは下りがそこまで早くないので苦戦しました。

登りも急ならば下りも急です。しかもこの石畳。僕が思うにはかなり昔に作られたものではないかと思うんですよね。この石畳が前日の雨でぬれていてまるで氷のように滑るところがこの中にあって、それが怖くて、、、。かなり及び腰で下りました。

苔むした橋を渡って続く熊野古道。この中を歩いていると自分が今、いつの時代に生きているんだろうって不思議な錯覚にとらわれてしまします。大自然の中にいるって錯覚してしまいそうですが、ちゃんと枝打ちされた木々が。いろいろな人の助けでこの古道は成り立っているんですね。自然と人々の共存が日本の自然美の美しさなのかもしれません。どちらが支配をすると言いうのでなく、お互いを思いながら共存することが。

 

そんなことを考えながら、熊野本宮大社に到着。7時間かからずにたどり着くことができました。大きく威厳ある参道。それに続く神社は、、、。素敵な建物の神社なのですが、神殿の中にはサッカー日本代表チームのユニフォームが飾られ、八咫烏の乗った郵便ボックスがあり、右側にはお札やお守りを売る場所が大きく構えられている、、、。あんなに素朴で自然となじんでいた熊野古道からのギャップが物凄くて、、、。明らかに僕達は2017年に住んでいるっていう実感が、、、、。熊野古道の余韻を楽しみたかった僕たちは数分後には帰りのバスに乗り込んでいました。

バスは最初から最後までほとんど貸し切りで谷の底を流れる川の流れを見ながら、紀伊田辺へ。2時間ほどで到着。僕たちはこの2時間を2日間かけて歩いたと思うと、何か不思議な気がします。

もし何か熊野古道の質問でもありましたらいつでも聞いてくださいね。ハイキング好きにはたまらないですよ。

 

 

もののけ姫と歩く

阿蘇では初雪が降ったという事で、日本も冬が本格的に始まっているようですね。風邪などひかないように気を付けてくださいね。

ドイツ北西部も不思議な天気です。このあたりはオランダのように海面部よりも低いところもあり、雪が降るという事はあまりないそうなのですが、冬の天気の心模様はかなり身勝手。昨日もユリ君と走りに出かけたのですが、家を出たときには太陽が顔を出し、大きな虹も見えた秋の穏やかな天気。そして走って15分ほどすると突然に雨雲が空を覆って冷たい雨が降り始めました。体温が高いせいか、ユリ君の顔は冷たい前を受けて赤ら顔に。あまりにもかわいそうで途中で引き返すことに。帰り着くころにはまた晴れ間がのぞいていました。本当にあまのじゃくな冬のお天気です。

そんな日は家の中でぬくぬくとしていたが一番ですよね。夕飯を食べて、DVDを見ることに。今回のチョイスはジブリ作品のもののけ姫。僕が高校生の時に映画館で見た作品で、その迫力に見た後は言葉が出てこなかった覚えがあります。

なぜ、もののけ姫にしたかと言うと今回の日本での旅で行った和歌山県の熊野古道がこのもののけ姫の世界観に似ているなと思ったためなんです。山深い土地の神聖なる道、熊野古道。そんな旅の思い出をユリ君が思い出してくれるのではないかと思って。ドイツ語吹替の日本語字幕と言う少し不思議な感じで観賞会となりました。

ね。おっことぬしや、こだま、モロが生きていそうな森でしょ。ちなみに熊野古道はこの写真の真ん中の木の根の階段になっているところです。

熊野古道は和歌山県にあり、奄美大島から飛行機で関西国際空港に着いた僕たちはJRの特急に乗って紀伊田辺駅へ。ここで一泊して次の日の朝早いバスで熊野古道の中辺路である滝尻王子へと向かいました。今日は残念ながら雨の予報で、大粒の前でなく小雨だったので難を逃れましたが、雨のおかげで靄が立ち込めて幻想的な雰囲気を楽しめました。

熊野古道は2004年にユネスコの世界遺産に登録されて、日本でもそして特に海外でも注目を集めました。今回は平日に2日間、熊野古道歩いたのですが歩いていて触れ違ったり追い越した人で日本人だったのはたった1人。あとはみんな外国人の人々。ただ、天候が初日が雨だったこともあり歩いている人自体が少なかったのもありますが。人間が沢山いるところが嫌いな僕たちにとっては完ぺきな人口密度。

初日は近露王子を越えて、見晴らしのいい古民家のあるところまでの16kmほどの道のりです。

滝尻から始めたのですが、最初から物凄い上り坂。登っても登っても。まだ登る。息も上がるし、汗も雨の中で噴出してくるほどの急こう配。このような道を信仰の心をもってたくさんの人たちが今まで歩いてきたのだなと思うと、信仰心とはなんとも強いなと感じずにはいられません。この道が活気を持ちはじめたの、はもののけ姫の時代ともいえあれる室町時代。それから江戸時代にも伊勢参りとならぶように人気があっただとか。ある時はこの何にもない奥にお茶屋さんがあったほどだとか。

途中でお地蔵さまがあり、その横には案内の立て札が。なんでも、熊野詣りにはるばる大分よりきた男性の霊を慰めるべく建てられたのそう。この男性は熊野古道の急な道のりに疲労困憊し、空腹も加わってここで生き途絶えたとの事。

みんなが楽しくここを歩いてお参りに行ったというわけではないようですね。それぞれの思いを胸に自分の身を危険にさらしてまでも神に聞き入れてもらいたい何かがあった人々の思いがこの道を特別なものにしたのかもしれません。

この写真でわかってもらえるかわからないんですが、かなりの急こう配なんです。今はこのように整備されていますが、昔はもっと足場が悪かったのかもしれませんよね。

その後、一旦この道はある集落へとでます。そのころには雨も止んで、木々の間や谷からどんどんと靄が立ち上がって、空へと昇っていきます。そこにある小さな集落はまるで空に浮かぶ町。見晴らしのいいところが休憩所になっていて、その前には黄金色の輝く田んぼが。日本の美しさを感じさせてくれます。

熊野古道は標識が丁寧に色々なところに立ててあるので迷うという事はありません。時に地元の人が笑いながら手を振ってくれたり、野生のシカにであったりと、面白いですよ。ただ、足元が悪かったり、雨が降ったりするのでハイキングシューズとある程度の服装をしていくことをお勧めします。

ここを後にするとまた、小雨が。

宿に着いた時には、びっしょり濡れて全身も疲労を訴えるほどに。だから、宿でのお風呂がとても気持ちが良かったこと。ハイキングって素敵な景色を見たりすることも面白いんですが、家に帰って今まで履いていた靴から解放されたり、ベッドに横になって眠れるときにも幸せを感じるですよね。この感情が時に病みつきになったりして、ハイキングがやめられないのかも。

もののけ姫の気分たっぷりの熊野古道です。